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コロナで大打撃「渡航医学」の今―withコロナ禍の渡航医学(前編)

2021年1月5日

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によって、医療現場はかつてないほどの感染症対策を強いられています。そんな中、この変化に伴う大きな影響を受けているのが海外渡航者へのワクチン接種や健康診断を行う「渡航外来」や「トラベルクリニック」です。各国への出入国が従来よりも難しくなっている今、渡航医学(トラベルメディスン)の現状と未来を、日本渡航医学会理事長の中野貴司氏に聞きました。(取材日:2020年11月20日)

多様化する渡航者の健康管理

ウェブ取材に応じる中野貴司先生

——改めて、「渡航医学(トラベルメディスン)」はどのような学問、業務なのかを教えてください。

日本から渡航する人、逆に海外から渡航してくる人の健康管理に関わります。渡航医学と言うと、感染症予防のワクチン接種のイメージを持たれるかもしれませんが、それ以外にも持病を持つ方の健康管理、メンタルヘルス対策、渡航先の医療情報の提供など幅広い領域をカバーします。かかってしまった病気への対処も大切ですが、発症を未然に防ぐ「予防医療」の役割が大きいです。

COVID-19以前は、グローバル化が加速し、渡航目的も多様化していました。特に観光は従来の団体・パック旅行から個人旅行になり、登山やダイビング、あえて観光地ではないところへ行くなど、冒険的要素が強くなっています。そうなると高山病、潜水病予防、緊急時の情報提供など、渡航目的に合わせた健康管理が必要です。

また、最近は企業の海外派遣や国際結婚も増えており、家族帯同や、仕事関係の渡航者も多いです。ここ5年間ほどはインバウンドも激増していましたが、COVID-19をきっかけに一時停止している状況です。

——渡航医学に携わるには、海外経験や語学力が問われるのでしょうか。

必須ではありませんが、あるに越したことはありません。海外経験がなくても旅行が好きという気持ちがあれば、渡航先でも健康でいるにはどうしたらいいのか、想像できるはずです。私が渡航医学の世界に入ったのも「なんとなく海外に行きたい」という軽い気持ちからです。

——渡航医学に関わる医師の働き方を教えてください。

東京や大阪といった都市部は、仕事や生活の都合で外国人を含め、海外と往来する人が多いため、トラベルクリニックを開業して専門にしている医師がいます。なお、日本渡航医学会が認定しているトラベルクリニックの数は159施設(2020年11月現在)です。

一方、私が住む岡山県はそれほど外国人がおらず、単一で専門にするまでの需要はないので小児科医と兼務しています。全国の病院にある専門外来も何かしらと兼務している人が多いでしょう。専門は内科や感染症に限らず、さまざまな人がいますので個々人の専門性を活かすのも良いと思います。

——中野先生は渡航医学のどのようなところにやりがいを感じますか。

単に病気やワクチンの説明にとどまらず、渡航生活を加味しながら具体的に指導できることです。

そもそも私が渡航医学に足を踏み入れたきっかけは、28歳の時に小児科医としてガーナへ2年間赴任する際、妻と0歳の長女も帯同していたことです。その時、予防接種は何を接種すればよいのか、黄熱とはどんな病気なのか、マラリアの予防はどうするかなど、尋ねたいことがたくさんありました。当時、感染症やワクチンの専門家はいたものの、ガーナへ家族帯同で渡航という状況を踏まえて教えてくれる人はいませんでした。そのため、まずは独学で始め、その後は感染症やワクチンに関わってきたので、渡航前後に何か困っている人がいたら、自分の経験や専門性を活かしてお手伝いができればと思い、この仕事を続けています。

一時的には検査主流に

ウェブ取材に応じる中野貴司先生

——COVID-19の影響により、仕事内容には、どのような変化がありましたか。

COVID-19以前は、ワクチン接種が大きな柱でした。先ほど述べたような渡航形態の変化による影響もありますし、単純に渡航者の数、ワクチンの種類も増えてきたので、組み合わせやスケジュールを考えることが重要な仕事のひとつでした。ところが、COVID-19の流行後、2020年3月から6月くらいまで、ワクチン接種の仕事はほぼゼロになりました。これは変化どころではなく、大きな衝撃でした。

その代わりに始まったのが、COVID-19のPCR検査や英文陰性証明書の発行です。出入国を決める水際対策の大事な書類になるので、学会は書式についてかなり議論をしましたが、国同士の決まりなど、指示に従わなければならないこともありましたので、今まで以上に行政との連携が求められました。

——2020年11月現在、渡航外来やトラベルクリニックに患者さんはいるのでしょうか。

ここ数ヶ月は一定数いると感じます。来院者はビジネス目的に限らず、留学生や一時帰国のまま動けなかった人など、さまざまな背景の人がいます。渡航先はベトナムやタイ、インドネシアなどが多かった印象です。現在の診療内容はCOVID-19の検査が主流ですが、これは一過性だと考えています。

——渡航医学のニーズについて、2020年11月現在は需要が減っていると思いますが、今後回復の見通しはありますか。

絶対数として移動人数が減り、需要が減っているのは明らかです。しかし、人類全員が今すぐ、グローバル化を辞められるでしょうか。各国が鎖国をして国同士の往来ができなくなれば話は別ですが、地球規模で人が動き続ける限り、渡航医学の必要性は続くと考えています。

今は検査やワクチン接種の側面が注目されていますが、本来、渡航医学は渡航者の健康を守るための学問です。渡航者のメンタルヘルスの問題などはワクチンがありませんので、今後、医師の介在価値が問われるところになるでしょう。

——日本渡航医学会の今後の展望を教えてください。

当学会でPCR検査に関するマニュアルを出したことで会員数は増えましたが、先ほども述べたように、COVID-19の流行とPCR検査の需要増加はいつまでも続く話ではないと考えています。グローバル化が終焉しない限り、新しい生活様式のように、今後は新しい渡航の形が出てくるかもしれません。私たちはそれを見据えて、渡航者の安全・安心を確保する健康管理方法を模索していきたいです。学会には医師に限らず、看護師、薬剤師、旅行業、医療通訳など、さまざまな職種の人がいるので各職種の専門性を踏まえて議論していければと思います。

これまで行われていたグローバル行事のオリンピック、各種国際大会、万国博覧会、サミットなどは、新たな開催の形を模索することになるでしょう。ある意味、渡航医学も新たな道を切り拓かなければいけないので、興味のある人はぜひあきらめずに挑戦してほしいです。

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