最期までその人らしく生きるためには、病気や人生の最終段階に生じるつらさを軽減する緩和ケアの普及が必要だと感じた田上恵太(たがみ・けいた)先生。国立がん研究センターなどでがん治療やその支持療法、緩和ケア・終末期ケアの研鑽を積み、現在は東北大学病院緩和医療科で「緩和ケアを文化に」することを目標に、臨床・研究・社会活動の3点を軸に取り組みを進めています。(取材日:2020年6月10日)
緩和ケアを志したわけ
——緩和ケアの道に進んだ理由を教えてください。
『深い河』(著:遠藤周作)の中に「さまざまな宗教があるが、それらはみな同じところから始まり、最終的には同じ神に到達する」というフレーズがあります。人の命も同様に「母親から生まれ、どんな人生を歩んでも、最終的にみな亡くなる」ことは周知の事実です。人が必ず経験する「誕生」と「死」。その中で「死」は別れの悲しみの他に「痛い、苦しい、つらい」という負のイメージがあります。もちろん私も死の過程に恐怖を抱いています。
しかし、死は避けられるものではありません。もし死の道程にはびこる痛みや苦しみ、つらさを軽減できれば、自分も含めみなが最期まで良く生き、良く最期を迎えられるのではないか、そして「死」を忌み嫌うことなく人生の道程として捉えられるようになるのではないか、と考えるようになり、緩和ケアの道を志すようになりました。
——医学部卒業から現在に至るまで、どのようなキャリアパスを歩んできたのですか?
緩和ケアに興味をもつ一方で、父が皮膚科医だったこともあり、初期研修は皮膚科の研修に力を入れることができる東北労災病院で行いました。東北労災病院には、当時の市中病院では珍しく腫瘍内科や心療内科、そして緩和ケアチームが整備されていました。皮膚科の診療も魅力的でしたが、初期研修医時代から緩和ケアチームにも参加するチャンスを頂いたこともあって、緩和ケアの道に進むことを決めました。
よりよい緩和ケアの担い手になるには、まずはがん治療について学ぶ必要があると考え、東北労災病院の腫瘍内科に進みました。同院の緩和ケアチームの考え方の軸が「治療を受けるために生きるのではなく、良く生きるためにがん治療を提案する」であり、がん治療を学ぶだけではなく、患者さんの生き方と治療をどう支援するかという大事な視野を培うことができました。その後、縁あって2012年から国立がん研究センター緩和医療科のレジデントになり、5年間に渡って同センター中央病院、東病院で臨床や研究の研鑽を積みました。東北労災病院、国立がん研究センターともに、がん治療と緩和ケアが並行・連携しており、素晴らしいチーム医療を経験することができました。そして2017年に国立がん研究センターから仙台に戻り、東北大学病院の緩和医療科に着任しました。
院内・地域との緩和ケア連携、そしてアウトリーチ活動
——東北大学病院緩和医療科では、どのような取り組みに力を入れているのですか?
当院の緩和ケア部門には、がん治療の経験を積んできた医師をはじめ、緩和ケア・がん治療の知識に長けた専門看護師や認定看護師が在籍しています。緩和ケア外来や緩和ケアチームの活動を拡充させ、終末期のがん患者さんだけでなく、化学療法や放射線治療の副作用対策や術後痛・慢性痛の症状緩和、非がん患者さんへの緩和ケア、アドバンス・ケア・プランニング、そして療養環境の調整も支援できる体制を構築しました。
また緩和ケア病棟では「終末期がん患者さんが安心して療養できるための、病院と地域のシームレスな連携体系の構築」に注力しています。在宅緩和ケアに積極的に取り組む在宅療養支援診療所と連携し、寝たきりになる前、つまり1人で病院に通えなくなった患者さんには在宅緩和ケアの導入を積極的に推進しました。そして、在宅緩和ケアを受けている患者さんであれば、緩和ケア病棟に緊急入院できる体系を構築しました。その結果、在宅緩和ケアを受けながら当院の緩和ケア病棟(バックベッド)の準備を行っていた患者さんのうち、60~70%は最期まで自宅で過ごされています。かつては、当院の緩和ケア病棟に入院するまでに数カ月待たなければいけないことが大きな課題になっていましたが、その待期期間を大幅に短縮することができました。
緩和ケアのアウトリーチ活動にも積極的に取り組んでいます。緩和ケアの十分なスキルや知識が蓄積していない地域の医療機関に、当科の医局員が定期的に勤務し、臨床だけではなく社会活動なども行っています。その地域の医療・福祉従事者と診療を共にすることで、地域の緩和ケアの専門性を高めてもらうことを主眼としています。
——どの地域でアウトリーチ活動をしているのですか?
各医局員がさまざまな地域の医療機関でアウトリーチを行っていますが、私は宮城県登米市にあるやまと在宅診療所登米と、鹿児島県の徳之島にある徳之島徳洲会病院で定期的な活動を行っています。いずれの地域も緩和ケア病棟はないものの、自宅や施設、一般病院で安心して終末期を迎えられるようなシステムを構築していきたいという機運が高まっていました。妥当性のある活動を継続して行うことがアウトリーチ活動には大切なので、訪問する医師の負担も鑑みて、登米市には当科の医師が毎週、徳之島には当科の他に飯塚病院をはじめ数カ所の医療機関から毎月、緩和ケアを専門とする医師が交代で訪問しています。またメーリングリストやソーシャルネットワークサービス、webミーティングを用いて、現場と全メンバーが密に相談できる体制を構築しています。
緩和ケアが特殊ではない社会に
——大学病院内や仙台市、そしてさまざまな地域で積極的な連携を取り、活動を進めているのですね。今後の展望はどのように考えていますか?
東北大学病院内では「緩和ケアを文化にする」ことを緩和ケア部門の目標にしています。この病院で緩和ケアが文化になれば、仙台市や周辺の地域の医療機関にも波及していくと信じています。また、この取り組みが良いものであるということが分かれば、地域を越えて広まっていくでしょうし、そのためには妥当性のある行動や展開を意識しなければなりません。
最終的には、緩和ケアを当たり前に受けることができる、緩和ケアを受けることが特殊ではない社会や文化を構築していきたいと考えています。現在でも緩和ケアを提案されると、患者さんやご家族は死亡宣告を受けたような感覚になることが多いように思います。どう死ぬかではなく、どのように最期まで自分らしく生きるか、人生を前向きに考える支援をすることが緩和ケアであることを、1人でも多くの方に知っていただく。そのためには、質の高い緩和ケアを実践できる仲間を増やし、各地域で、地域の方々と緩和ケアでの成功体験を共有することが重要と考えます。自分が緩和ケアを必要とする時、そこに緩和ケアがあって支えてくれる、そんな日が来ることを夢見て頑張っていきます。それを実現させるためにも、同じような目線を持って取り組んでくれる方がさらに増えてくれたらうれしいですね。
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