産業医の仕事を始めて、最も触れ合う機会が増えるのが企業担当者、もう少し大きく括れば人事部門ではないでしょうか。従業上の措置についての検討からはじまり、職場巡視の同行、衛生委員会のアジェンダ整理や同席、労働者の面談設定や情報共有などなど、協働の機会は枚挙に暇がありません。その一方で、医療従事者の中で培われてきたコミュニケーションと企業内で行われるいわゆる「社内コミュニケーション」の間には、恐ろしいほどのズレが存在してます。本稿では人事担当者、ひいてはその奥にいる従業員と円滑にコミュニケーションを図り、単なる情報共有を超えた信頼関係を築くためのヒントをお伝えできればと思います。
対象は誰なのか?コミュニケーションの目的意識の違い
実務経験が豊富な先生ほど感じられるのが、目的意識の違いです。医療現場におけるコミュニケーションの中心となるのは来院した患者の診断・治療であり、それを通じたクオリティ・オブ・ライフ(QOL:生活の質)の向上になります。
先生方は、治療を効果的かつスムーズに進めるために、患者やその家族に対して、病状や治療方針を専門的な知識に基づいた平易な言葉で説明し、都度同意を得ながら進めていきます。また、クリニック内でのコミュニケーションも治療指示や経過報告をできるだけ端的で誤解のない形で伝えるのが常識とされています。
一方、企業における産業医の役割は、「仕事を人に適合させていく」ことを大目標として、個々の従業員の職場環境や業務量、健康管理を行い、職場全体の健康課題の把握と改善、ひいては生産性の向上や組織活性化につなげていくことを求められます。
結果、コミュニケーションの目的も組織を意識した予防的な視点からの健康指導、リスクアセスメントが中心になり、伝える内容も経営層や人事担当者への提言・助言といった幅広く、やや漠然としたものを含むものになりがちです。
ここを踏まえてコミュニケーションを取っていかないと、「先生は細かい事柄で引っかかって本質的な会話ができない」、「改善に対して端的な指摘が多く、理解しにくい」といった印象を持たれてしまうケースもあります。何を目的として、どう説明するのかを意識してみることが大切です。
「担当・従業員は患者ではない」がキーワード
前項で触れたクリニック・病院内でのコミュニケーションをついつい行ってしまうのも、よく起きやすい失敗の一つです。
医療現場では、患者と医師という明確な役割分担が存在し、互いの信頼関係に基づいた縦の関係性を築いていくのが一般的でしょう。患者はプライベートである自分の健康に関する情報を先生に示し、先生は医学知識に基づいて、治療方針や今後の動きについてお話されると思います。
この縦の関係のコミュニケーションを企業側に持ち込んでしまうことで混乱が生まれることがあるのです。
企業において産業医は、従業員にとっての健康に関する専門家であると同時に、選任・専属の違いはあるものの組織に属する一員でもあります。社内の健康管理がうまくいっていない場合や、従業員が自身の健康情報の開示に抵抗を感じてしまうケースは、現実で多々起きますが、こういったシーンにおいて、縦の関係性を持ったコミュニケーションを取ると、無用な問題を引き起こしてしまいます。
また、人事担当者や経営層とのコミュニケーションを実施する際に、つい医学知識に偏った話をしてしまい、企業の文化や慣習、経営戦略を踏まえていないと、「自分たちのことを理解せずに押し付けてくる」といった声が上がりやすくなります。
業界を超えた多様な縦横コミュニケーションが重要
医療現場における主なコミュニケーションの相手はほぼ、患者とその家族、そして他の医療従事者だけです。そのため、共通認識が多い、比較的専門性の近い者同士のコミュニケーションが中心となります。
他方、企業においては、人事担当者が窓口になりやすいものの、安全衛生管理者、労働組合、従業員、そして経営層といった、立場が異なる方々と連携する必要があります。
医学知識の理解度が異なるため、その都度相手に合わせた形での説明が求められるほか、抱える目標や業務内容も異なるため、合意形成を図るのは困難を極めます。これらの意見を公平に聞き、フラットな意見を求められるのが産業医です。
経営層側に偏りすぎず、従業員側に肩入れしすぎない、絶妙なバランス感覚は相互とのコミュニケーションでしか培われません。そのためにも、日頃から何を重視して会話しているのか、どういうスタンスで話をしているのかを気にしながらコミュニケーションを取ることが求められます。
難しく考えるよりも、丁寧さ元気さを重視する手も
企業という新たなフィールドで産業医として活躍するためには、医師と産業医の業務の違いと、異なる業界でのコミュニケーション法を意識することが大事です。医療現場での経験を活かしつつ、企業特有のコミュニケーションの特性を理解し、柔軟に対応していきましょう。
本稿で述べたような、目的意識、関係性、連携する相手の違いを意識することで、先生がよりスムーズに産業医業務に専念でき、企業内での信頼を得られることを願っています。
それでも心配な方は、まず基本を大事にするところから始めてみるのがいいかもしれません。例えば、初日は下記のようなことに気をつけてみてください。
挨拶をしっかりする:職場内外で出会った際には、明るく挨拶をすることで、親近感と安心感を与えることができます。
まずは相手に情報提供する:先方も新しい先生を選任した場合、何が得意で、どんなことをしたいのか知りたがっているケースが多いです。まずは自己の情報を開示し、横のつながりを作りましょう。
相手の立場を理解する:事前に会社案内や業績などを見ておき、人事担当者や従業員がどのような状況に置かれているのかを想像しておきましょう。相手の立場に立って考えることで、次に繋がる対応ができるようになります。
フィードバックを求める:企業によって、どんなコミュニケーションを取ってほしいのかは異なるものです。思い切って訪問日や顔合わせの最後に人事担当者や従業員に率直な意見や感想を求めることも有効です。
企業に勤務することでぶつかりやすいコミュニケーションの壁は、むしろ新たな視点と工夫によって乗り越えることで、応用力を高めることができます。ぜひ自信を持って、産業医としての新たな一歩を踏み出してください。
産業医としてのキャリアをご検討中の先生へ

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