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准教授のママ医が、常勤にこだわる理由―共働き医師のキャリアvol.1(前編)

2021年1月27日

最近では当たり前になりつつある、夫婦共働き。特に医師は、仕事の頑張り時と出産・育児の時期が重なりがちです。医師23年目の三澤園子先生は、仕事と家庭の両立に悩みながらもフルタイム勤務を続け、現在は千葉大学病院脳神経内科の准教授と2児の母、2つの顔を持ちます。前編では、三澤先生のキャリアについて伺いました。(取材日:2020年11月2日)

「世の中の役に立っていない」で一念発起

三澤園子先生(本人提供)

——脳神経内科の准教授に至るまで、三澤先生はどのようなキャリアを歩まれてきたのでしょうか。

私は初期臨床研修がない世代なので、医学部卒業後、すぐに脳神経内科に進みました。脳神経内科は、画像や採血結果を見て診断ではなく、病歴と神経学的所見から神経系のどこに異常があるのかを類推して診断を組み立てていくところにおもしろさを感じたからです。

でも、医師2年目には「自分の専門しか診られない医師になりたくない、ジェネラリストになりたい」と思って、自らの希望で総合病院の内科をローテーションさせてもらいました。

その後は医師5年目に千葉大学大学院に入学以降、末梢神経疾患を主な対象とした臨床と研究に専念した脳神経内科医として今に至ります。

——ジェネラリスト志向が、研究を行うスペシャリスト志向に変わった理由は何ですか。

大学院の指導教官(現在の教授)に恵まれて研究の楽しさを教えてもらったことと、大学院在学中に「自分の研究が世の中の役に立つまで頑張りたい」と思ったからです。

というのも、私の大学院の研究テーマは「糖尿病性神経障害のイオンチャンネルの病態」だったのですが、在学中、研究成果を世の中に生かせるビジョンが持てなくて……。夫にも「一生懸命やっているけれど、君の研究は誰かの役に立っているの?」と言われた時、何も言い返せませんでした。そこでようやく「世の中の役に立つまで研究を頑張りたい」という思いが芽生え、そのうちに新薬の開発研究に出会うことができました。これなら患者さんの役に立てるという思いがやりがいにつながって、今も続けられています。

——三澤先生は准教授になるまで、どのようにキャリアアップを実現してきたのですか。

助教、講師までは上のポストが空くと自動的に上がりました。准教授になれたのは少しイレギュラーで、千葉大学が行っている女性研究者支援プログラムのおかげです。これは毎年千葉大学全体で1人だけ女性研究者を1階級昇任させる制度で、おそらく私の論文数などの実績が評価されたのではないかと思います。

——今現在は、どのような働き方をされていますか。

常にフルタイムで働いており、当直や休日の日直もしています。規定の勤務時間は8時30分~17時15分ですが、院内保育・学童に預けている子どもたちを迎えに行くのは19時半頃です。

遅くなってしまうのは、診療以外にも研究や教育があり、加えて、学外の業務、つまり学会の仕事や講演、総説執筆などのためです。どんな仕事にも必ず学びがあると思い、仕事は頼まれたら、基本、お引き受けします。ですが、時間外や土日を使うことになり、自分の時間はほぼありません。子どもが生まれたばかりの頃は「自分の時間が欲しい!」とものすごく思っていましたが、最近では、あまり何とも思わなくなりました。でも、時々はゆっくりお茶を飲みながら本を読んだり、自分の好きな映画を見たりしたいです。映画は子どもたちの好きな映画しか見せてもらえないので。

——ちなみに、同じく医師として働かれているご主人のキャリアも教えてください。

夫は消化器が専門で、出会った当初は医局に所属していましたが、その後はクリニック勤務を経て、今は開業しています。

仕組みを変えれば、貢献の幅が広がる

現在勤務されている大学病院で教授と(写真:三澤園子先生提供)

——三澤先生が2003年に立ち上げた女性医師のネットワーク「立葵の会」の立ち上げ経緯と、2020年現在の活動内容について教えてください。

もともと私たち世代の女性医師は結婚や出産を機に離職する人も少なくなく、「もったいない」と思っていました。その思いを活動に変え、女性医師が生き生きと働き、活躍する方法を一緒に考えたいと思って「立葵の会」を立ち上げました。

女性医師と言ってもいろいろな立場がありますが、一番支援が必要なのは育児中の女性医師だと考え、彼女達の役に立つ方法を探っていました。ですが、育児中は皆忙しく、年1回の講演会が精一杯でした。でもそれだと発展性がないと思い、昨年、多くの皆様のご支援を得て、千葉大学病院内に医師キャリア支援センターを立ち上げました。これで講演会にとどまらず、仕組みや制度を整える下地ができたと思います。

——三澤先生が出産された10年ほど前と比べて、家事・育児と両立する医師は増えましたか。

女性医師は同じ境遇の仲間が増えてきました。私の出産後、同じ医局の後輩が出産後も常勤で頑張り、私が医局長の時に副医局長を務めてくれるなど、後に続いてくれました。女性医師支援も一緒に取り組んでくれて、2人で一緒に前に進められたように思います。

このように育児中の女性医師は増えてきたものの、男性の育休実績などはまだありません。医局には家事・育児も頑張る男性医師がたくさんいますが、女性医師以上に、周りからの理解を得たり、仲間をつくったりするのに苦労している印象があるので、何かしら支援していきたいと思っています。

——三澤先生は長年常勤医を続けられていますが、改めて常勤で良かったと思うことは何ですか。

仕組みを変えたり作ったりする側になれることです。

医師の場合、誰もが「目の前の患者さんを救うにはどうしよう」という課題に取り組むと思いますが、働き続けることで、病院の課題、日本全体の医療の課題へと問題意識が変わるように思います。この時、仕組みを変える側や作る側になれれば、自分が診察にあたる目の前の患者さんだけでなく、より多くの患者さんも救えることになり、貢献の幅が広がると思っています。

また、患者さんは男女、ほぼ同数にもかかわらず、病院の管理職層は男性がほとんどです。女性目線の意見が患者さんの役に立つこともあるのではないかと思っています。

——今後のキャリアプランを教えてください。

初期研修義務化、専門医制度改革などにより、医局の在り方はこれまでも大きく変わってきて、今後はさらに変化すると思います。というのも、大学病院が若手にとって魅力的ではない場所になってきているのではないかという危機感を感じるからです。

様々な視点があると思いますが、教育や研究面では、医局は非常に意味のある場所だと思います。これからの若手に選んでもらえるように、地域医療や病態研究に限らず、多様な教育が受けられる環境をつくり、魅力的な医局づくりに貢献できたらと思っています。

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