1. m3.comトップ
  2. キャリアデザインラボ
  3. キャリア事例
  4. 事例
  5. 「辞めたら損害賠償」雌伏の末に得た職場は―転職ドクターの本音vol.2(後編)
事例

「辞めたら損害賠償」雌伏の末に得た職場は―転職ドクターの本音vol.2(後編)

2021年2月9日

ワンマン経営に我慢の限界を感じて転職活動に踏み切ったT先生。年収を重視していたT先生が3つの転職先候補から選んだのは、県外の公的病院でした。後編では新しい職場を中心にお話を伺いました。(取材日:2021年1月15日)

面接先の熱意に心動き、入職を決意

——前職では親族経営への不信感などを数年にわたり抱えた末に、経営陣と大喧嘩をしたというお話でした(前編参照)。退職はスムーズにできたのでしょうか。

想定の範囲内でしたが、かなり揉めましたね(笑)。経営陣に退職の情報が洩れることを回避するために、転職の件は誰にも言わずに過ごしていました。また、退職を申し出た途端に解雇されることもシミュレーションした上で、就業規則に基づいて退職1-2ヶ月前に退職の意向を上司に伝えました。予想通り経営陣からは人格を猛烈に批判され、さらに「君が辞めて病院が被る損害額を請求する」など無茶苦茶なことを言われました。私は法的に問題ないように行動していたのでそれらの話に耳を傾けることはせず、「退職するまでの我慢」と思い、割り切って対応しました。

——そして転職先として選んだのが、医療過疎地の公的病院でした。入職理由を教えていただけますか。

「常勤の麻酔科医に来てほしい」という熱意を感じたこと、私の希望を叶えるために給与面で柔軟な対応をしてくださったことに心を動かされました。

病院の給与規定では、50代の私の場合、月40時間の見込み残業代を含めた年収提示額が2,000万円でした。住宅ローンがもう少し残っており、子どもの教育費がまだまだ掛かるので、最低でも年収2,100万円は欲しいと考えていたのは前編でお話しした通りです。この希望額をクリアするために新たな当直待機制度を作ってくださり、年収が2,200万円になるよう調整してくださったんです。私のためにここまでしてくださるのだから、その期待に応えたいと強く思いましたね。

また、常勤中堅医師のマンパワーが充実していることも安心材料になりました。常勤医が約40人おり、しかも働き盛りの中堅医師が多く、助け合って働けそうだと感じたことも大きな決め手になりました。

自宅から車で1時間半かかるので、平日は病院から歩いてすぐの社宅に暮らし、週末は自宅に戻るライフスタイルにはなります。車で1時間半なら家族に何かあったときにすぐ自宅に戻れますし、過去に単身赴任の経験もあったので、そこは許容範囲でした。

必要に応じて環境を変えることも必要

——入職して約4カ月経ちますが、いかがですか。

忙しくも充実した日々を送っています。地域の基幹総合病院なので、外科や整形外科、泌尿器科、産婦人科など診療科が多彩で、緊急手術も頻繁に行っています。長らく単科の麻酔ばかりやってきたので、新しく覚えたり学び直したりすることが多く、初心に戻って楽しく仕事ができています。臨床研修指定病院でもあるため若手医師に指導する機会も多くあります。私自身、彼らと接することで勉強になっていますね。

また、大学の関連病院にもなっているので、医局員とうまくやっていくのも私の大事な職務の1つです。仕事で関わるスタッフの幅が以前よりグッと増え、とてもいい刺激をもらっています。学会活動も学会出張規定の範囲内で思う存分やらせてもらえるのでありがたいですね。

——これまで勤務してきた職場との違いは感じますか。

麻酔の業務に専念しやすくなりました。これまでは外科系の個人病院に勤務することが多かったので、術前から術後の管理まで麻酔科が本来担わないようなことにまで対応することがものすごく多かったんです。今回入職した公的病院ではそこを内科医や担当科の医師が担ってくれるので、自分の責任分担の範囲がかなり減りました。

私の経験に限った話かもしれませんが、個人病院に比べて、公的病院は内科系のマンパワーがとても充実していると感じています。私は長らく1人麻酔科医をしてきましたので、自分の裁量ですべての仕事のやり方を決める働き方をしてきました。ですので、周囲のスタッフのやり方に合わせることが増えたのも転職後の変化の1つでしょうか。今まで行ってきた麻酔法や使用機材と相違があることが多々あり、いろんな発見があって学びも多いです。

——最後に、転職を考えている医師にメッセージをいただけますか。

若い頃と齢を重ねてからとでは、やりたいことがずいぶん変わってきます。人生は1度しかないので、その時々で、やりたいことができる環境に身を置くことが大切だと思います。自分のためになるのなら、転職をしてでも環境を整えるのは良いことだと思います。

私は長らく学術活動から離れていましたが、臨床経験を重ね、50代になってようやく見えるようになったことがいくつかあります。それを今、論文を書いて後世に残せたらと思うようになりました。その思いを実現できる環境を手に入れることができ、今回は良い転職ができたと改めて思っていますね。

同テーマの記事シリーズはこちら

転職をお考えの先生へ

もしも先生が転職をお考えでしたら、エムスリーキャリアにお任せください。
先生が、最善の意思決定をできるようサポートしています。

転職活動はさまざまな事務作業が伴い、情報収集や、面接等のスケジュール調整、条件交渉などを個人で担うと負担が重くなります。これらはすべて、エムスリーキャリアのコンサルタントにお任せいただけます。

また、条件交渉では、先生から直接は言いにくいことをコンサルタントが代わりに伝えるため、精神的な負担も少なく済むかと思います。

転職をご検討中でしたら、ぜひご連絡ください。

エムスリーキャリアは全国10,000以上の医療機関と提携して、多数の求人をお預かりしているほか、コンサルタントの条件交渉によって求人を作り出すことが可能です。

この記事の関連キーワード

  1. キャリア事例
  2. 事例

この記事の関連記事

  • 事例

    救急医が42歳で選んだセカンドキャリアとは―亀崎真氏

    都立墨東病院(東京都墨田区)で10年以上、救急医としてキャリアを積んできた亀崎真先生。医師18年目、42歳でセカンドキャリアとして地域のプライマリ・ケア医に転身します。

  • 事例

    7割の家事を担う、常勤パパ医師の胸中

    千葉大学病院 脳神経内科で特任助教を務める荒木信之先生は、産婦人科医の妻とともに、2010年からキャリアと家事・育児の両立を試みてきました。お子さんが10歳になった今も、荒木先生は大学病院で働きつつ、家事の7割を担当しています。子持ち医師のプライベートを、夫目線でお話いただきました。

  • 事例

    非常勤も経験 パパ脳神経内科医の処世術

    千葉大学病院 脳神経内科で特任助教を務める荒木信之先生。2010年に子どもが産まれてからは、産婦人科医の妻よりも多くの家事・育児を引き受け、時には非常勤勤務に切り替えるなど、仕事と家庭を両立する働き方を探り続けてきました。医師の研鑽を積みながら、共働き・子育て生活を10年続けて、今思うこととは。

  • 事例

    「深刻な問題だ」救急科新設した30代医師の挑戦―柴崎俊一氏

    医学生時代から、いずれ茨城県内の医療過疎地に貢献したいと考えていた柴崎俊一先生。医師8年目で1人、ひたちなか総合病院に飛び込み、救急・総合内科を新設します。診療科を新設し、病院内外に根付かせるにはさまざまな苦労がありますが、どのように取り組まれたのでしょうか。

  • 事例

    ワンマン経営に「我慢の限界」50代部長の決断

    近畿地方の民間病院で、麻酔科部長として全国トップレベルの症例数を経験してきたT先生。その一方で、勤務先の経営陣の顔ぶれが変わってからは理不尽と感じることが増えていきました。そうした中、コロナ禍での対応方針に我慢の限界を感じて退職を決意。そんなT先生に、今回の転職活動について振り返っていただきました。

  • 事例

    不公平?2児の女性医師が抱える家庭事情

    最近では当たり前になりつつある、夫婦共働き。千葉大学病院脳神経内科准教授の三澤園子先生は出産のタイミングに悩み、34歳、40歳で2児を出産。今も仕事と家庭の両立方法を探り続けています。後編では出産・育児にまつわるエピソードと、共働き夫婦でキャリアアップするための秘訣を聞きました。

  • 事例

    LGBTQs当事者の医師がカミングアウトした理由―吉田絵理子氏

    川崎協同病院(神奈川県川崎市)総合診療科科長の吉田絵理子先生は、臨床医の傍ら、LGBTQs当事者として精力的に活動しています。不安を抱えながらもカミングアウトをし、LGBTQs当事者の活動を続ける背景には、ある強い想いがありました。

  • 事例

    准教授のママ医が、常勤にこだわる理由

    最近では当たり前になりつつある、夫婦共働き。特に医師は、仕事の頑張り時と出産・育児の時期が重なりがちです。医師23年目の三澤園子先生は、仕事と家庭の両立に悩みながらもフルタイム勤務を続け、現在は千葉大学病院脳神経内科の准教授と2児の母、2つの顔を持ちます。前編では、三澤先生のキャリアについて伺いました。

  • 事例

    院長のラブコール「帰ってこい」Uターン医師の新たな挑戦―光田栄子氏

    お看取りのあり方に課題を感じ、介護士から医師に転身した光田栄子先生。諏訪中央病院を経て、現在、岡山市内のベッドタウンにある有床診療所「かとう内科並木通り診療所」に勤めています。地元にUターンした光田先生がこれから取り組んでいきたいことについて、お話を伺いました。

  • 事例

    「診療科の隙間を埋める」院長の挑戦とは―中山明子氏

    大津ファミリークリニック(滋賀県大津市)院長の中山明子先生。外来、訪問診療をしながら、家庭医として、相談先を見つけにくい思春期の子どもや女性のケアに力を入れています。

  • 人気記事ランキング