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「学生時代に結婚・出産」から始めた医師キャリア―女医キャリアの壁vol.1(前編)

2020年8月11日

女性医師のキャリア形成において、結婚や出産は重大テーマです。医師として経験を重ねる時期と子育ての時期は重なりがちで、そこに「キャリアの壁」を感じるケースは少なくありません。林安奈先生は大学在学中に結婚・出産を経験し、学業や仕事と子育てを両立してきました。約10年前の当時を振り返りながら、子どもから少し手が離れた今だから思うことについて語っていただきました。(取材日:2020年7月8日)

生後半年のお子さんと一緒に、卒業式に参加される林先生(写真:林先生提供)

5年生でわかった妊娠に、喜びと戸惑い

——医師になろうと思った経緯から聞かせてください。

子どもの頃から「人間」に興味があったことが、一番の理由だと思います。人間の体はなぜ動くのか、脳はどうやって体に指令を出しているのかなどが不思議で、それについて知りたがっていました。また、祖父が厚生労働省の医系技官だったことも影響しています。祖父は日本の医療のために尽くし、若くして亡くなりました。そのことを聞かされて育ったので、幼心に「死」を身近に感じていました。自分が医師になれば、人間や死について何かわかるのではないかと思い、医学の道を志したのです。

——林先生は東京女子医科大学の出身ですが、医学生時代はどのようなキャリアプランを思い描いていましたか?

脳の構造に興味があったので、入学当初は脳神経外科に進みたいと思っていました。ただ、一方で両親から「女性医師は婚期が遅くなりやすいので、結婚したいなら早いうちがいい」と言われていて──。それも一理あると思い、学生のうちに結婚も出産もできたらいいなと考えていました。

あるフィールドワークに参加したときに、縁あって一般企業勤務の男性と知り合い、交際を経て大学4年生で結婚しました。交際期間中から「6年生になると卒業試験や国家試験が控えているし、その後の初期研修もとても忙しい。早いうちに結婚しないと時間がなくなってしまう」とは伝えていましたね。結婚した翌年、5年生の終わり頃に第1子の妊娠がわかりました。

——妊娠が判明した時は、どのような心境だったのでしょうか?

もちろん嬉しかったのですが、「どうしよう」という気持ちがあったのも正直なところです。出産予定日は6年生の秋で、卒試のまっただ中。いざ現実を前にすると、途方に暮れました。

ただ、女子医大には私と同じような学生が年に2~3人いると聞いていました。つてを辿ってその方々に相談し、キャリアの参考にしました。国試を1年遅らせる選択肢があることも知りましたが、当時の私は「自分で望んで子どもを授かったのだから、子どもを言い訳にしたくない」という気持ちが強く、予定通り試験を受けることにしました。出産まで10カ月の準備期間があるのだから、きっと大丈夫。みんなと同じように勉強していれば受かるはず、と半分開き直っていました。

産後4日目。予定通りに卒試

——ご出産当時のお話をお聞かせいただけますか。

女子医大は数ヵ月にわたって卒試の期間が続きます。私の頃は月曜日が試験で、火~木曜が試験直前講座、金~日曜が休みというスケジュールでした。陣痛が来たのは9月上旬の木曜日、講座中でした。女子医大病院で出産予定でしたが、一人で産婦人科まで行くことができず、友達に車いすに乗せてもらって受診。その日のうちに第1子が産まれました。

出産から4日後の月曜日には、赤ちゃんをナースステーションに預けて、予定通り試験を受けました。この話をすると驚かれるのですが、想定内のことでしたので、妊娠中から看護師に相談していたのです。

ただ、退院してからは過酷でした。あくまでも学生ですから、産休もなければ育休もありません。子どもの月齢が2カ月(生後57日)になるまでは保育園にも預けられないので、自分と家族で何とかするしかありませんでした。あの時期が、私のキャリアで「第一の壁」だったと思います。

——どのようにして卒試、国試を乗り切ったのですか?

生まれて数カ月間の赤ちゃんは、昼夜逆転の生活リズムです。そのため、私もそれに合わせた生活をしていました。昼間は一緒に寝て、夜に授乳をしながら試験勉強をして──。赤ちゃんの生活リズムが整ってくると、日中の機嫌のいい時間に世話をしながら勉強。夕方以降は“黄昏泣き”をするので勉強は諦め、赤ちゃんを抱えて買い物に出掛けたり、夕食を作ったりしていました。自分が使える時間を把握して、その中でやれることを全力でやる日々でした。

でも私一人で抱え込んでいたわけでなく、周囲のおかげで卒試も国試も無事に合格できたと思っています。夫はもちろん、自宅から徒歩5分の距離に住む義理の両親、隣県にいる両親や実妹が交替で赤ちゃんの世話を手伝ってくれました。まさに、家族総出のサポートをしてもらいました。

卒業証書を手にする林先生(写真:林先生提供)

——幼いお子さんを育てながらの初期研修も大変だったのではないでしょうか?

そうですね。研修先を選ぶ時期はお腹が大きかったので、外病院では全然マッチングせず、現実の厳しさを突き付けられました。ただ、女子医大は院内保育が整っていることを知っていましたし、在学中に複数の科の先生と面談をして信頼関係を築けていました。何より母校で安心感があったので、最終的に女子医大で初期研修、後期研修を受けることにしました。

最初に回ったのは、自分で選択した泌尿器科。学生時代に見学して、移植医療に興味を持ったため、本気で入局を考えていたのです。研修医が少なかったこともあり、通常はなかなかできない手技を教えていただくなど、丁寧な指導を受けられました。 その次に回ったのは循環器内科です。忙しい科であることは承知していたので、最初のうちに子どもがいることを伝えました。当時、月・水・金曜日は夜間も院内保育があったので、当直はなるべくその曜日に入れてもらいました。当直の途中で授乳に行くこともでき、本当に助かりました。

誰に何を相談すべきかわからなかった

——周囲の協力や理解を得るために努めたことはありますか?

例えば、当直日程を決める時に「あの人は子どもがいるから」と嫌味を言われるぐらいは、仕方ないなと割り切っていました。周囲と同じように働けない負い目はありましたが、その分、自分ができることを精いっぱいやるように努めました。土日も、日中であれば院内保育所が子どもを預かってくれたので、敢えて土日に出勤することもありました。

——当時を振り返って、自分に伝えたいことがあれば教えてください。

とにかく「使えるもの(制度・人)は何でも使え!」と言いたいですね。当時の私は、「自分の意思で若くして子どもを産んだのに、周囲に配慮を期待するのは違うのでは?」と思い込んでいました。

研修医時代、当直の最中に院内保育所から「お子さんが発熱しました」と電話がかかってきたことがありました。夫は迎えに行けない状況だったので、仕方なく子どもを当直室に連れてきて、一緒に当直をしました。あの時、上の先生に状況を説明すれば、別の方法があったのかもしれません。でも、誰に何を相談すればいいのかわからなかったのです。

幸いにして、私の場合は家族の支援を受けられたので何とか乗り越えられましたが、人によっては頼れないこともあるかと思います。その場合は、保健師に相談したり、自治体のファミリーサポートや民間のベビーシッターなどを利用したりするといいと思います。私が“子育てリソース”の大切さに気づいたのは、第2子が生まれて、精神科医になったあとです。(中編に続く)

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