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1年限定のつもりが…在宅診療所で院長を続ける理由―細田亮氏

2020年11月12日

千葉県鎌ケ谷市にある「くぬぎ山ファミリークリニック」の院長・細田亮(ほそだ・とおる)先生は、2015年、1年間限定のつもりで同クリニックの院長を引き受けました。ところが、院長のまま6年目を迎え、現在はクリニックの新築移転も計画中です。今もなお院長を続ける理由とは――?(取材日:2020年8月25日)

医師8年目で院長に就任「あまり不安はなかった」

——医師を志し、血液内科に進まれたのはなぜですか?

医師を志した理由はいくつかありますが、一番影響を受けているのは、手塚治虫の漫画「火の鳥」で命とは何かを考えたことです。そこから命に関わる仕事がしたいと思い、今に至ります。人と話す仕事に就きたいと思っていたことも理由の1つでしたね。

血液内科に進んだ動機は、学生時代の病院実習に遡ります。血液内科を回った時、「患者さんに造血幹細胞移植をしてうまくいくかは、最終的には神のみぞ知る領域なんだよ」と教わり、奥深さを感じて興味を持ちました。他の診療科に比べると、血液内科の入院期間は長期に渡ることが多く、患者さん1人ひとりと深く話すことができます。私は病気を診るだけではなく、患者さんと深く話しながら1人の人間として付き合える環境が肌に合っていると感じ、血液内科医になることを決めました。

——2015年から、くぬぎ山ファミリークリニック(千葉県鎌ケ谷市)の院長を務めています。どのような経緯で院長に就任することになったのですか?

東京医療センターで初期研修、血液内科後期研修プログラムを修了し、血液内科専門医と総合内科専門医を取得しました。次のキャリアを考えた時に、「7年間同じ医療機関で勤務したから、外の世界を経験してみてもいいかな」と思ったんです。そう考えている時、知り合いの看護師さんから「在宅診療所の院長をやってみませんか?」と声をかけられたのです。院長はもちろん、在宅医療も未経験。当時は在宅診療が浸透し始めたくらいの時期で、まだ在宅医療に携わる医師が少なく周囲にもいませんでした。人と違ったことがやりたい性格なので、だからこそ面白そうだと思い、飛び込みました。

——医師8年目で院長に就任することに、戸惑いや不安はなかったのですか?

全く悩まなかったと言ったら嘘になりますが、実は、この院長職の話は1年限定で引き受けたんです。そのため、1年間なら何とかなるかなという思いもありました。人がやらないことをやりたがる性格も手伝って、あまり不安は感じませんでしたね。

私は、人との出会いや縁を大事にするタイプ。次のキャリアを考えているタイミングで声をかけられたなら、今は在宅医療に関わる時期なのかもしれないとも感じました。加えて、声をかけてくれた看護師さんと人生観や死生観が合うとも思っていて、この人となら一緒に働けると思えたことも後押しになりました。

鎌ケ谷市の医療資源不足「これは放っておけない」

——1年限定で引き受けたにもかかわらず、現在まで5年間も続けているのはなぜですか?

大きなやりがいと課題を感じているからです。

私は病院勤務時代、自分の提示する治療方針に対して患者さんから同意を得て治療を進めていても、いくらか腑に落ちない部分を感じていました。いくら患者さんとじっくり話し合い向き合っているつもりでも、患者さんがアウェイ感を抱きやすい病院では、患者さんの本音を引き出せずに都合のいいように誘導してないだろうか、患者さんの本当の希望が叶えられていないのではないかと感じていたからです。患者さんは「ありがとうございました」と言ってくれるけれど、「本当はこの治療方針は嫌なのではないだろうか?」「本当は家に帰りたいのではないだろうか?」とずっと気になっていたのです。

在宅診療は、基本的に患者さんの自宅が舞台で、患者さんが主役。私は、主役である患者さんが思い描く医療を実現するために、自らのプロフェッショナリズムを用いてサポートしていきます。患者さんのホームである自宅で医療ができ、本音でぶつかれている手応えもあり、目の前の人の役に立っていると強く実感できて――。自分のスキルを活かして患者さんに喜んでもらえることが目に見えて分かるので、非常に大きな喜びとやりがいが感じられました。

患者さんのご家族と関われることも、在宅医療のやりがいだと思います。病気を通じて家族とのつながりを深めていく姿を目の当たりにしたり、疎遠だった親子が病気を機に再会し、親御さんが亡くなった後に、お子さんが「最期に親孝行できたかな」と感じている姿を間近で見たりすることがたくさんあります。そのような瞬間に立ち会えるのは、在宅医療ならではですよね。こういった経験をたくさんさせていただき、大きなやりがいを感じるうちに、気づけば5年も経ってしまいました。

——一方の“課題”とは?

千葉県鎌ケ谷市は県北西部に位置し、船橋市、市川市、松戸市、柏市、白井市と隣接している市です。人口約10万人を有し、東京へも電車で1時間程度なので、東京のベッドタウンとしても機能しています。ところが、がん治療や心筋梗塞の治療ができる病院が市内にありません。在宅医療に関しても、当クリニックが開院するまでは、在宅医療を専門に行う医療機関が1施設のみでした。周辺の市には、それなりに医療資源がありますし、在宅医療も浸透してきています。しかし、鎌ケ谷市だけが遅れていて、取り残されたようになっています。これが最大の課題です。

見方を変えれば、創意工夫でさまざまな取り組みができる余地が多く残っていると捉えられます。在宅診療の土台も、これからさらに整えていく必要があります。人生会議などの啓発も、まだあまりされていません。すでに医療資源が充実して在宅診療も十分に浸透している地域だったら、予定通り1年で辞めていたかもしれませんが、「これは放っておけない」と思い、この地での在宅診療を続けています。

他の地域で浸透している活動を鎌ケ谷市にも

——鎌ケ谷市を舞台に、今後どのようなことに取り組んでいこうとしているのですか?

3人でスタートした当クリニックは現在、職員が10人以上に増えて手狭になってしまったので、新しいクリニックの建設を計画中です。これを機に、診療所の機能だけでなく、誰もが気軽に立ち寄れるカフェのような機能を持たせたいと思っています。

当法人では老人ホームも運営しているので、例えば、医療・介護・福祉の包括的な相談窓口や、がん患者さんやそのご家族が気軽に立ち寄って相談できるような場所。市内に整備されていない、病児保育や子ども食堂などの開催。大切な人が亡くなり、深い悲しみの中にいる人に向けたグリーフケアや、人生会議、子ども向けのイベントを開催できる場所――。医療・介護・福祉の情報発信拠点であり、幅広い役割を担える、人の集まる場所にしたいと考えています。

今挙げたような活動が浸透しつつある地域も見られますが、鎌ケ谷市内ではまだ活発な動きがありません。そのため、地域のニーズを捉えながら、応えられる場所にしたいです。その先には、病院の立ち上げも構想しています。現在市内で受けられない治療ができるようにしたいと考えています。都心に近い地域ながら、やれること、やらなければいけないことが山積みです。その実現のために、これからも頑張っていきたいです。

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