1. m3.comトップ
  2. キャリアデザインラボ
  3. キャリア事例
  4. 事例
  5. 専門資格取得で立ちはだかった「小学校の壁」―女医キャリアの壁vol.1(中編)
事例

専門資格取得で立ちはだかった「小学校の壁」―女医キャリアの壁vol.1(中編)

2020年8月11日

学生時代に第1子をもうけた林安奈先生は、研修医時代に第2子を出産されました。幼い子ども2人を育てながらの研修は困難を極めましたが、子育てと並行して精神保健指定医と専門医も取得しています。周囲のサポート状況や、ご自身のモチベーションの保ち方などを伺いました。(取材日:2020年7月8日)

2人のお子さんを抱えながら、大学院を修了(写真:林先生提供)

ある言葉がきっかけで、精神科医として歩むことに

——2人目のお子さんの妊娠がわかった時は、どのような状況でしたか?

第2子の妊娠がわかったのは、初期研修が始まって半年が経ち、循環器内科をローテートしていた頃でした。第2子も早めに授かれたらと考えてはいたものの、いざそうなってみると第1子の時よりも「どうしよう!」と慌てましたね。女子医大は初期研修の2年間に90日以上休むと研修期間が延びる仕組みなので、それは避けたいという思いもありました。経産婦で妊娠中の経過も順調だったので、産前産後休暇が90日を超えないように、ギリギリまで働きました。初期研修2年目の4月1日から産休に入り、同月下旬に出産。産後2ヵ月で復帰しました。

——復帰後、研修はスムーズに進められたのでしょうか?

スムーズにいかないこともありましたが、周囲の支えがあって乗り切ることができました。月の途中から復帰したため、その科目は残り10日ほどの研修期間というタイミングでした。2人目の子どもはまだ小さかったこともあり、当直を免除してもらえないか打診してみたのですが、難しいと。復帰初日が当直になり、子どもを夜間保育に預けて、ことなきを得ました。それ以外の日は、第1子同様、家族のサポートを受けながら、初期研修を続けました。

——後期研修開始時に精神科へ入局を決めた理由を聞かせてください。

まず、幼い子どもを2人育てながら外科系科目に入局するのは難しいと思いました。当時も泌尿器科の移植医療に興味がありましたが、臓器提供が出ると夜中でも取りに行かなくてはなりません。私にそれができないことは明らかでした。

ただ、後ろ向きの理由で精神科にしたわけではありません。精神科の教授から「移植前面談は精神科が担う」と聞き、手術ができなくても移植医療に関わることができると知ったんです。私はもともと脳に興味があって医師になりましたが、精神科は脳とも親和性があります。泌尿器科の先生は「来てほしいけれど、精神科医としてサポートしてくれることも十分うれしい」とおっしゃってくださり、精神科に進むことに決めました。

後期研修中に産業医の資格を取得

——後期研修時代はどういった働き方をされたのでしょうか?

ルール上は外病院にアルバイトに行けるのですが、自分はまだ勉強不足なような気がして、週2日、大学と外病院でアルバイト当直をしていました。自宅では子育てに追われて毎日バタバタでしたが、当直に来ると1人で入浴できるのでリフレッシュできる貴重な時間でもありましたね。ただ、授乳期間中で体調はまだ万全とは言えませんし、夜中に患者さんの急変もあります。体力、時間ともに厳しい1年間でした。

後期2年目は、医局長に相談して医局外の精神科クリニックでアルバイトをしました。しかし、紹介されたところがトラブルに見舞われて退職。「別の手立てでお金を稼がねばならない」と思い、その年の夏に産業医の資格を取得しました。

産業衛生は精神科とも親和性があり、やりがいを感じられる領域です。精神科の外来でも、過重労働によってメンタル不調になった方を診ていたので、早い段階での医療介入が大切だと思っていました。企業の方と課題に向き合い、労働環境を改善することで、メンタル不調に陥る人を減らせることに意義を感じています。

指定医取得前に直面した「小学校入学の壁」

——子育てをしながら、精神保健指定医や専門医を取得されたそうですね。

はい、そうです。精神保健指定医を取得するには措置入院の症例を経験する必要がありますが、女子医大は対象の病院ではなかったので、吉祥寺病院(精神科の単科病院)に1年ほど出向しました。

指定医はレポートが重要視されるので、上の先生に相談しながら必死で書きました。ところが、提出する直前になって、ある症例が使用できないことがわかって──。青ざめながら吉祥寺病院の医局長に相談しました。もう間に合わない……と半ば諦めていたのですが、翌々日になってソーシャルワーカーから「類似の症例が入院します」という知らせがありまして。実は相談後、医局長がすぐに症例を手配してくれていたのです。そうした周囲の助けがあり、2018年9月に指定医を無事に取得することができました。

同じ年の11月には専門医も取得しました。取得に必要な症例は指定医の時と重なる部分があるので、レポートを加筆して提出。その後、筆記試験と面接を経て合格しました。

——指定医・専門医の取得を振り返り、最も大変だったことは何でしょうか?

専門医のレポート提出時期は、ちょうど第1子が小学校に入学するタイミングでした。そこで「小学校の壁」に直面しましたね。 保育園の頃は、夜遅くまで延長保育があり、夕食まで済ませてもらえるので、お迎えのあとはお風呂に入れて寝かせるだけでした。小学生も放課後は学童保育がありますが、夕食は出ないので遅くまで待たせることはできません。吉祥寺病院に相談して帰宅時間を調整し、17時半には退勤できるようにしていました。帰宅後は、第1子が夕食をとっている間に、保育園へ第2子を迎えに行っていましたね。

そうした慌ただしい生活を送っていたので、レポートを書く時間の捻出と、自分のモチベーションの維持に苦労しました。なるべく勤務時間中にレポートを書き進め、通勤電車の中や、子どもが寝たあとのわずかな隙間時間も使って完成させました。 今思うと、この時も「キャリアの壁」を感じましたが、これは子どもの有無は関係なく、医師が必ず通る道です。勉強と子育ての両立は大変でしたが、「やるしかない!」と意気込んで、切り抜けました。(後編へ続く)

同テーマの記事シリーズはこちら

仕事とプライベートを両立しながら働きたい女性医師の方へ

結婚・出産・育児・介護などを考えると、今の勤務先は続けにくいとお悩みではありませんか。

エムスリーキャリアは全国10,000以上の医療機関と提携し、以下のような希望を叶えられる求人もお預かりしています。
●オンコール・当直・時間外勤務なし
●複数体制で急な休みが取りやすい
●院内保育園完備、保育所までの送迎あり

ご希望であれば女性のコンサルタントが担当いたしますので、お気軽にご相談ください。

この記事の関連キーワード

  1. キャリア事例
  2. 事例

この記事の関連記事

  • 事例

    7割の家事を担う、常勤パパ医師の胸中

    千葉大学病院 脳神経内科で特任助教を務める荒木信之先生は、産婦人科医の妻とともに、2010年からキャリアと家事・育児の両立を試みてきました。お子さんが10歳になった今も、荒木先生は大学病院で働きつつ、家事の7割を担当しています。子持ち医師のプライベートを、夫目線でお話いただきました。

  • 事例

    非常勤も経験 パパ脳神経内科医の処世術

    千葉大学病院 脳神経内科で特任助教を務める荒木信之先生。2010年に子どもが産まれてからは、産婦人科医の妻よりも多くの家事・育児を引き受け、時には非常勤勤務に切り替えるなど、仕事と家庭を両立する働き方を探り続けてきました。医師の研鑽を積みながら、共働き・子育て生活を10年続けて、今思うこととは。

  • 事例

    不公平?2児の女性医師が抱える家庭事情

    最近では当たり前になりつつある、夫婦共働き。千葉大学病院脳神経内科准教授の三澤園子先生は出産のタイミングに悩み、34歳、40歳で2児を出産。今も仕事と家庭の両立方法を探り続けています。後編では出産・育児にまつわるエピソードと、共働き夫婦でキャリアアップするための秘訣を聞きました。

  • 事例

    准教授のママ医が、常勤にこだわる理由

    最近では当たり前になりつつある、夫婦共働き。特に医師は、仕事の頑張り時と出産・育児の時期が重なりがちです。医師23年目の三澤園子先生は、仕事と家庭の両立に悩みながらもフルタイム勤務を続け、現在は千葉大学病院脳神経内科の准教授と2児の母、2つの顔を持ちます。前編では、三澤先生のキャリアについて伺いました。

  • 事例

    院長のラブコール「帰ってこい」Uターン医師の新たな挑戦―光田栄子氏

    お看取りのあり方に課題を感じ、介護士から医師に転身した光田栄子先生。諏訪中央病院を経て、現在、岡山市内のベッドタウンにある有床診療所「かとう内科並木通り診療所」に勤めています。地元にUターンした光田先生がこれから取り組んでいきたいことについて、お話を伺いました。

  • 事例

    「診療科の隙間を埋める」院長の挑戦とは―中山明子氏

    大津ファミリークリニック(滋賀県大津市)院長の中山明子先生。外来、訪問診療をしながら、家庭医として、相談先を見つけにくい思春期の子どもや女性のケアに力を入れています。

  • 事例

    「自分が理想とする糖尿病診療を追い求めて」開業へ

    小児糖尿病の宣告を受けるも、「糖尿病だってなんでもできる」という医師の言葉をお守りに自らも医師を志すことを決意した南昌江内科クリニック(福岡市)の院長、南昌江先生。現在の糖尿病専門科医院を経営するようになった軌跡を伺います。

  • 事例

    小児糖尿病にならなければ、医師の私はいない

    福岡市にある糖尿病専門科医院、南昌江内科クリニックの院長・南昌江先生は、ご自身が中学2年生の際に小児糖尿病を宣告された身の上です。病気を発症した前編に続き、今回は医療への水差し案内人となった医師との出逢いや転機となった出来事について伺います。

  • 事例

    14歳で1型糖尿病「前向きに考えて生きなさい」

    14歳の夏、”小児糖尿病”の宣告を受けた南昌江先生。その数年後、両親や主治医、同じ病気の仲間たちに支えられ医学部受験、医師になるという夢を果たしました。前編では、病の発症、闘病生活について伺います。

  • 事例

    医学生から育児を両立して約10年… 支えとなった言葉

    二人のお子さんが就学し、育児から少し手が離れてきた林安奈先生。現在は、クリニックや大学病院での診療のほか、産業医業務にも注力されています。今日に至るまで、さまざまな壁を乗り越えてきた林先生の支えとなったのは家族の存在、そして、ある医師に言われた言葉でした。

  • 人気記事ランキング