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大学同僚から「得体が知れない」と言われた病院に入職した理由 ―転職ドクターの本音vol.5(後編)

2021年7月22日

急性期で働くか、それ以外で働くか、人材紹介会社に登録した時点では決め切れていなかったT先生。3つの医療機関で面接をした結果、「よくわからない病院だし、ここには入職しないだろう」と思っていた医療機関に入職を決める展開に。後編では、入職の決め手、入職後の状況についてお話を伺いました。(取材日:2021年4月23日)

謎に包まれた病院が、働いてみたい病院へ

——C病院への入職の決め手について、詳しく聞かせてください。

院長が病院のビジョンを話してくれたことです。院長の話はよくわからない点もあったのですが、働くイメージを一番持てたことが決め手でしょうか。他の2つの病院は主に現状の話で、将来についての話がほとんどありませんでしたから……。

あとは、臨床経験が積めて新しいスキルを学べそうと感じたことも決め手です。C病院は移転を予定しているのですが、それを機に救急体制が変更になります。救急搬送された方たちのファーストタッチは今後立ち上がる総合診療科に任せて、そこで救急科、各専門科どちらに割り振るかを決めていくようです。また、移転後には急性期だけでなく慢性期の外来も持つようになるので、長期的に患者さんを診られるのもいいなと思いました。

——面接を経てC病院の印象が変わったとおっしゃっていましたが、どのように変わりましたか。

「とにかく謎に包まれた病院」から「働いてみたい病院」に変わりました。私のいた大学から近いですし、コミュニティーの狭い地域ですから知り合いがいてもおかしくないのですが、C病院だけはどんな先生がいるのかなどが全くわからない、謎に包まれた病院という印象だったんです。医局間では、「得体が知れない病院」とまで言われていました。その印象が払拭されたのは、当然といえば当然かもしれませんが、実際に働く人とお会いして話を聞くことができたから。面接で副院長にお会いしたら研修医時代にお世話になった先生だとわかったり、親子ほど年が離れているものの同門の先生がいたり、意外と接点があることがわかりました。「よくわからない病院だから面接には行かない」という選択をしなくて、本当に良かったと思っています。

入職が決まり、医局の先生たちにC病院に行くことを伝えると全員に驚かれました。「あんな得体の知れない病院に行って大丈夫なのか」など、いろいろ言われましたね。私自身もこの選択をするとは思ってもいなかったので、みんなの反応は想定内です。働き始めてからは、「C病院はどう?」と聞かれる機会も増えましたね。今回の件で、良くも悪くも、その病院に知り合いがいないと情報が入ってこない世界だなと実感しました。

転職には、絶対に第三者目線が必要

——C病院に入職して1年経ちましたが、いかがですか。

入職当時は既にコロナ禍が来ていたため、救急患者さんが通常の半分以下になっていました。本来であればもっと忙しいようですが、新しい環境に慣れていくという意味では、タイミングとして悪くなかったように感じています。

ご存知の通り、1年経った今もなお、コロナ禍が続いています。現在は病床を少し閉じていて、新型コロナウイルス感染症に罹患した患者さんの受け入れを増やしている状況です。自分の病棟の患者さんが少ないため、他科の患者さんの管理をしたり、外来をしたりしています。予定していた病院移転も遅れていますが、今がチャンスと捉えて、来る日に備えて勉強したりしています。

現在同じ科に医師が3人いますが、1人は外来専従なので、実質私を含めた2人体制でやっています。人手不足で忙しく、土日もたまに出勤していますね。とはいえ、疲弊するほど大変ではないですし、当直もきつくはありません。近々、1人仲間が増えるので、その方が入職したら土日は休めそうです。現在一緒にやっている先生は、医師としても人としても経験豊富で、対応1つとっても「そういう風に対応するのか」と学びがあり、とても勉強になります。年が近いと変に張り合ったりする場合もありますが、親子ほど年が離れているのでそういうこともありません。わからないことがあれば素直に質問できますし、上下関係がはっきりしているので、やりやすいですね。

——転職活動を振り返ってみて、どのように感じていますか。

後任人事の件で、人が間に入れば入るほど、ややこしくなってしまうと痛感しました。今回はその反省を活かして、第三者的立場である人材紹介会社のコンサルタントさんにいろいろ進めていただきましたが、結果的にとても良かったと思っています。以前だったら口頭ベースで決めていたものが、メールや書類など文書にして共有されていたので、「私の意思はきちんと伝わっているだろうか」という不安が今回はほとんどなかったんです。

人材紹介会社は2~3社を並行して使っていて、比較検討できたのもよかったです。結果的に、コンサルタントさんのレスポンスが一番早く、案件数が多い会社さんにお任せしました。そのコンサルタントさんは求人の有無だけでなく、応募前の段階から病院に質問して情報を集めてくれましたし、その中には私では絶対に確認できないような情報まで含まれていて、「諸条件を交渉するならこの人が一番安心できる」と思えました。

病院に勤務していると人づてで話を聞いたり、根も葉もない噂話が耳に入ってきたりします。私はしばらく転職活動をする予定はありませんが、もし転職を検討されている方がいたら、第三者に入ってもらうことを強くおすすめします。客観的な意見をもらえますし、私のように、自分では絶対に入職しないと思っていた病院とご縁ができるケースもありますから。

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