女性医師
女性医師について紹介します-
事例
医療現場で「鈍感力」が大切な理由
イェール大学病院での研修前に初めて国境なき医師団(MSF)に参加し、それ以降6回の海外派遣活動に参加している中嶋優子氏。2017年には日本人初の米国EMS(Emergency Medical Services 米国プレホスピタル・災害医療救急専門医)の資格を取得しています。これまでの活動を振り返り、思うことについてお話を伺いました。
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事例
3か月で退局した女性医師の今
高校時代から、「国境なき医師団(MSF)で働く医師になりたい」という思いを抱いていた中嶋優子氏。紆余曲折を経て卒後8年目でUSMLE(United States Medical Licensing Examination 米国医師国家試験)を取得。2017年には、日本人初のEMS(Emergency Medical Services 米国プレホスピタル・災害医療救急専門医)を取得しました。さまざまな分野でキャリアを積み、現在は米国で救急専門医として働きながらMSF理事を務める中嶋氏のキャリアの変遷に迫ります。
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事例
「仕事も子育ても及第点」 2児のママが医長と育児を両立できる理由―本郷舞依氏
坂総合病院(宮城県塩釜市)で総合診療科の医長を務める本郷舞依氏は、2児の子育てをしながら働くことに「常に悩み、ワークライフバランスは不安定」と言います。それでも総合診療の最前線で働き続けているのは、困っている人からの求めに応え続けるため。そのために救急科とタッグを組むなどの職場環境を築いています。今回は本郷氏を支える原動力と、仕事と子育てとを両立する術について聞きました。
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事例
医師で歌手、母親として…仕事の流儀
医師と歌手という二足のわらじを履いてキャリアを歩み続けているアン・サリーさん。ジャズ発祥の地とも言われるニューオーリンズへ研究留学をし、2005年に日本へ戻りました。インタビュー後半では、医師・歌手・母親として3足のわらじを履いて挑んだ、帰国後のキャリアについてうかがいました。
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事例
紅白にも出場、医師と歌手
紅白歌合戦に出演した医師がいるのをご存じでしょうか。今回取材したのは、医師で歌手のアン・サリーさん。平日は内科医として都内の病院に勤務しながら、オリジナルアルバムを多数発表し、日本全国、アジア地域でのライブ活動を続けていらっしゃいます。医師、歌手、母親と、多彩な役割をこなす毎日に思い悩んだときもあったそうですが、今ではそれぞれの役割を楽しみながら、日々を過ごしているそうです。今回はそんな、アン・サリーさんのこれまでの歩みを伺い、医師・歌手としての日常にせまりました。
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事例
文通相手との結婚を機にほぼ亡命状態でチェコから来日―中島恵利華氏
チェコ出身の中島恵利華先生は、日本語を学ぶために始めた日本人男性との文通がきっかけで1979年に亡命同然で来日。子育てをしながら猛勉強して、日本で医師免許を取得しました。現在は新潟県上越市でめぐみ皮膚科を開業しています。来日当時は、医師はもちろん、観光客としてですら外国人が非常に珍しい存在だったそうです。苦労の末、いまや地域の健康を支え、住民の方々に慕われる存在となった中島先生。これまでのキャリアや来日時の想い、チェコと日本の医療の違いなどについてお話を伺いました。
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事例
ウクライナから来日した女医が“日本らしい”緩和ケアを目指す理由─バレンティナ・オスタペンコ氏・後編
25年前にウクライナより来日し、自分を必要としてくれる人々の気持ちに応えたいという思いで緩和ケアに取り組んでいるバレンティナ・オスタペンコ先生。2011年に日本の医師免許を取得し、現在は東大和病院の消化器内科・緩和医療科に勤務されています。最近では病院の中だけでなく、山梨のお寺とも連携しながら、より日本人の心に寄り添ったケアを追及しているそうです。そんなオスタペンコ先生に、緩和にかける情熱について伺いました。
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事例
異国での医師免許取得、子育て…ウクライナ人女医を日本につなぎとめたものとは―バレンティナ・オスタペンコ氏・前編
「息子は当時まだ5歳。正直、“日本に行きたい”と思っていたわけではありませんでした」 東大和病院消化器内科・緩和医療科で、がん患者の緩和ケアに注力するバレンティナ・オスタペンコ先生はこう振り返ります。日ソ共同がん研究のため、ウクライナに家族を残し25年前に日本へ。半年間だけの滞在のつもりが、「いつのまにか日本人らしくなっていました。もう日本でお墓も買いましたよ」と笑うバレンティナ先生。日本で働くという選択肢に先生を導いたものとは何だったのか、伺いました。
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事例
シングルマザー女医が我が子に伝えたいこと
女手一つでの2人の子育てに一段落ついたタイミングで、国境なき医師団(MSF)に参加し国際医療活動を始めるようになった橋本裕美子氏。初めてのミッションで見た現地の光景、現在の心境について聞きました。
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事例
バツイチ子持ちの麻酔科医が、中東へ行った理由
「国境なき医師団に応募しようと思う」。息子の受験が一段落し、娘が大学を卒業するタイミングで子供達にこう告げて、国境なき医師団に応募し、国際医療活動を開始したのが、橋本裕美子氏です。離婚を経験し、幼い子供二人を抱え八年間のブランクを経て復職。シングルマザーと医師の両立に苦労してきたという橋本氏。50代で国際医療活動に踏み出した理由と、現地での活動を経験したあとの今の心境について伺いました。
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コラム
女医を悩ます「2人目の子」のタイミング―女医の「2人目」問題 vol.2
当然のことながら、子どもを授かるということはそう簡単なテーマではありません。2人目に限らず、「いつ子どもを出産するか」は、働く女性にとっての永遠のテーマとも言えます。難しい問題ではある一方で、「いつ出産したら、どんなリスクがあるのか」を意識しておくことで、出産・育児がスムーズになる側面もあるでしょう。2人目の出産を悩んだ女医の一人として、2人目の子どもをいつ出産すべきか、読者の皆さんと一緒に考えたいと思います。
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コラム
女医に立ち塞がる「2人目の子」の壁―女医の「2人目」問題 Vol.1
私の親しい女医仲間や女医に限らずとも、仕事を持つ女友達の間では、「2人目どうする?」という話題が顔を合わせるたびに出てきます。自分の身の回りだけでもこれだけありふれているのだから、全国的にみたらかなりの割合で「2人目」について悩んだり考えたりしている女性がいるということではないでしょうか。私自身も1人の子どもを持ち、今すぐではないにしろ、近しい将来2人目も考えている当事者ですので、自分の考えや、周囲の声も織り交ぜながら、読者の皆様と一緒に「2人目問題」についての事柄を整理していければ幸いです。
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Iターン・Uターン
Iターン、単身赴任を選んだ女性医師の願い
I・Uターンや単身赴任の転職というと、ハードルが高いように感じるかもしれません。しかし、医師としての方向性や、ライフスタイルと照らし合わせ、あえてその選択をする医師もいます。
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事例
「教授選落ちて踏ん切り」年半分を海外で過ごす女医の人生観
浅草生まれの浅草育ち。生粋の江戸っ子で明るく笑顔が印象的な小児科医の岩川眞由美氏。国境なき医師団に初挑戦してから15年後の60歳の時に再び参加し、イラクや南スーダン、ナイジェリアなどに飛んで活動をしています。半年ずつ海外と日本の2つの拠点で生活する「半分海外、半分母国」の生活を続ける理由は、医学生時代と、派遣先での現地人との出逢いにありました。
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事例
都市部の“かかりつけ医難民”を救え!地域に寄り添う家庭医の想い―杉谷真季氏
開業医であった祖父の姿を見て、医師を目指した杉谷真季氏。高校生の時から家庭医を志し、都市部の患者を診ていきたいという明確なビジョンを持ちながら研さんを積んできました。キャリアを築くにあたっての考え方、これから家庭医として取り組んでいきたいことを取材しました。
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事例
2人の子持ち医師が、あえて通勤2時間の病院で働くわけ―斎藤舞子氏
祖父の死をきっかけに無医村を知り、地域医療を志した斎藤舞子氏。初期研修を通じて理想の医師像と出会い、医療資源の少ない地域で医師として働く決意を固めます。それを実現するために選んだ勤務先は、自宅から片道約2時間かかる東埼玉病院。斎藤氏の原動力、そして、地域医療にかける思いとは―。
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コラム
どう築く?産後のキャリア―女医のつれづれ手帖(22)
子供が生まれたことで、医師としての目標と母としての理想の狭間で揺れる方も多いでしょう。復職するのか否か、働き方はどうするのかなど、悩む内容も人それぞれ。今回は、私なりの産後のキャリアプランの描き方についてお話したいと思います。
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コラム
不測の事態、どう対応する?職場で子育てを応援してもらうには―女医のつれづれ手帖(21)
産休・育休明けは、生活リズムの変化や久々の職場復帰など自分自身の負担も大きくなる時期。不測の事態に対応するためにも、家庭や職場からバックアップしてもらえるよう働きかけていく必要があります。今回は、私がどのように育児と仕事の両立をしているか、周囲との関係づくりのポイントも含めお話したいと思います。
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コラム
実録! 1歳3カ月の子どもを持つ、女医ママのタイムスケジュール―女医のつれづれ手帖(20)
ただでさえ多忙な医師が、仕事をしながら子育てをするのは想像がつかない―。そのように考える女性医師は少なからずいるのではないかと思います。実際に働きながら育児をしてみると、工夫次第で何とかなるものです。今回は、1歳3カ月の子どもを持つわたしが、どのようなスケジュールで過ごし、何を重視して仕事と育児に取り組んでいるかをお伝えできればと思います。
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コラム
「復職先に求めるもの」、整理できていますか?―女医のつれづれ手帖(19)
Yu(ゆう)先生インタビュー。復職先に求めるもの=働きやすい環境、この一言に尽きると思います。それを具体的に洗い出し、優先順位を付け、勤務先に伝えられるかどうかが、復職後の働き方を左右するのではないでしょうか。今回は、わたしが復職先に求めたいもの、それをどのように活かして働いているかをお話ししたいと思います。