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日本の当たり前を再考する渡航医学の視点―withコロナ禍の渡航医学(後編)

2021年1月8日

さまざまな診療領域の中でも、コロナ禍で大きな影響を受けている「渡航医学」。中野貴司氏は日本渡航医学会の理事長を務めつつ、川崎医科大学の小児科教授、病院の小児科部長としても働いています。偶然の出来事をチャンスに変えながら、自分の好きなこと、興味のあることを突き詰めた結果、今に至るようです。改めてこれまでのキャリアを振り返りながら、「渡航医学」の視点がキャリアにもたらすプラスの要素を聞きました。(取材日:2020年11月20日)

偶然を味方に、医師3年目で小児×感染症×海外の経験

——中野先生が、専門を小児科にされた理由を教えてください。

もともとは子どものがん治療をしたいと思っていました。高校生の頃、『赤い疑惑』というドラマで、子どもが不慮の事故で放射線被爆して白血病になるシーンを観て、未来ある子どもが事故に遭ったり、病気になったりするのは不幸だ、そういった子どもたちを助けたいと思ったのが、最初のきっかけです。

——サブスペシャルティに感染症を選んだのはなぜですか。

医師2年目が転機でした。医局派遣で人口がそれほど多くない三重県尾鷲市に赴任していた時、エルシニア菌という感染症の集団発生が起こったのです。中学生の夏季スポーツ大会後の飲食が感染原因だったのではないかと思うのですが、この時感染症のメカニズムに興味を持ちました。

教科書を読む、検査等をしてくれる病院スタッフを味方にする、執拗さを忘れないといった、医師としての基本を再確認する機会にもなったので、小児科に次ぐ専門は感染症にしようと思いました。

——その後、「渡航医学」に関わるきっかけとなる、海外赴任の経緯を教えてください。

単純に、子どもが多くて、感染症の症例の多いところで研鑽を積んだ方がいいだろうと思い、真っ先にアフリカを思い浮かべました。幸運なことに、当時は三重大学の取り組みの一環で医師の海外派遣を行っており、小児科医で海外に行きたい人など誰もいませんでしたから、手を挙げれば行ける環境が整っていました。

今は初期・後期研修があるのでそう簡単にできないと思いますが、医師3年目で妻と当時0歳の娘を連れてガーナ共和国に赴任し、感染症に関するフィールドワークなどを行いました。その後、日本でしばらく勤務した後、中国やニジェール、ケニア、バングラデシュなどではポリオ対策に携わりました。

1987~89年、ガーナの村の子どもたちと(提供:中野貴司先生)

——その海外派遣で、何か変化はありましたか。

まず、ワクチンに対する価値観が変わりました。衛生的な日本では、ワクチンの重要性を座学として学ぶものの、その効果を肌で感じることが正直なかったのです。

しかし、いざ麻疹やポリオが流行しているアフリカに行くと、事前にワクチンを打っている村は流行しないのに、ワクチンを打っていない村では患者が多発し、亡くなる子どももいました。ワクチンの効果を間近で見たことで、その価値を確信することができました。

また、試行錯誤して自分自身の中にエビデンスを作っていく大切さも学びました。日本で医療をしていると、整えられた医療制度やガイドラインの中で診療することになります。たとえば今流行しているCOVID-19もそうですが「検査による診断」が当たり前の大前提です。しかし、疾患や状況によっては、それが当たり前ではない場面に遭遇することで、医師の力を伸ばせるケースもあるのではないでしょうか。

というのも、当時のアフリカでは医療者も医療資源も少なかったため、時には検査を待たず、頻度が高く、命に関わる疾患から疑って順次治療をしました。教科書やガイドラインで読んだことをどんどん経験に変えていけば本当に検査が必要なのは誰か、今行うべき治療は何か、判断できるようになると感じる出来事でした。そうした診療の積み重ねをもとに臨床研究をして、エビデンスを出していく。そうすることで活路も見えてくるかと思います。

外国人診療を楽しんでできる強み

2010年、20数年ぶりに訪れたガーナで(提供:中野貴司先生)

——海外赴任の一連の経験が、現在所属の川崎医科大学の勤務にはどのように生かされていますか。

当院は地方の大学病院なので、もっぱら地域医療、地域保健に関わることが多く、渡航外来医としての役割は多くないのが現実です。

でも、海外から日本の地方に外国人が引っ越してくることは、珍しくなくなりました。例えば、急に海外から幼い子どもを連れて引っ越してきたけれども、予防接種を打っていないので、これからどうしたらいいかわからない方がいたら、プライマリ・ケア医として何をどうしたらいいか、相談に乗れると思います。グローバル化は地方でも実感できるので、そこで必要な保健医療を実践していきたいと思います。

——外国人患者に抵抗がないことが強みですね。

そうですね。日本は外国人向けの専門病院ができるくらいなので、日本語が話せない患者を嫌がる医療者は一定数いるでしょう。確かに、医療行為を行うにはインフォームド・コンセントを取る必要があるので、言葉が通じなければスムーズな診察・治療ができません。

私個人としては渡航医学などを通して、外国人診療を楽しんでできる人が増えてほしいと思っています。渡航医学は予防医療の役割も大きく、健康な方も対象となるため、今後さらに発展していくのではないでしょうか。

——今は国によって渡航制限があり、海外に行きたくても行けない医師が一定数いると思いますが、今の段階でできることは何でしょうか。

もし今、私が若手医師だったら、これだけCOVID-19が騒がしいので、どんどん頭を突っ込んでいたかもしれませんね。

その他には、語学の勉強をおすすめします。海外は言語、文化、教育などあらゆることが違うので、日常生活を送るだけでも相当なストレスがかかります。まず、語学がわかれば文化の理解も深まるし、コミュニケーションのストレスも減るでしょう。

最低限英語、できればフランス語や中国語がわかるといいですね。まずは自分の言いたいことを他言語で言えることを目標にすると良いです。外国人とオンラインで交流の機会を持つのも良いと思います。

今は色々なことが制限されていますが、海外や外国人に関わりたい、興味があるならば、ぜひその気持ちを大切にしてほしいと思います。

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