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運営休止した銚子市立病院で、60代医師が働きたいと思った理由―蓮尾公篤氏(銚子市立病院)

2020年2月19日

大学病院、神奈川県の公的病院にて長年、外科医として勤務してきた蓮尾公篤先生。医師になったときから思い描いていたキャリアを実現させるべく、60歳を過ぎてから転職活動をスタートします。さまざまな選択肢の中から転職先に選んだのは、かつて運営休止に追い込まれてしまった銚子市立病院でした。蓮尾先生が銚子市立病院に入職を決めた経緯、今後の展望についてお話を伺いました。(取材日:2020年1月15日)

キャリアの到達点を定めて、研鑽を積んできた

──これまでのご経歴について教えてください。

信州大学医学部を1986年に卒業後、東京都板橋区にある小豆沢病院で3年間初期研修を受けました。当時は初期研修がまだ必修化されておらず、大学を出たら所属医局独自の研修を受ける時代でした。ですが、私はいろんな診療科をローテートしたかった。だから、それができる環境に身を置き、他の人よりも1年長く在籍してほとんどの診療科で研修させていただきました。

医局所属が当たり前の時代に3年もローテートしたのは、キャリアの到達点を地域医療に見据えていたからです。そのためには、外科的なことも、内科的なことも診られるようにならなければいけない。そうなれるのは消化器外科医だと思い、医師4年目以降は横浜市立大学の第一外科に所属。以来、約15年にわたり、大学病院や関連病院で、がんの治療にあたってきました。

医局を退局した後は、関連病院だった公的病院で外科部長、院長補佐として働きました。後進が育ってきたこと、自分が還暦に差し掛かるタイミングだったこともあって「今後の医師人生、自分がやりたかったことをやろう」と思い、今に至ります。

──医師になった当初から、地域医療を志していたのはなぜですか。

私は身体が弱い子どもで、小学校2年生頃まで地域の先生に往診に来てもらっていました。それが原体験としてあります。その原体験から、医学部を目指すにあたり、どんな医師になりたいかを考えたとき、「総合的に診ることができて、患者さんに寄り添える、地域に根差した医師になろう」と決めました。なので、私のキャリアは逆算して設計されているんです。

先ほどもお伝えしましたが、地域医療をするために必要なことは何かを考え、消化器外科の知識はもちろん、それ以外のことも積極的に学びました。開業医の先生のお手伝いで内科外来をしたり、整形外科領域の処置をできるようにしたり──。消化器外科を選んだのも、「何でも屋になれる」というのが理由の一つです。

「ここで働きたい」3つの理由

──今回、初めて転職するにあたり、不安な点はありましたか。

転職活動の進め方、自分の理想を実現できる環境があるのかなど、あらゆることが不安でしたね。当初は、地域医療の観点からクリニック継承も選択肢としてありました。しかし、希望に見合うものがなく、妻があまり乗り気ではなかったことから、引き続き勤務医として働く道を選びました。そう決めてからは、知人に相談しつつ、可能性や選択肢を広げるためにも、人材紹介会社に数社登録しました。

最初は疑心暗鬼だったのが正直なところです。これまで公私ともに人材紹介会社と関わることがなく、どんな医療機関を紹介されるのかわかりませんでしたから。そういう意味では、知人紹介の方が安心かもしれない……とも思っていました。あとは、内定をもらってそこで働くことになった場合に、私から人材紹介会社に仲介料を払う必要があると勘違いしていました。仲介料を支払う必要はなかったのですが、私のように考えている医師は少なからずいると思うので、「お金の心配は無用」と伝えたいです。

知人からもいろいろと紹介してもらいましたが、最終的に「ここで働きたい」と思った医療機関を紹介してくれたのは人材紹介会社経由で、当院に入職先を決めました。

──銚子市立病院で働きたいと思った理由について教えてください。

地域医療に携われることが大前提としてありますので、それ以外の理由をお話します。

まず、公的病院であることに興味を持ちました。私見ですが、公的病院は立場上、地域的な責任が大きく、背負っているものが格別だと感じています。実は採用面接を受ける前に、1人でこっそり下見に行ったんです。行く前は、医師の数が少なく、それに対して患者数が多そうだと予想していましたが、その通りでした。ロビーに患者さんが溢れかえっていて──。地域のみなさんからとても頼りにされている病院だということを、まざまざと見せつけられました。ご存知かと思いますが、当院は一度運営休止をして、再スタートした病院です。そういうところで働く方々は熱意があり、地域のみなさんのために一緒に良い医療を提供できるのではないかと考えました。予想通り、良い仲間に恵まれて働けていると思います。

次に、風土。町自体も気に入りましたし、海があるのがとてもいい。私は、週4.5日は銚子市で、半日外来の日と週末は自宅がある横浜で過ごす生活を送っています。妻は仕事の関係で横浜が拠点ですが、銚子の街を私以上に気に入っていますね。「銚子にも家を買おう」と提案してくるほどです。今回の転職でもいろいろ相談しましたが、自分の選択、そして働く町を「いいじゃない」と肯定してくれるのはうれしいことです。

そして、ここで働きたいと思った一番の理由は、院長でもある篠﨑先生の人柄です。院長も、最終的には地域医療をやろうと考えながら、外科医として研さんを積まれてきた方。つまり、私と全く同じ考えのもと、キャリア設計をされてきた方なんです。全ての面において患者ファーストで、この病院を良くしていこうという熱意がある。患者さんのためならお金を惜しまず、患者さんに寄り添った医療を提供していく意気込みをお持ちです。自分と方向性が全く同じで熱意がある人から「協力してもらえないか」と言われたら、それはもう、二つ返事です。銚子市立病院がどんな病院で今後何をめざしているのかについては、担当のコンサルタントから詳しく聞いていたので、面接で院長や事務長の思いを伺い、気持ちを固めました。財政上の理由で一度運営休止しましたが、それは過去のこと。総合的に判断して、自分も一緒に立て直していきたいと考えていたので、そのことについては全く気になりませんでしたね。

地域の声に応えて、10年ぶりに手術を再開

──入職して、もうすぐ1年が経とうとしていますが、いかがですか。

これまで勤務してきた大学病院やその関連施設は、患者さんに寄り添うより、疾患を治すことにどうしても比重が高くなりがちでした。けれども今は、医師になった当初から目指していた通り、患者さんに寄り添い、さまざまな背景まで踏まえて診る地域医療に携われていて、非常に満足しています。

入職して思うのは、地域のみなさんの声が思った以上に大きいこと。その声に応えるべく、4月から手術を再開する運びになりました。患者さんが手術を受ける場合、これまでは当院から車で約1時間かかる国保旭中央病院(989床)まで行くしかありませんでした。当院は高齢の患者さんが多いので、「国保旭中央病院に行くだけでも大変だ。ここで手術を受けられるようにならないか」という要望があったんです。大きく激しい手術はできかねますが、体制を整えて、小さい手術から再開していく予定です。

──2019年10月からは、副院長を務めていますね。

病院全体を見ることに興味はあったのですが、いざやってみると難しいと感じる日々です。診療部長のときは診療に主眼を置いていればよかったのですが、副院長は病院全体の経営、看護師の業務対応、コメディカル、人員配置など、それ以外の目線も持たないといけない。見る景色を意識的に変えていかないといけないですね。そこは自分なりにトレーニングしているところです。

──現在、銚子市立病院はどんなフェーズにあるとお考えですか。

当院は地域のクリニック、国保旭中央病院との橋渡し役を担っており、協力体制を構築できてはいます。当院で完治できるものは対応しますが、国保旭中央病院にお願いしないといけない患者さんもたくさんいますので、自院完結にはまだ至っていない段階ですね。しかし、当院は今後もっと役割を拡大していかなければならないと思っています。

閉院する前、つまり銚子市立総合病院時代は、ほとんどの診療科を自院で診ることができていたので、一刻も早くその状態に近付けていきたいですね。三次救急は国保旭中央病院にお任せするとして、当院はそれ以外をカバーできるように戻していきたい。その実現には、看護師の確保が喫緊の課題です。そこも何とかしていきたいですね。一緒に働いてくれる看護師が増えれば、自ずと医師も増えてくると思います。

──貴院がより発展するためにも、看護師の確保は重要ですね。最後に、蓮尾先生の今後の展望をお聞かせください。

先ほどお話ししましたが、4月から手術を再開するので1人でも多く患者さんに対応していきたいですね。現場の後継者ができたら、ゆくゆくはその方に手術を任せて、私は往診をやりたいと考えています。

このあたりの開業医は高齢の先生が多く、どんどん廃業されている。加えて、銚子市より南は開業医がほとんどいないんです。きっと、地域のみなさん──特に、高齢の方は困っていると思うんです。私は幼いころ先生に往診に来ていただいて、本当に助けられました。なので、今度は私が地域のみなさんに寄り添った医療を提供していきたい。それを実現させるためにも、当院が全科対応できるように、一緒に働く仲間を増やしていきたいです。自立心があって、患者さんに寄り添う医療ができる方だとうれしいですね。そういう仲間を集めて当院の基盤を整え、院内を見つつ、往診に行きたいですね。それが、私のキャリアのゴールなのかもしれません。

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