事例
医師人生にはさまざまな選択肢があることを、それぞれのキャリアストーリーを通してご紹介します。-
事例
大学同僚から「得体が知れない」と言われた病院に入職した理由 NEW
急性期で働くか、それ以外で働くか、人材紹介会社に登録した時点では決め切れていなかったT先生。3つの医療機関で面接をした結果、「よくわからない病院だし、ここには入職しないだろう」と思っていた医療機関に入職を決める展開に。後編では、入職の決め手、入職後の状況についてお話を伺いました。 -
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最後の奉公で一波乱……仕事がなくなった医師の行く末 NEW
2年前から退局の話を進めていたT先生。最後の出向先として、ある医療機関に後任人事として赴くも、退職予定者が勤務を継続することに――。仕事がない状態に困り果て、転職活動に踏み切ります。T先生に当時を振り返っていただきました。 -
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「1円でいいから給料上げて」 真意は? NEW
初めての回復期で数々の経験をしながら、自身の取り組みたいことが具体的に見えてきたO先生。30代で在宅医療に転向することを決め、注目していた病院への転職活動を始めます。応募後、思い描いた医療ができそうか確認しつつ、面接では「1円でいいから給料上げてほしい」という希望を提示しました。その真意とは――。 -
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30代で在宅医療に転向、なぜ? NEW
「もっとオペをしたい気持ちもあった」と振り返るO先生は、30代で高齢者医療、在宅医療への転向を決めて転職活動を始めました。数年前に退局した大学では同期が本格的にオペを任され始めており、自身も残っていれば好きなオペに携わっているはずでした。O先生が若くして在宅医療を志した理由、そして初めての在宅医療に向けてどのように転職活動を進めたのか前後編にわたってお聞きします。
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親の介護で地方移住。専門性は生かせる?
関東の民間医療機関に約20年間勤めている、小児科医のA先生。自身の専門とする医療ができる現在の職場にはとても満足していますが、親の介護のために関西に移住する道を模索し始めました。50代中盤で、かつ、地方での転職活動をスムーズに進めることができたポイントを伺いました。
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救急医が42歳で選んだセカンドキャリアとは―亀崎真氏
都立墨東病院(東京都墨田区)で10年以上、救急医としてキャリアを積んできた亀崎真先生。医師18年目、42歳でセカンドキャリアとして地域のプライマリ・ケア医に転身します。
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7割の家事を担う、常勤パパ医師の胸中
千葉大学病院 脳神経内科で特任助教を務める荒木信之先生は、産婦人科医の妻とともに、2010年からキャリアと家事・育児の両立を試みてきました。お子さんが10歳になった今も、荒木先生は大学病院で働きつつ、家事の7割を担当しています。子持ち医師のプライベートを、夫目線でお話いただきました。
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非常勤も経験 パパ脳神経内科医の処世術
千葉大学病院 脳神経内科で特任助教を務める荒木信之先生。2010年に子どもが産まれてからは、産婦人科医の妻よりも多くの家事・育児を引き受け、時には非常勤勤務に切り替えるなど、仕事と家庭を両立する働き方を探り続けてきました。医師の研鑽を積みながら、共働き・子育て生活を10年続けて、今思うこととは。
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「深刻な問題だ」救急科新設した30代医師の挑戦―柴崎俊一氏
医学生時代から、いずれ茨城県内の医療過疎地に貢献したいと考えていた柴崎俊一先生。医師8年目で1人、ひたちなか総合病院に飛び込み、救急・総合内科を新設します。診療科を新設し、病院内外に根付かせるにはさまざまな苦労がありますが、どのように取り組まれたのでしょうか。
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「辞めたら損害賠償」雌伏の末に得た職場は
ワンマン経営に我慢の限界を感じて転職活動に踏み切ったT先生。年収を重視していたT先生が3つの転職先候補から選んだのは、県外の公的病院でした。後編では新しい職場を中心にお話を伺いました。
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ワンマン経営に「我慢の限界」50代部長の決断
近畿地方の民間病院で、麻酔科部長として全国トップレベルの症例数を経験してきたT先生。その一方で、勤務先の経営陣の顔ぶれが変わってからは理不尽と感じることが増えていきました。そうした中、コロナ禍での対応方針に我慢の限界を感じて退職を決意。そんなT先生に、今回の転職活動について振り返っていただきました。
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不公平?2児の女性医師が抱える家庭事情
最近では当たり前になりつつある、夫婦共働き。千葉大学病院脳神経内科准教授の三澤園子先生は出産のタイミングに悩み、34歳、40歳で2児を出産。今も仕事と家庭の両立方法を探り続けています。後編では出産・育児にまつわるエピソードと、共働き夫婦でキャリアアップするための秘訣を聞きました。
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LGBTQs当事者の医師がカミングアウトした理由―吉田絵理子氏
川崎協同病院(神奈川県川崎市)総合診療科科長の吉田絵理子先生は、臨床医の傍ら、LGBTQs当事者として精力的に活動しています。不安を抱えながらもカミングアウトをし、LGBTQs当事者の活動を続ける背景には、ある強い想いがありました。
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准教授のママ医が、常勤にこだわる理由
最近では当たり前になりつつある、夫婦共働き。特に医師は、仕事の頑張り時と出産・育児の時期が重なりがちです。医師23年目の三澤園子先生は、仕事と家庭の両立に悩みながらもフルタイム勤務を続け、現在は千葉大学病院脳神経内科の准教授と2児の母、2つの顔を持ちます。前編では、三澤先生のキャリアについて伺いました。
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院長のラブコール「帰ってこい」Uターン医師の新たな挑戦―光田栄子氏
お看取りのあり方に課題を感じ、介護士から医師に転身した光田栄子先生。諏訪中央病院を経て、現在、岡山市内のベッドタウンにある有床診療所「かとう内科並木通り診療所」に勤めています。地元にUターンした光田先生がこれから取り組んでいきたいことについて、お話を伺いました。
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「診療科の隙間を埋める」院長の挑戦とは―中山明子氏
大津ファミリークリニック(滋賀県大津市)院長の中山明子先生。外来、訪問診療をしながら、家庭医として、相談先を見つけにくい思春期の子どもや女性のケアに力を入れています。
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日本の当たり前を再考する渡航医学の視点
さまざまな診療領域の中でも、コロナ禍で大きな影響を受けている「渡航医学」。中野貴司氏は日本渡航医学会の理事長を務めつつ、川崎医科大学の小児科教授、病院の小児科部長としても働いています。改めてこれまでのキャリアを振り返りながら、「渡航医学」の視点がキャリアにもたらすプラスの要素を聞きました。
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コロナで大打撃「渡航医学」の今
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によって、大きな影響を受けているのが「渡航外来」や「トラベルクリニック」です。各国への出入国が従来よりも難しくなっている今、渡航医学(トラベルメディスン)の現状と未来を、日本渡航医学会理事長の中野貴司氏に聞きました。
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47歳で実感、「内科系の転職は40代前半に」
転職活動の結果、地元にある2つの病院から内定を得て、急性期病院に入職することに決めた消化器内科医のK先生。ご自身の転職活動を振り返り、「内科系だったら40代前半で転職してもいいと思う」と語る理由とは――。
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医師20年で退局。新天地は募集してない地元病院
大学医局に入局し、研鑽を積んで消化器内科医になったK先生。地元に帰りたいと思いつつ、医局人事で働き続けて約20年、気付けば同期は全員医局を去り、K先生1人のみとなっていました。これまで退局に及び腰だったK先生も、47歳のときに転職することに――。