「地元を災害に強い町にしたい」という思いを胸に、精力的に活動してきた森本真之助(もりもと・しんのすけ)氏。2016年に全国で初めて高校生のメディカルラリー(救急医療/災害医療の競技会)を、2017年には地域住民と医療者がお互いに農業や医学などの暮らしに密着した学問を互いに教え合う場として「浅里おもしろ大学」を始めました。一連の活動は、地域住民が救急・災害医療などを理解するのに役立っているほか、医療系へ進学する学生や実際に勤務する医療職も輩出する結果になっているとか。医師7年目の現在、森本氏は専門医取得を目指すことに加え、「災害に強いまちづくり」の活動をさらに広げています。診療にとどまらず、地域の大きな課題に取り組む森本氏に、これまでのキャリアと活動を伺いました。 (取材日:2019年11月12日)
地元・三重県南部を「災害に強いまち」にしなければならない!
――医師を目指されたきっかけについて教えてください。
もともとは教師になりたいと思っていました。しかし裕福な家庭ではなかったため、無償で学びながら身分が保障される防衛大学校に進学し、自衛官として働いてお金を貯めてから、改めて教師を目指そうと考えていたのです。ところが在学中に怪我をしてしまい、防衛大を辞めることになってしまったんです。その後は教師を目指して塾講師のアルバイトをしていたのですが、勉強が嫌いな生徒たちに学ぶ楽しさを教えられない自分に適性を感じることができなくて、まさかの教師の夢を断念……。自分が何のために生きているのかを毎日探すという、まさにこの時期は、人生で最も大きな挫折を感じたときでした。
そんな中、地元の三重県へ帰省した時のことです。三重県志摩市の市議会議長が実家にいらっしゃったときに、「森本君、きみは賢いんやから、地域のために医師になってほしいんやけど」という言葉をいただいたのです。挫折して自分探しをしている途中の、あやふやな自分にも、こんな風に期待してくれる人がいる――。それに、地元の医師になればお世話になった人たちへの恩返しも、育ててくれた祖母を守ることもできる。とにかく頑張って勉強してみて合格することができたら自分の使命だろうと思い、医師不足地域への派遣義務の代わりに学費が免除となる自治医科大学を受験しました。
――なぜ、地域の災害や救急医療に携わることになったのでしょうか。
在学中に東日本大震災が発生したことで、今後30年以内に70~80%の確率で起こると言われている「南海トラフ巨大地震」への対策を意識するようになりました。来るべきときに備えて、地元・三重県では「災害に強いまちづくり」をしていかなければならないと使命感を抱き、災害医療に関して興味をもつようになりました。救急医療については、在学中に故郷の志摩市の救急搬送件数や搬送時間などを調査し、医師不足・偏在による地域の実情を知り、その整備/改善に医師として貢献していきたいと考えるようになりました。
また、自分ひとりでの活動から繋がりを広げるようになったきっかけは、東日本大震災の翌年に大学の学生自治会長として、三重県庁の地域医療研修事業の立ち上げに携わらせていただいたことでした。自治医大の学生と三重大学の地域枠推薦で入学した学生が、合同で全国の自治医大卒業生のもとに研修へいく事業です。将来ともに地域の現場で働く仲間同士、東日本大震災の被災地へ訪問したり、島根県や山口県の離島を訪問したりしました。自治医大が蓄積した地域医療のノウハウを三重県の未来へ役立てていくという目的で、現在も続いていますし、一緒に研修を受けた友人たちとまさに今実際に現場で一緒に働いており、やってよかったなと思います。
今振り返ると、医学部時代のこれらの経験によって、事業の企画・予算管理・実行などのノウハウが自分の中で構築されていったのだと思います。
地域と医療の距離を縮め、若い世代の災害対策への意識を高める
――伊勢赤十字病院では、研修医でありながら病院祭りを企画されたそうですね。
私が研修医として入職した当時は、伊勢赤十字病院が新築・移転し、病院名も改めてまだ間もない頃でした。周辺住民からは無機質にそびえたつ建物に距離が感じられるという意見もありました。そのため住民と病院との距離を近づけるため、病院祭りを企画してはどうか、と院長に提案しました。
100人以上の先輩医師が働く組織を動かすのはそう簡単ではなく、病院初の取り組みに対し、当初は賛同されませんでした。しかし、学生自治会長の経験で培った企画のノウハウを生かし、仲間に協力してもらいながら企画案を作成し、なんとか認めていただきました。そして全国の病院祭りのモデルケースを参考にして、無事、病院祭り「ゆずりは祭」を成功させることができました。1日で約3000人もの方々が訪れてくださったのです。このような「人が集まりたくなる場所つくり」によって、地域へ恩返しをする喜びを実感し、医師としてまちづくりに関わることを志すようになりました。
――現在はどのような取り組みをされているのですか。
2015年に初期研修を終えてからは、三重県の紀南病院で内科医として勤務しながら、同じ県の紀宝町浅里地区でへき地診療所長を兼任しています。もう5年が経ちますね。
紀南病院では、救急・災害対策委員長として紀南病院の災害拠点病院申請へ向けた準備という大役を任せてもらいました。2016年から4年間毎月50名が出席する災害対策委員会で職員向けの災害医療の講義や机上訓練、無線免許の取得等を進めていき、マニュアルの整備やBCP(事業継続計画)の策定を進めました。無事、2017年に災害拠点病院の申請をし、認可されています。
また、三重県から地域災害医療コーディネーターにも任命され、病院だけでなく、地域の災害医療体制の構築に病院医師として携われるようにもなりました。2018年には三重県から統括DMAT研修にも推薦いただき、さらに責任のある仕事を任せてもらえるようになりました。
こうした立場から、近隣の病院で勉強会や訓練を開催することも増えてきて、2017年からは、「南紀災害医療勉強会」という三重・和歌山・奈良の県境の基幹病院5つが協力する勉強会組織を立ち上げています。消防組織や医師会、自治体、保健所、福祉事業所、自主防災などの他機関が職種・世代・地域を越えて協力する関係を構築することを目標としています。毎月各病院で勉強会をさせてもらい人のつながりがどんどん増えていっており、実災害時に協力しあうことができ、役に立ったケースもありました。南海トラフ大地震に備えた体制つくりが日々進んでいることを実感できるとともにやることの多さに圧倒されます。
救急医療については、メディカルコントロールの検証医として、救急事後検証に携わり、熊野消防と病院の連携を深めるべく、研修や訓練を合同で開催するなどしています。災害時は消防や警察、自衛隊などの組織と連携をすることは必須であり、日頃の業務で連携をしておくことは非常に重要であると考えます。
さらに浅里地区では、2017年4月から地域の廃校をリノベーションして「浅里おもしろ大学」という学校を作り様々な取り組みをしています。活動内容は、地域の方たちが田植えや稲刈りを教え、我々医療者が健康知識や災害医療について地域の方に教えながら交流するというもの。乳児から高齢者まで全ての世代の方々が毎回50名ほど参加してくれています。最近では興味を持ってくださった医師とそのご家族が都市部からも参加されたり、毎年ドイツやタイから外国人留学生も浅里を訪問したりしています。活動の内容はシンプルなのですが、より多様な人々に興味をもらえていると感じます。さらに、2019年から始めた「おもしろ医塾」では、医療系の大学への進学を希望している高校生約40名を対象に、月に1回、医学や健康に関するレクチャーを行うほか、英会話・プレゼンテーション・小論文の書き方などを教えています。
一連の活動を掛け合わせた「災害×教育×まちづくり」の取り組みとして、2016年から「紀南メディカルラリー甲子園」と呼ばれる、全国で初めての高校生を対象にしたメディカルラリーを開催しています。未来を担う若い世代が災害対策を学ぶための場として開催しています。紀南メディカルラリー甲子園では、高校生たちが4~6人のチームを作り、「地震が発生した地域での救護活動」「火災現場」「避難所」など細かく状況設定がされた中で、模擬活動に取り組みます。彼らは災害への備えや対応を知識として学ぶだけでなく、「友達と協力して人を助ける」ことを疑似的に体験し命の大切さや学ぶことの楽しさを感じることができます。ラリーに参加した学生たちが、実際に体調不良者の応急手当てを行ったと、学校の先生方から毎年報告をいただいています。それに、参加者のなかには、医学部へ進学した方や、すでに病院に就職した方もいます。また、参加した大人のスタッフからも非常に好意的な意見を寄せていただいています。医療現場は勤務が大変なので、未来にむけて子供から大人まで真剣に向き合えてかつ楽しめるイベントにできたのは最高に嬉しいですね。
三重県熊野地方から全国、そして世界へ
――地域の方々や学生たちとの交流を積極的に行っている背景には、どのような思いがあるのでしょうか。
背景にある思いはすごくシンプルで、自分は医師としてまちづくりに関わりたいという思いを持っているだけなんです。社会を俯瞰的に見てみると、医療というものは人々の幸せを支えるインフラのひとつ。へき地医療や救急医療、災害医療をきちんと整備していくと、安心して暮らせるまちが目指せるようになります。
繰り返しになりますが、紀伊半島の南端部は南海トラフ巨大地震がきたら大きな被害が予想されます。私はその熊野地方で「災害に強いまちづくり」を目指しています。いま取り組んでいる活動を通じて、仲間や住民の皆さんと共に同じ方向を向いて、まちづくりに貢献できることがとてもおもしろいと感じますし、やりがいもあります。医療従事者という立場以外でも、学び続ける社会人の代表として、学生たちの教育に貢献できる可能性を感じています。全く違う分野の企画に参加することにも積極的に取り組んでいきたいですね。それが私なりの、お世話になった皆さんへの恩返しだと考えています。
――最後に、今後の展望を教えてください。
これまでは若さと勢いで色々な活動をしてきたので、今後は医師として改めて修行する期間に入ったと思っています。医師として成長することで、あらゆる活動をさらに発展させられると感じています。ですので、まずは救急科専門医の取得を目指そうと思います。
一方で、これまでのまちづくりの活動に関しては継続していきます。地域の子供たちや医療スタッフを対象に地域医療のことや災害、救急の話を動画にしてYouTube上に公開することも考えています。都合がつかず、今お話してきたような活動に参加できなかった子供たちや、勉強会や研修会ばかりで疲弊している医療スタッフのために、気軽に学べる工夫もできたらと思っています。
ひとこと「災害に強いまちづくり」と言ったとしても、実現するには地域の方たちの協力が不可欠です。活動を通じて幅広い世代の仲間を増やし、災害に強いまちづくりを地域一体となって取り組む――、そんなまちのモデルケースをまずは地元の三重県熊野地方でつくりたいです。そしてゆくゆくは「熊野モデル KUMANO model」を全国へ、世界へ発信していきたいと思います。
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