女性医師
女性医師について紹介します-
事例
「患者さんを否定しない」傷ついた経験を糧に
医師であり、線維筋痛症の患者でもある原田樹先生。自分や周囲にとって最善の働き方を模索しながら、3次救急病院の救急科で働き続けています。後編では、病に対する考え方の変化と、新たなキャリアについてお聞きしました。
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事例
線維筋痛症の女医が、救急医の道を選んだ理由
線維筋痛症を抱えながらも、厚生連高岡病院(富山県高岡市)で働く原田樹先生。中編では、臨床研修後のキャリアをどのように選び、切り開いていったのかをお聞きしました。
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事例
全身を襲う激痛……「私、医師になれるの?」
全身を襲う、耐えがたいほどの痛み──。原田樹先生は医学部在学中に線維筋痛症を発症しました。以来約10年に渡り痛みと付き合いながら、医師として、母として、多忙な日々を送っています。前編では、突然の発症から卒業試験・医師国家試験に挑むまでのお話を伺いました。
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事例
「医療的正しさ」を追求した女医が選択した道
これまで計7回、国境なき医師団(MSF)の活動に参加している團野桂先生。その度にぶち当たる課題を解決すべく、日本やロンドンで勉強されています。後編では、團野先生がMSFの現場で見てきた実情、帰国後の活動やキャリアの築き方に迫ります。
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事例
なぜ「WHOで働く」という夢を自ら諦めたのか
ロンドンに渡って公衆衛生を勉強しながら、ジュネーブのWHO本部でのインターン勤務を経て、現在は国境なき医師団(MSF)の活動に精力的に取り組んでいる團野桂先生。大阪のホームレスが多く入院する病院での勤務経験から臨床医療の限界を感じるなど、理想と現実のギャップの狭間で揺れながら、自分が進むべき道を果敢に切り開いています。
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事例
16社の産業医を務める人気産業医のキャリア・仕事の流儀―穂積桜氏
近年、産業医求人が医師から人気を集めていますが、どうしたら企業から選ばれる産業医になれるのでしょうか。今回、臨床医として精神科専門医や漢方専門医として活躍し、現在は16社の産業医を務められている穂積桜先生に伺いました。これまで契約先からの紹介を引き受けてきた結果、数多くの企業で産業医活動をしてきた穂積先生のキャリアと仕事観とは――。
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事例
日本在住でも「国際保健のスペシャリスト」になるために―坂元晴香氏
小学生の頃に国境なき医師団に憧れて以来、国際保健の道に進もうと考えてきた坂元晴香氏。医学生となり、途上国の現場を見たことで少し考え方が変わり、現在は日本にいながら国際保健に携わっています。どのような考えを持って、今のキャリアを歩んでいるのでしょうか。
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事例
「がん」は私らしさ 強みを活かして働き続ける
がん患者であることを周囲にひた隠しにしていた田所先生は、発症から6年後にカミングアウトしたことで、一歩前に進めるようになったといいます。後編では、現在の職場のスタッフに対する思いと、これから始める新たな取り組みについて伺いました。
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事例
「私は、がん患者」発症から6年後のカミングアウト
がん患者であることの現実や不安と向き合う一方で、その事実を周囲にひた隠しにしていた田所先生。あることを機に、カミングアウトすることを決意します。中編では、カミングアウト当時の気付きと疾病受容に対する考え、そして緩和ケアへの真摯な思いを話していただきました。
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事例
「健康な自分には戻れない」緩和ケア医の苦悩
緩和ケア医の田所園子先生は、周囲が持つ“明るい田所先生”のキャラクターイメージを崩したくないとの思いから、子宮頸がんの患者であることを周囲に隠し、再発への恐怖や不安に蓋をしていた時期がありました。前編では、当時の苦しみと複雑な心境に迫ります。
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事例
「ルーティンではダメになる」医師が重んじる習慣
2008年に初めて国境なき医師団(MSF)の活動に参加し、ナイジェリアへと渡った小杉郁子先生。以降、定期的に活動に身を投じ続けているのは、日本の医療機関にいるときとは違う刺激を、現地で得られるからなのだそうです。小杉先生が国境なき医師団に参加するようになった経緯を紹介した前編に続き、後編では、現地でのエピソードを中心にうかがいました。
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事例
「医師の子は医師に」?固定観念への違和感も
医学部卒業後、ドイツ留学を経て現在は国境なき医師団(MSF)の活動に精力的に取り組んでいる小杉郁子先生(福井県済生会病院外科医長)。医師の家庭に生まれ、女性外科医としてキャリアを歩む過程で、さまざまな固定観念に疑問も覚えながら、今日のライフスタイルに至ったと語ります。国境なき医師団に参加する医師たちをインタビューする本連載。前編では、小杉先生が途上国に渡るまでのお話を中心にご紹介します。
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事例
「アニサキス」も曲に メタル女医の徹底ぶり
形成外科医と医療系メタルバンドのボーカルという二足の草鞋を履くババロア先生によると、医学部とメタルには、意外な親和性があるそうです。医師とバンドマン、双方のプロとして多忙な毎日を送る先生に、今後の展望を伺いました。
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事例
メタルバンド女医「人一倍頑張ってきた」
形成外科医であるババロア先生のもう一つの顔は、医療系メタルバンド「Anatomy」のボーカリスト。3月にリリースしたミニアルバムが、発売週にディスクユニオンヘヴィメタルチャートで1位を獲得するなど、バンドの注目度も上がっています。医師兼バンドマンというユニークなキャリアを歩み始めたババロア先生に、医師を志したきっかけやバンド活動への思いを伺いました。
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事例
業務は多様 ALS医師のセカンドキャリアとは
2012年にALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し、現在は、目や首の動きで意思疎通を図っている竹田主子先生。臨床現場を離れてからは、医師と患者双方の経験を活かし、医療コンサルティングや講演活動などに注力されています。後編では、その取り組みについてお話を伺いました。
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事例
「私、死ぬんだ…」ALSの医師が再び輝くまで
大学卒業後、内分泌代謝科の医師として働いていた竹田主子先生。子育てに重きを置き、複数の非常勤先で働いていた2012年、40代前半でALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症。2014年には、24時間介護が必要な状態になりました。現在は、目や首の動きで意思疎通を図っています。前編では、ALSを発症するまでのキャリアや働き方、疾病受容するまでのお話をお聞きしました。
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その他
子育て中の女性医師が、転職に踏み切る理由
女性医師のキャリアは、出産や子育てによって少なからず変動します。以前であれば、出産を機に医療現場から離れるケースがよくありました。しかし、最近は子育て中であっても常勤で活躍したり、非常勤から常勤に復帰したりする女性医師が珍しくないようです。医師人材紹介会社のコンサルタントが、事例に基づいて解説します。
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まとめ
プレママ/ママ医師におすすめの記事まとめ
女性医師にとって、専門医取得や昇進といったキャリアイベントと結婚・出産・育児といったライフイベントをいかに両立するかは永遠の悩み。今回は、プレママ/ママ医師が読んでおきたい、おすすめの記事をまとめました。
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事例
あの患者に「食生活改善を」が響かないわけ
麻酔科医として働き育児をこなす一方で、料理家としてレシピ開発にも取り組んでいる河埜玲子先生。手軽で体にいいレシピを追求する河埜先生が思う、料理への苦手意識を払しょくするコツとは?また、河埜先生は現在、子どもへの食育にも注力しているそう。きっかけは、臨床の現場で患者さんの言葉にびっくりした経験だったといいます。医師と料理家、2つの職業をつないだ思いについて聞きました。多忙な医師のための時短レシピもご紹介します。
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事例
「全てが中途半端」料理家ママDr.の悩み
麻酔科医の河埜玲子先生のもう一つの顔は料理家です。手軽に作れて栄養バランスのいい料理のレシピを掲載した自身のブログは6万PV/月と厚い支持を得ており、中には企業とのタイアップレシピも多数。現在は食育トレーナーとして、子どもの食育にも取り組んでいるといいます。こうした活動の背景には、子育て女医ならではの“罪悪感”があったそうです。医師として、また母として多忙な生活を送りながらも、二足のわらじを履く理由とは。多忙な医師のための時短レシピもご紹介します。