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院長のラブコール「帰ってこい」Uターン医師の新たな挑戦―光田栄子氏

2021年1月25日

お看取りのあり方に課題を感じ、介護士から医師に転身した光田栄子先生。諏訪中央病院を経て、現在、岡山市内のベッドタウンにある有床診療所「かとう内科並木通り診療所」に勤めています。地元にUターンした光田先生がこれから取り組んでいきたいことについて、お話を伺いました。(取材日:2020年10月20日)

お看取りに課題感…介護士から医師へ

——介護士だった光田先生が、医師を志した経緯を教えてください。

私は、特別養護老人ホームで介護士として5年間働いていました。施設には嘱託医がいましたが、関連の入院施設はなく、具合が悪くなった利用者さんは近くの病院に入院して、そこで亡くなることが多かったんです。それを見て「近くの病院よりも、この施設で最期を迎えた方が絶対良いお看取りができる」と思っていました。しかし、介護士では利用者さんの「痛い」「苦しい」には対応できず、施設内で利用者さんの苦痛を緩和できる医師を探してくるあてもなく……。それなら、自分が医師になった方が早いのでは、と無謀にも思ったんです。

それで仕事を辞め、医学部進学のために予備校通いを始めました。アルバイトをせず勉強に専念していたので、金銭的な余裕はなく、2年間で合格しなかったら諦めようと決めていました。幸い、2年目の受験で岡山大学医学部に合格することができました。

——将来、進む診療科については悩みませんでしたか?

人が最期を良い形で過ごすためには、おそらく医師の力が必要で、その部分で役に立てる医師になりたいと考えていたので、臓器別の診療科に進むことは全く考えていませんでした。大学のサークル活動で総合診療や家庭医療を知り、「私の道はこれだ!」と思い、家庭医療の道に進むことを決めました。そして、自分が憧れていた先輩医師におすすめの研修先を聞き、その中の1つだった諏訪中央病院(長野県茅野市)で初期研修、家庭医療後期研修、緩和ケアの研修などを受け、2019年4月から、故郷・岡山県岡山市にある「かとう内科並木通り診療所」に勤めています。

世代交代が進む診療所での課題

——もともと岡山県に戻る予定だったのですか?

いずれは戻るつもりでしたが、具体的な時期までは決めていませんでした。諏訪中央病院に6年勤務し、そろそろ違う地域を経験してみようかと考え始めていた頃に、当診療所の加藤恒夫院長からお声がけいただいたのです。「私も70代になってそろそろ限界だ。もう帰ってこないか。一緒に働こう」と。

加藤院長には医学生時代からお世話になっていて、諏訪中央病院に勤めている間も、ずっと気にかけてもらっていました。私自身、いつか加藤院長と一緒に働きたいと思っていたので、「もし、加藤院長が病気で倒れて働けなくなったら後悔する」と思い、当診療所に勤務させてもらうことになりました。

——かとう内科並木通り診療所に勤めて1年半。外来や病棟、訪問診療での診療に携わっていく中で、どのようなことに課題を感じていますか?

当診療所は、加藤院長が開院してから約30年間、心血を注いできた場所です。加藤院長は毎年ヨーロッパで開催される緩和医療学会に出席され、最新の情報を得てこの地域で緩和医療を実践されてきました。「この地域で緩和ケアといえば、かとう内科並木通り診療所」と言われるほど、地域から厚い信頼が寄せられています。

そういった歴史がある中で、加藤院長が少しずつ診療から手を引いて、代替わりする時期が近づいてきています。これまでは、加藤院長をみんなで支えるトップダウンに近い状態でしたが、今後は私たち若手が歴史や文化を引き継ぎつつ、新たなチームを構築しリニューアルしていく必要があります。

——リニューアルするにあたり、何か検討されていますか?

これまでは加藤院長が地域に出て行き、講演などを行っていました。しかし、私たち若手がまだ積極的に地域に出られていないので、地域の方々との交流が少し薄れてしまっているように感じています。加藤院長から学んだことを地域の患者さんへ還元していくためにも、新たなチームで地域に出ていく必要があると感じています。

連携する医療機関や訪問看護などとの関係性づくりも同様です。当診療所は岡山市内中心部から少し外れたベッドタウンにあり、周辺にも数多くの医療・介護の関連施設があります。諏訪中央病院の時と比べると、施設数が多い分、顔の見える関係性づくりの難しさを感じています。できるところから積極的にコミュニケーションを図り、顔の見える関係性づくりも進めていきたいですね。

介護福祉従事者とより深い関係性を築く

——医師としての出発点には、介護施設での課題感がありました。その点については、どのような取り組みをしていきたいと考えていますか?

特養での看取り介護加算ができ、国の政策でも、施設内でお看取りしていく流れをつくろうとしています。その一方で、バックアップ体制が十分に構築できていない中で亡くなる利用者さんもいる、と介護士時代の仲間から聞いています。心不全のターミナルだと思われる方が、身体中むくんで横になれず、座ったまま亡くなった話も聞きました。もちろん、良い形でお看取りされた例もあると思いますが、施設の中に入っていかないと課題の有無も十分に検証できません。

介護士さんたちの声を聞くことで、初めて実情が見えてくるので、その声を吸い上げられる関係性づくりが重要です。まずはそこから取り組んでいきたいですね。

——介護士時代に感じた課題に対して、解消に向けた大きな流れはできてきました。今後は、診療所の医師という立場から、改めて解決策を模索していくことが展望になりそうですね。

その次の課題として、訪問看護師へのバックアップが重要になってくるでしょう。というのも、経験上、何かあったときにまずは看護師さんに相談するケースがかなり多いと思うからです。

それを実現させるためにも、当診療所内で加藤院長の意志を受け継いだチームをつくって診療基盤を再度整えていきたいですね。これまで通り地域の方々を支えながら、地域の介護福祉従事者たちをエンパワーできるような医療を提供してきたいです。

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