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「診療科の隙間を埋める」院長の挑戦とは―中山明子氏

2021年1月15日

大津ファミリークリニック(滋賀県大津市)院長の中山明子先生。外来、訪問診療をしながら、家庭医として、相談先を見つけにくい思春期の子どもや女性のケアに力を入れています。「隙間を埋めていくのは家庭医の役割」と考える中山先生に、現在の取り組みにかける思いを伺いました。(取材日:2020年6月23日)

ドラマ「外科医 有森冴子」に憧れるも……

——医師を志した理由から教えてください。

小学校6年生の頃に、テレビドラマ「外科医有森冴子」を見たことが最初のきっかけでした。タイトル通り、有森冴子は外科医なのですが、人の生活に踏み込むおせっかいな医師なんです。それがなんだかとても格好いいと思って、その話を母にしたら「医師を目指してみたら」と言われて。それまで自分が医師になるなんて考えたこともなかったのですが、次第にその道を意識するようになり、岡山大学医学部に進学しました。ですから、入学当時は外科志望でした。

——外科医志望だったのに、なぜ家庭医の道を選んだのですか?

大学3年時の夏休み中に2週間、アメリカの家庭医療・総合診療の現場を見学させてもらう機会がありました。高度医療を提供するミシガン大学の病院に、1つの分野に専門特化せず、子どもから高齢者まで幅広く診ている医師がいることに衝撃を受けたのです。

帰国後、見学の機会をくださった先生が、国内で家庭医が勤めている診療所を教えてくださいました。日本での家庭医療を見学し、「将来、外科や他の診療科に進むにしても、家庭医療を勉強することは必ず役に立つ」と思うように。病院実習で回る診療科はどこも楽しかったのですが、1つの専門に絞って突き詰めていくより、幅広く診られる家庭医療に携わりたいと思うようになりました。

——家庭医の道に進もうと決めて、研修先はどうしたのでしょうか?

総合診療領域でしっかり診断・治療のスキルを身につけられること、救急患者受け入れ件数が多く経験をしっかり積めることから、初期研修は洛和会音羽病院(京都府京都市)で受けました。同病院に3年間在籍した後、亀田総合病院・亀田ファミリークリニック館山(千葉県)の家庭医療専門医研修プログラムを修了しました。

——亀田総合病院のプログラムを選んだのはなぜですか?

今取り組んでいることにもつながりますが、初期研修2年目の時に家庭医療学会(現 プライマリ・ケア連合学会)の性教育セミナーに参加しました。そこでウィメンズヘルスに関心を持ち、思春期の子どもたちは意外と相談先がないことに気づいたのです。小児科、内科は年齢や相談内容的にどちらも少し違いますし、かといって婦人科や精神科にも行きづらい。とてもモラトリアム的な時期です。「子どもたちの相談先となり、隙間を埋めていくのは家庭医の役割ではないだろうか」と考えたのです。

家庭医療の研修先は、高齢者が多い地域であることがほとんどです。それに加えて、多くの子どもが診られて産婦人科研修、マタニティケア、ウィメンズヘルスも勉強できる施設となると、亀田総合病院が最適だと考えました。

「相談先がない」をなくす

——現在はどんな取り組みをしていますか?

私が院長を務める大津ファミリークリニック(滋賀県大津市)では、外来と訪問診療を中心に行っています。園城寺という大きな寺院の目の前にあり、周辺に住宅地が少ないエリアなので、外来よりも訪問診療がメインです。外来患者数が少ないこともあり、子どもたちや女性のケアにじっくり取り組めています。

また、洛和会音羽病院と合同で行っている総合診療研修プログラムの研修施設になっています。現在2人の専攻医が在籍しており、彼らの指導にも携わっています。

——思春期の子どもたちや女性のケアについて、詳しく教えてください。

子どもたちは一人ひとり悩みを持ち、どう解決していいか分からない不安や葛藤を抱えながら大人に成長していきます。そのため、本格的に医療につなげなければいけない子どもは少数です。ただちょっとした相談先が必要な子どもに対しては、相談相手になって一緒に考えていけたらと思っています。

2018年秋頃から、発達障害も積極的に診るようになりました。近所にある子ども発達相談センターの発達障害研修会への参加を機に、相談センターでは医療機関でないため処方ができないジレンマを抱えていることを知りました。そこで、紹介できる医療機関の一つに当クリニックを入れてもらい、連携し、アドバイスをいただきながら診療しています。

現在は、ADHDの診療にも取り組んでいます。診療して分かったことは、ADHDの薬を処方してくれる小児科が少なく、精神科では子どもゆえに躊躇され、ADHDの子どもたちの行き場がなくなってしまっているケースがあることです。家庭医だからこそこの隙間を埋められると私は思っています。子どもの問題だけでなく、ご家族の相談にも乗れるので、取り組む意義を感じています。

——女性のケアについてはいかがですか。

女性に関しては、通常のプロブレムから月経困難症やPMSなどの月経関連の問題、うつ病、パニック障害などのメンタルヘルスを診察しています。中でも、産後うつ病の女性は、精神科では「授乳中の方は診られないから、断乳してから来てください」、産婦人科でも「精神的な相談は受けられません」と言われてしまうことがあります。しかし、産後うつ病の女性は一定数いますし、こじらせてうつ病になってしまう可能性もあります。どの診療科でもあまり診てもらえないからこそ、守備範囲の広い家庭医の役割だと感じています。実際に、2–3年程お付き合いをして、最後は全ての薬を止められて卒業されていった方もいます。

1人でも多くの人の支えになりたい

——今後の展望は、どのように描いていますか?

縁あって大津ファミリークリニックに赴任して、2018年から院長として勤務しています。院長になってからは、臨床以外にもマネジメント業務や医師会とのお付き合いもあり、とても楽しくやりがいを持って日々過ごしています。

大津に来て6年経ち、地域性もだいぶ分かるようになったので、そういった意味でも面白さを感じています。自分が取り組みたいと思っていた思春期の子どもたちやウィメンズヘルス、さらには家庭医の教育にも携われているので、引き続きこれらのことに力を注ぎ、1人でも多くの人の支えになりたいと思います。また、同じ思いを持った家庭医仲間が増え、共に働けると、なお嬉しいですね。

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