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ワンマン経営に「我慢の限界」50代部長の決断―転職ドクターの本音vol.2(前編)

2021年2月8日

近畿地方の民間病院で、麻酔科部長として全国トップレベルの症例数を経験してきたT先生。その一方で、勤務先の経営陣の顔ぶれが変わってからは理不尽と感じることが増えていきました。そうした中、コロナ禍での対応方針に我慢の限界を感じて退職を決意。そんなT先生に、今回の転職活動について振り返っていただきました。(取材日:2021年1月15日)

新型コロナウイルスへの対応が、最後の一押しに

——今回、転職に踏み切った理由を教えてください。

大きく3つの理由があります。

まずは、経営陣への不信感。ここ数年で経営者の親族医師が数名入職したのですが、現場にはあまり顔を出さず、何をしているのかわからない状態でした。学会出張や休暇を取得するために業務の代行を依頼するとゴネられ、挙句の果てには「休まれては困る」と言われる始末でした。

私は手術部長も兼務していたのですが、手術室をリニューアルする話し合いが私抜きで親族だけで進められていたこともおかしいと感じました。そういう進め方をする人たちが、ゆくゆくは病院の経営者になるのかと思うと、この病院では長く働くことは難しいだろうと。

次に、給与面の不透明性。年俸制でしたが、2020年度の期中に「院内で1人だけ給与が突出している」と言われて100万円以上も減俸されました。これまで身を粉にして働き、標準的な麻酔科医の2倍を超える激務をこなしてきたのに、業務量への対価がおかしいと感じざるをえませんでした。

そういったことがあり仕事のモチベーションが下がる中で、最後の一押しとなったのが新型コロナウイルス感染症に対する病院側の対応です。2020年に入って全国の感染者数が増えていく中で、「もしも職員が新型コロナウイルスに感染した場合、休務の扱いはどうなりますか?」と確認したところ、「傷病休暇の取得は認めず、すべて有給休暇扱いにする」と言われたんです。これには驚きました。病院は多数の救急車を受け入れていて、患者に多少の熱があっても診る方針でした。つまり常に感染リスクのある現場で働いているわけです。新型コロナウイルスに罹患したらすべて自己責任で、有給休暇を使い切ってしまったら欠勤扱いの無給となり、生活が保障されないのです。これでは自分自身も部下たちも守れないと思いました。

この件で病院側と大喧嘩になり、それまでの不信感も相まって、「もう我慢ならない。転職先が決まったら退職してやる」と。

初めて伝手を使わない転職に踏み切る

——転職活動はどのように進めたのですか。

私は大学医局を出た後、民間病院を転々としてきました。いずれも自分の伝手で入職したり、自己応募して転職したりしたので、転職活動のノウハウはよく知っています。県内の病院の状況も熟知しているつもりでしたが、今回の転職のタイミングでは私の情報だけでは話がうまく進まなかったんです。県内の公的病院で勤務されているベテラン麻酔科医のリタイアの時期と重なったこともあり、民間病院の新規の求人はあまりありませんでした。求人があっても働きたい病院ではなく、条件面が折り合わない。50代の私が常勤で入職できる医療機関を個人で探すには限界があると感じて、今回初めて人材紹介会社に登録しました。

——初めて人材紹介会社に登録してみて、いかがでしたか。

人材紹介会社の仕組みはある程度知っていたので、意外性を感じることはありませんでした。ただ、個人ではアクセスできなかった非公開の情報を得ることができたので、選択肢がグッと増えましたね。気になる求人をコンサルタントに問い合わせると、思った以上に迅速かつ詳細に情報提供をしてくれて助かりました。会社ごとに得手不得手や情報量が違うのもあり、最終的に3社に登録をして転職活動を行いました。このご時世なので、コンサルタントとは直接会わず、メールや電話、オンライン会議でやり取りをしました。

3つの転職候補先から、公的病院に入職を決意

——転職先を探すにあたり、重要視していたことを教えてください。

私には子どもが3人います。長男は独立していますが、次男は私立大の医歯薬系学部に在籍しており、三男は中学生とまだまだこれからお金がかかります。住宅ローンも残っています。なので、最低でも年収2,100万円、そして、前職の経験もふまえて給与体系が明確であることを重視していました。

新型コロナ流行前は国内外で学会発表を盛んに行っていたので、学術活動に理解がある医療機関だとうれしいな、とも思っていました。あとは、コロナ禍による倒産の心配がなく福利厚生の手厚い公的病院に入職できればいいな、と。

そういった条件で探してもらったところ、転職先候補を3つまで絞り込むことができました。

——それぞれ、どういった病院だったのですか。

A病院は民間の総合病院。大学の同期生が何人か働いていることから安心感があり、彼らの話を聞く限りでは、麻酔科ニーズがあって症例数も確保できそうだと感じました。ただ、話を進める中で、先に交渉を始めた先生に決まりそうな展開になったので、一旦見送ることにしました。

B病院は、いわゆる医療過疎地にある公的病院です。医師のマンパワーが不足しているため、「麻酔業務だけでなく救急対応もお願いしたい」と言われました。近隣には高機能病院がなく、重症患者の転送先の確保や休務時の応援が見込めないことが不安材料として残りました。

C病院は隣県にある公的病院で、B病院と同じく医療過疎地にあります。当初の提示額は希望年収を下回っていましたが何とかなりそうなこと、中堅医師のマンパワーが充実していることもあってC病院への入職を決めました。(後編に続く)

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