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ウクライナから来日した女医が“日本らしい”緩和ケアを目指す理由─バレンティナ・オスタペンコ先生・後編(私が日本で医師をする理由vol.2)

2018年12月8日

25年前にウクライナより来日し、自分を必要としてくれる人々の気持ちに応えたいという思いで緩和ケアに取り組んでいるバレンティナ・オスタペンコ先生(前編はコチラ)。2011年に日本の医師免許を取得し、現在は東大和病院の消化器内科・緩和医療科に勤務されています。最近では病院の中だけでなく、山梨のお寺とも連携しながら、より日本人の心に寄り添ったケアを追及しているそうです。そんなオスタペンコ先生に、緩和にかける情熱について伺いました。(取材日:10月23日)

お寺とコラボも! より“その人自身”に寄り添った緩和ケアを

──先生は来日されてから18年目に日本の医師免許を取得されました。研修先を決めるにあたっての基準はあったのでしょうか。

医師免許を取得する前から長年、日本で緩和ケアに携わってきたので、がん患者さんを最期まで診たいという大きな方向性ははっきり決まっていました。しかし、初期研修を受ける段階になって、最初から緩和に行くべきか悩みました。母国での研修から20年近くたっていましたから、幅広い領域で学びなおした方が、最終的にはよりよいケアにもつながるのではないかと考えたんです。

研修先に選んだ東大和病院の消化器センターは、外科から緩和まで、すべてのステージのがん患者さんを診療できる点が大きな魅力でした。すべてのステージを同一科で診るということは、早期発見から終末期のサポートまで、一貫して患者さんに関われるということです。内視鏡検査でがんの早期発見・治療につながる可能性もありますし、胃もたれで外来受診した患者さんが終末期とわかれば、精神的な部分で力になれるかもしれない。

がんと診断された患者さんは、1年以内に自殺するリスクが24倍になるというデータもあります。緩和ケアをなるべく早い段階から取り入れる重要性を痛感していたので、東大和病院の診療のあり方には非常に共感しました。初期・後期研修を終え、現在は消化器内科・緩和医療科で勤務し、緩和ケア外来も担当しています。

──緩和ケアに携わる中で、どんな点を大切にされていますか。

最近ではよく「テーラーメイド治療」と言いますが、がんの遺伝子を調べ、その人に適応する化学療法を実施するといったように、一人ひとりに合わせた治療をしようという流れが生まれています。緩和ケアも同じです。痛みや死の恐怖に対する受け入れは、人によって様々。恐怖感や不安から「いつ死んでもいい」と本心にないことを仰る方もいれば、非常に穏やかに受けとめる方もいます。

その患者さんの本来の価値観は、最期が近づくにつれ顕著に表われます。相手を見て、今どんな気持ちなのか、どんな言葉を待っているのかをつかんで、求めているサポートができるようにいつも心がけています。たとえば若い方ならお子さんのことを、年配の男性なら以前働いていたときのことを聞いてみるとか。その人のコアな部分に触れることができると、患者さんの表情は驚くほど変わります。

東大和病院では、消化器だけでなく、他科で入院している患者さんのメンタル面のサポートにも入ります。話を聞くだけで落ち着く方も多いですね。「明日のことはまだわからないけれど、とにかく今日は、話を聞いてもらえて安心しました」という反応がある。そこが、緩和の一番大切なところだと思います。患者さんのスピリチュアルペインをちゃんと把握できると、信頼関係が生まれます。心を開き「実は痛みがあったんだけどうまく言えなくて…」と本音を話してくれるようになって、肉体的な治療につながることもあります

──緩和ケアに携わる中で、どんな点を大切にされていますか。

そうですね…一番最初にお会いするときはしっかり自己紹介することを心がけていますが、それはどのガイドラインやマニュアルにも書いてあることで、特別なことをしているわけではないと思います。でも、私はマニュアル通りの顔ではないので、共通点を示して安心感を持ってもらうこともあるし、逆に“同じではない”ことをきっかけに心の距離が縮まることもあると感じています。

たとえば、最初に私の顔を見て驚かれる方も多いんです。そこで、あえて明るく「びっくりしたでしょ。でも大丈夫。日本語、わかります」と語りかけると、患者さんも「あぁ、よかった」と少し緊張が解けて笑顔が見られます。ただ、当然ですがそれも患者さんによって違います。定型の文言や対応はなくて、相手をしっかり見れば、自然に言葉が出てくるのです。

私が患者さんに伝えたいのは、「医師とか患者とか関係なく、一人の人間としてこれからサポートさせていただきたいと思っています」ということ。緩和ケアは、患者さんがなるべく居心地よく過ごしてくださることが一番大切です。だから、向き合う中で「主役はあなたです」ということは一生懸命伝えようとしていますね。今後は、より緩和に軸足をおいた活動に注力していきたいと思っています。そのうちの一つとして、山梨県忍野村にあるお寺と個人的に連携して、緩和ケアの勉強会を開催しています。

──なぜ、お寺とコラボしようと考えられたんですか?

もともと住職夫妻と友人だったんです。私自身、まだ宗教的な知識は浅い部分がありますが、仏教の“今、ここ”に焦点をあてる考え方に、緩和ケアとの親和性を感じました。「これからどうなる」とか「これまでどうだった」ではなく、目の前の“今、ここ”を中心に考えるところや“幸せをいっぱいつくるのではなく、せめて苦労を減らす”という緩和医療の考え方は、仏教の「抜苦与楽」にも共通するところがあります。

2015年11月に、志を同じくする7人の仲間たちと「富士北麓緩和ケア研究会」を立ち上げ、住職も緩和ケアに参加できるようにと、認定臨床宗教師の資格を取得されました。現在は、会員も30名ほどに増えて、市民を中心として医師、歯科医師、薬剤師、看護師、介護士、医療ライター、宗教者など、様々な職種の方も交えて月1回の勉強会を開催しています。

そのほか、地域の方への啓蒙活動として、緩和ケアに関する講演会をはじめとして、富士吉田市で医療や介護、子育てなどについて自由にお話ができるカフェ「おしゃべりば か・ん・わ」、会員の薬剤師さんがくすりや健康について語らう「おしゃべりば」、がん治療に精通する看護師さんたちが主催する「がんカフェ」なども開催されるようになりました。

今後はどんなことにチャレンジしたいですか。

病院での活動としては、入院中のがん患者さんが痛みを我慢するという状況を、なるべくゼロに近づけたいと思っています。患者さんご自身がどうすればいいのかわからず、主治医にも本音を言えないという状況をいかに解消していくか。そのためにも、より全面的な緩和ケアの提供を目指しています。たとえば、牧師さんにスピリチュアルケアに参加してもらうなど、より多様な人と触れ合える終末期のケアが理想ですね。

忍野村のお寺は、ゆくゆくはレスパイトハウスのような場所にできればと考えています。患者さんとご家族がちょっと一息ついて、休憩できるような場所。いろんなゲストの話を聞いたり、ピアノコンサートのようなイベントがあったり…。難しいことはできないかもしれないけれど、周囲の人々の想いによって私がこの国につなぎとめられたように、私の想いが誰かにつながって、どんどん広がっていくといいなと思っています。


バレンティナ・オスタペンコ

1965年生まれ、ウクライナ共和国出身
1988年 ドニプロペトロブスク医科大学を首席で卒業
1992年 旧ソ連国立がんセンター大学院修了。放射線医学博士号を取得
ドニプロペトロブスク医科大学講師
1993年 日本とソビエト連邦共和国の共同がん研究のため来日。関西医科大学放射線科の研究員としてがん治療の増感方法に関する研究に従事
1999~2011年 民間病院でハイパーサーミアの臨床に携わる
2011年 日本医師国家試験合格
     東大和病院で初期臨床研修医となる
2013年 同院消化器内科の後期研修医となる
2016年 後期研修修了後、同院消化器内科に入局、現在に至る

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