国際医療
国際医療について紹介します-
事例
「医療的正しさ」を追求した女医が選択した道 NEW
これまで計7回、国境なき医師団(MSF)の活動に参加している團野桂先生。その度にぶち当たる課題を解決すべく、日本やロンドンで勉強されています。後編では、團野先生がMSFの現場で見てきた実情、帰国後の活動やキャリアの築き方に迫ります。 -
事例
なぜ「WHOで働く」という夢を自ら諦めたのか NEW
ロンドンに渡って公衆衛生を勉強しながら、ジュネーブのWHO本部でのインターン勤務を経て、現在は国境なき医師団(MSF)の活動に精力的に取り組んでいる團野桂先生。大阪のホームレスが多く入院する病院での勤務経験から臨床医療の限界を感じるなど、理想と現実のギャップの狭間で揺れながら、自分が進むべき道を果敢に切り開いています。 -
事例
日本在住でも「国際保健のスペシャリスト」になるために―坂元晴香氏 NEW
小学生の頃に国境なき医師団に憧れて以来、国際保健の道に進もうと考えてきた坂元晴香氏。医学生となり、途上国の現場を見たことで少し考え方が変わり、現在は日本にいながら国際保健に携わっています。どのような考えを持って、今のキャリアを歩んでいるのでしょうか。 -
事例
「ルーティンではダメになる」医師が重んじる習慣 NEW
2008年に初めて国境なき医師団(MSF)の活動に参加し、ナイジェリアへと渡った小杉郁子先生。以降、定期的に活動に身を投じ続けているのは、日本の医療機関にいるときとは違う刺激を、現地で得られるからなのだそうです。小杉先生が国境なき医師団に参加するようになった経緯を紹介した前編に続き、後編では、現地でのエピソードを中心にうかがいました。
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事例
「医師の子は医師に」?固定観念への違和感も
医学部卒業後、ドイツ留学を経て現在は国境なき医師団(MSF)の活動に精力的に取り組んでいる小杉郁子先生(福井県済生会病院外科医長)。医師の家庭に生まれ、女性外科医としてキャリアを歩む過程で、さまざまな固定観念に疑問も覚えながら、今日のライフスタイルに至ったと語ります。国境なき医師団に参加する医師たちをインタビューする本連載。前編では、小杉先生が途上国に渡るまでのお話を中心にご紹介します。
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事例
「安定より旅がしたい」ノマド医師の人生観
母親の寄付活動がきっかけで幼い頃に国境なき医師団(MSF)の存在を知り、2011年の東日本大震災で救急医を目指すことを決意した真山剛先生。MSFで活躍するためのキャリアと経験を積んで、今もミッションに参加する傍ら、バックパッカーとして世界中を旅しています。活動中のある経験から、一時は参加を辞めることも考えたという真山先生。それでも活動を続ける理由とは、いったい何だったのでしょうか。
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事例
東日本大震災や僻地医療で知った「医師の無力さ」
母親が募金をしていたことをきっかけに、国境なき医師団(MSF)で活動する医師に興味を抱くようになった真山剛先生。2011年の東日本大震災をきっかけに救急専門医を志し、同時にMSFで活動するためのキャリアを選択します。真山先生が選んだ道筋とは?前編では、真山先生がMSF に参加するまでのお話を中心にご紹介します。
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事例
医療現場で「鈍感力」が大切な理由
イェール大学病院での研修前に初めて国境なき医師団(MSF)に参加し、それ以降6回の海外派遣活動に参加している中嶋優子氏。2017年には日本人初の米国EMS(Emergency Medical Services 米国プレホスピタル・災害医療救急専門医)の資格を取得しています。これまでの活動を振り返り、思うことについてお話を伺いました。
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事例
3か月で退局した女性医師の今
高校時代から、「国境なき医師団(MSF)で働く医師になりたい」という思いを抱いていた中嶋優子氏。紆余曲折を経て卒後8年目でUSMLE(United States Medical Licensing Examination 米国医師国家試験)を取得。2017年には、日本人初のEMS(Emergency Medical Services 米国プレホスピタル・災害医療救急専門医)を取得しました。さまざまな分野でキャリアを積み、現在は米国で救急専門医として働きながらMSF理事を務める中嶋氏のキャリアの変遷に迫ります。
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コラム
韓国医療に見た、光と影―海外の医師はこう考える vol.6
電子カルテシステムなど、医療の電子化が進んでいる韓国。その様子は一部、日本のメディアでも紹介されており、日本はその後塵を拝しているとも言われる。私自身も現地への視察へ赴いたが、実際にその勢いには驚いた。再生医療研究などに積極的に取り組む同国では幹細胞を使った実験的医療も進展を見せており、人類が想像してきたような「未来の医療」を実現させようという本気度を感じた。とはいえ、同国の医療現場においても、課題は多いそうだ。今回は、小児科医として現地と双方の小児医療の状況について意見交換した時の様子について、紹介したい。
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コラム
バングラデシュ、公的医療への不信感はこうして生まれた―海外の医師はこう考える vol.5
日本を含め、多くの国々において医療は公的な制度に組み込まれて運用されている。しかし、そんな公的医療に対する信頼感は、国によっても大きく異なる。バングラデシュで見た光景は、公的医療のあり方について深く考えさせるものであった。 バングラデシュと聞けば、テロなど恐ろしい情報もあり、いささか後ろ向きな印象を抱かれる方も多いかもしれない。しかし実際は、カオスの中で元気に生きる人々がおり、多くの人々、特に現場の人々は志を持ち、親日の国であり、居心地は決して悪くない。今回は、そんなバングラデシュの医療のあり方について考察したい。
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コラム
タイが医療大国になれた理由―海外の医師はこう考える vol.4
日本では、医療ツーリズムの本場としても知られている、タイ王国。私的病院を中心に、高度な医療を提供することで、他国からも患者がやってくる東南アジアの医療大国だ。近年にはすべての住民に公的医療保障を提供する形が整った。経済規模や背景にある貧富の差を勘案すると、保健指標としても、優秀な国である。今回はそんなタイの医療事情について、考察を深めたい。
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事例
シングルマザー女医が我が子に伝えたいこと
女手一つでの2人の子育てに一段落ついたタイミングで、国境なき医師団(MSF)に参加し国際医療活動を始めるようになった橋本裕美子氏。初めてのミッションで見た現地の光景、現在の心境について聞きました。
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事例
バツイチ子持ちの麻酔科医が、中東へ行った理由
「国境なき医師団に応募しようと思う」。息子の受験が一段落し、娘が大学を卒業するタイミングで子供達にこう告げて、国境なき医師団に応募し、国際医療活動を開始したのが、橋本裕美子氏です。離婚を経験し、幼い子供二人を抱え八年間のブランクを経て復職。シングルマザーと医師の両立に苦労してきたという橋本氏。50代で国際医療活動に踏み出した理由と、現地での活動を経験したあとの今の心境について伺いました。
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コラム
「6日働き6日休む」医師も まるで天国?豪州医師の働き方―海外の医師はこう考える vol.3
オーストラリアで働いていたとき、驚いたのが「休みやすさ」だ。医師たちが、お互いを自宅に招きあってBBQをしたり、手つかずの自然が残る森や砂漠や海のそばに行ってキャンプやハイキングを楽しんだり――それこそオーストラリアの”lay-back”の文化を享受できたように思う。なぜ、オーストラリアではこうした体制が可能だったのか。現地で考えたことを紹介したい。
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事例
「教授選落ちて踏ん切り」年半分を海外で過ごす女医の人生観
浅草生まれの浅草育ち。生粋の江戸っ子で明るく笑顔が印象的な小児科医の岩川眞由美氏。国境なき医師団に初挑戦してから15年後の60歳の時に再び参加し、イラクや南スーダン、ナイジェリアなどに飛んで活動をしています。半年ずつ海外と日本の2つの拠点で生活する「半分海外、半分母国」の生活を続ける理由は、医学生時代と、派遣先での現地人との出逢いにありました。
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コラム
医師の6割以上が女性の国、モンゴルで思うこと―海外の医師はこう考える vol.2
一般的に、旧共産圏の国々に行くと、女性の社会進出度が高いことを実感する。モンゴルもその一つである。各国の統計をまとめている米国議会図書館によると、モンゴルの医師の女性比率は、66%。とくに筆者が専門とする小児科領域では、小児科医師の100%近くが女性である。なぜ、このような体制が生まれたのか。現地を視察した様子から論じたい。
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コラム
中国の病院で見た衝撃 現地“中医師”から学ぶこと―海外の医師はこう考える vol.1
中国の病院では、西洋医学だけではなく、中国医学(中医学)も一般的なアプローチ手法となっている。診断や治療の体系そのものが異なる2つの医学が、どのような距離感や関係性をもって、共存していけるのか。先日訪れた北京中医医院で、各部署での診療を見学させてもらいながら、考えていた。
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事例
途上国での経験はキャリアアップか否か 欧米と日本の違い
世界約70の国と地域で人道支援活動を展開している、国境なき医師団。多様な文化圏での診療風景から見えてくる、日本の強み、他国から学ぶべきポイントとは―。
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事例
英語ができなければ国際貢献は不可能?
「国外で医師としてのキャリアを積みたい」と考えたとき、関門のひとつになり得る“語学力”。現地でスムーズな診療を行うためには、患者はもちろん、同僚となる仲間とも言語や文化の壁を乗り越えなければなりません。