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最後の奉公で一波乱……仕事がなくなった医師の行く末―転職ドクターの本音vol.5(前編)

2021年7月21日

2年前から退局の話を進めていたT先生。最後の出向先として、ある医療機関に後任人事として赴くも、退職予定者が勤務を継続することに――。仕事がない状態に困り果て、転職活動に踏み切ります。T先生に当時を振り返っていただきました。(取材日:2021年4月23日)

たなぼた式展開で、思いがけず転職活動へ

——今回、転職活動をすることになった経緯を教えてください。

もともと、2年前くらいから教授と退局の話を進めていたんです。人手不足で研究する余裕がないし、学位にもこだわりがないから医局にいる意味がないと考えていました。それに、先輩たちがどんどん辞めていく一方で、研修医の来ない環境には先がないとも思っていました。

ただ、退局では本当に気を遣いました。教授はどんなに真っ当な理由――それが家庭の事情だとしても、退局を裏切りだと感じるような人です。医局を去った先輩たちは教授と喧嘩別れしていましたし、私はなるべく円満退局できるようにだいぶ前から準備していました。仲間たちにも迷惑を掛けないように、外来以外の仕事は後輩たちに少しずつ任せるなどしていたんです。

さて辞め時はいつかと考えているときに、医局内で常軌を逸する事件が起きたんですね。それを口実に退局を申し出たら、条件付きではあるものの、思った以上にスムーズにOKが出ました。その条件というのが、「X病院がL先生の後任を探しているから、最後にそこに行ってくれないか」というものだったんです。教授の気が変わらないうちに……と思って引き受けたのですが、それが間違いでした。

——間違いというのは?

退職予定だった医師が留まることになったんです。教授の指示で、私は引き継ぎを受けるために早めに赴任したのに、そのX病院では受け入れる雰囲気があまりなく……。おかしいと思って話を聞くと、退職予定とされていたL先生は辞めるなんて一言も言っていないのに、院長から病院を追い出されそうになっているとか。そういう状況でしたので、私への引き継ぎや申し送りは中途半端なまま。外来すら持たせてもらえず、回診以外の仕事がない状態でした。さすがにこれはないだろう、と院長と教授に話をしたところ、赴任の話自体がなくなり、思いがけず転職活動をすることになったのです。

——転職活動に移れたのは不幸中の幸いですね。転職活動はどのように進めたのですか。

知人のつてを頼る選択肢もありましたが、今回のトラブルから第三者に入ってもらった方が安心できると思い、人材紹介会社に登録して転職活動を進めました。実は、例のX病院での勤務条件を、ハンコを押す段階まで何も知らされなかったんです。私は院長と直接やりとりすることを教授から禁止されていたうえ、勤務条件の話をしようものならば教授の機嫌が悪くなるのが目に見えていたので、話をしたくてもできなかった。さらに、教授に伝えていた私の意向を院長は知らなかったようで――。自分のことなのに決定権がないなんておかしいですよね。結果的にこういうことになったので、転職活動には第三者目線が絶対に必要だと思いました。

急性期か、それ以外か。決め切れず面接へ

——転職先はどのような軸で選びましたか。

まず、自宅から通えることが必須条件でしたので、自ずと県内の医療機関に絞られました。近くに住む義父母に子育てで助けてもらう場面がまだまだあると考えたためです。加えて、私がいた医局の関連病院ではないことも必須でした。仮に関連病院に私が入職した場合、医局派遣が止められて入職先に迷惑をかけてしまう可能性が少なからずあるためです。そうなるとさらに医療機関が絞られるのですが、迷惑をかけずに働くにはこの条件は譲れませんでした。

私の専門科目で自宅付近となると専門医が少なく、医師1人に負担が集中してしまいがちです。大学にいた頃は、病棟も外来も1人で見て疲弊して辞めてしまう……という先輩方が何人もいました。そのため、認定看護師などのサポートがあり、チーム医療ができる環境で働けるといいな、と思っていました。欲をいえば、土日のどちらか休みをもらって家族との時間を増やせるとありがたいと考えていましたね。

急性期で働くか、そうでないところで働くかは人材紹介会社に登録した時点では決め切れていませんでした。私は当時40歳になったばかりでしたが、このタイミングで急性期から外れると今後急性期で働くことはないだろうとも考えていたので、人材紹介会社のコンサルタントには基本的には急性期の医療機関で探してもらうように依頼しました。これらをふまえた上で、3つの医療機関で面接することになりました。

——それぞれ、どういった病院だったのでしょうか。

A病院は慢性期に近い病院で、病棟にはほとんど寝たきりの人たちがいらっしゃいました。患者さんは会話することも難しい状況で、A病院に入職するのは今のタイミングではないと判断しました。ただ、A病院の方からは「ぜひ来てほしい」と言葉をいただき、ありがたかったです。

B病院は慢性期と急性期の間の病院で、A病院よりも元気そうな患者さんが多い印象でした。これまでの経験を活かせるものの、それだけで良いのかという疑問を持ちました。「ここが良い」という印象を持てず、また、B病院からも自分を求められている実感がありませんでした。

C病院は救急に力を入れた中規模の病院です。3病院とも自宅に近く、医局にいた頃は患者さんの紹介もしていたのですが、C病院だけは働いたことのある知り合いがいなくて、とにかく内情がわからない医療機関でした。紹介されたものの、正直なところ、ここには入職しないと思っていました。しかし、面接で話を聞くと良い意味で印象が変わったんです。これまでの経験を活かせるうえ、何か新しいことができそうな予感もあって入職を決めました。(後編へ続く)

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