医学部卒業後、ドイツ留学を経て現在は国境なき医師団(MSF)の活動に精力的に取り組んでいる小杉郁子先生(福井県済生会病院外科医長)。医師の家庭に生まれ、女性外科医としてキャリアを歩む過程で、さまざまな固定観念に疑問も覚えながら、今日のライフスタイルに至ったと語ります。国境なき医師団に参加する医師たちをインタビューする本連載。前編では、小杉先生が途上国に渡るまでのお話を中心にご紹介します。
「どうして周りに自分の進路を決められなければならないのか」
──まず、医師を目指そうと思った理由を教えてください。
もともと学校の成績はあまり良くなく、医学部に受かるような学力ではなかったので、獣医学部や理学部などへの進路を考えていました。それに、幼い頃から「お父さんが外科医だから医師になるんでしょ?」と周囲に言われることが多く、「誰がそんなことを決めたんだろう」「何で周りに自分の進路を決められなければいけないんだろう」という、ちょっとした反発心もあり、興味はあるけど、医師になろうとは素直に思えなかった自分もいたように思います。
結局、浪人して受験勉強に集中するために富山から上京して、東京の駿台予備校に通いました。予備校では医学部進学コースに入ることができたので、そこで初めて医学部入学を目指して勉強してみようと思いました。受かって医学を学んでから医師を目指すか、研究を目指すかといった進路を考えたらいいと思ったんです。
無事に金沢大学医学部に合格し、3年生の前期ぐらいから、父の影響もあるのか、あるいは性格なのか、自分は内科向きではないと思い始めました。1994年に大学を卒業し、初期研修は金沢大学の心肺総合外科で、腹部消化器などの一般的な医療知識を幅広く勉強しました。進路を血管外科に絞ったのは医師になってから6年目ぐらいのことです。
──その理由は?
がん患者さんを診ることが自分には向いていないと感じたんです。当時は女性の外科医が極端に少なかったため、「女性外科医=乳がん専門」になるのがいいという風潮や、周囲からのプレッシャーがありました。この時も私は「なぜ女性だから乳がん専門医?」「なぜ人に自分の道を決められなければいけないのか?」という疑問があり、自分の人生を他人に決められるのが嫌でした。
それに、がん患者さんの治療は手術や治療はもちろん、精神的なバックアップが非常に大切になるので、私には荷が重いとも感じていました。心臓外科も女医は少なく難しいので、今後の超高齢化社会を考えると血管外科はニーズが高さそうだと見込んで、その道に進もうと決めたんです。
──ある意味、消去法で進路を決めたのですね。
そうですね。それにもうお気づきでしょうが、私は昔から周りの言われた通りの道には進みたくないんです。「親が医師だから医師になれ」とか、「女医だから乳がん専門医になるのがいい」というのは、なんだか安易な気がして、すごく嫌でした。
言葉も分からない状態でドイツへ…現地でのドタバタ
──血管外科医として働いて30代後半に差し掛かり、2005年から2年間半ほどドイツに留学されます。その理由は?
外科医の世界は徒弟制度に近いものがあります。教授や先輩から技術を教えてもらって一人前になる。でも、北陸という狭いエリアでは先輩の数も限られています。だから別の方から習ってみたいと思いました。どうせなら、まったく新しい環境で技術を学びたいと思ったし、海外で暮らしてみたいとも。
金沢医療センターの血管外科医として2年ほど働いていたとき、大学の先輩に相談したら、留学先を自分で探して行ってみたらどうかと言われました。しかし、私には伝手も何もない。どうやって探そうかと悩み、学会で来日されるゲストスピーカーに手当たり次第、「留学したい」と手紙を書いて送ることにしたのです。20通ぐらい送り、返事があったのは2通。1人はオランダの親日家の心臓外科医でしたが、「メインは心臓外科で血管外科はあまり扱っていないし、オランダ語ができないと大変です」とアドバイスをくれました。もう1人は、オーストラリアの血管外科医の大学教授で、1年間だけ、かつ無給なら来てもいいとお返事をいただきました。たまたまそのオーストラリアの病院への留学経験がある先生がいらっしゃったので、どんな状況かお話を聞くと、手術件数がすごく少ないこと、その教授は全国行脚のようにいろんな病院で手術しているから、彼について回る決心があるなら勉強になるのでは?ということでした。
果たしてその形で十分に学べるのかどうかと悩み、再び上司に相談しました。すると昔、上司自身が留学していたドイツのデュッセルドルフ大学病院に留学するという選択肢もあると言われました。自分が話せる英語圏で留学したいという思いがありましたが、あてもなかったので、実際にインスブルックで開催される学会に参加するついでに留学先の先生に会いに行き、病院も見学してドイツに留学することに決めました。
──ドイツ語は話せたのでしょうか?
もちろん話せませんでした。だから最初の5カ月は語学学校に通いました。中学レベルまで語学力を上げれば病院で働けるという地域の条例もあったので、そのレベルを目指して勉強しました。でもそのための認定試験があるわけでもない。そこで、語学学校の先生に頼んで面接をしてもらい、語学が中学レベルであることの証明書を作ってもらったんです。それを役所に提出しました。
でもその後、役所からはなんの連絡もありません。せっかくドイツまで来たのにいつまでたっても働けない状況にヤキモキし、通訳を雇って再び役所に現状を聞きに行きました。するとどうやら私が作った書類が意味不明だったらしく、たらい回しになっていたとのことでした。ようやく解決し、病院で働けるまでに何とか自力で辿り着きました(笑)。
同僚の一言に、「頭を殴られたような衝撃」
──苦労の末に辿り着いたドイツ・デュッセルドルフ大学病院では、どんな経験ができましたか。
私が入った血管外科および腎移植科では、大小さまざまな血管外科手術と腎移植を年間約2000例実施しており、朝から晩まで上司と一緒に手術室に入り、毎日平均して3~4件の手術に参加しましたし、腎移植にも携わりました。その経験を生かし、国境なき医師団のミッションでは、上腕動脈や大腿動脈切断症例に血行再建を行い、救肢できた症例が数例ありました。語学学校でのドイツ語は日常会話しか習っていなかったので、最初は医学用語を現場で必死に耳で聞きながら覚え、手術を手伝っていました。
──留学して良かったことは?
新しい技術を取り入れるというよりは、最新機器に頼らず、教科書に載っているような基本的な手技を重視する、クラシックな形での手術を大切にする病院でした。機器でうまくいかなかったときは、自分の手でなんとか修復しなくてはいけないし、そもそも基本を理解していないと、技術を応用できない。柔軟な発想やアイデア、コミュニケ―ション、チームワークも医師には必要だと実感できたことは大きな学びでした。
それに、ギリシャ、インド、アルジェリアなどさまざまな国から短期留学生が集まる環境だったので、グローバルな価値観も学びました。例えば、医療後進国であるカメルーンからやってきた外科医は、自国には人工血管置換術という技術がなく腹部大動脈瘤の患者さんを治せないので、そんな技術が提供できる病院を故郷で立ち上げたいという目的を持っていました。周りの考えがどうだとか、そういうことは抜きに自分の夢をまっすぐに見据える彼の姿は、私にとってとても刺激的で――。自分の事しか考えずにドイツにきた自分の頭をガツンと殴られた感じがしました。
そんななか、帰国後を含めた将来の話をしているときに、麻酔科医の同僚が「海外で外科医としてのスキルを生かしたいのなら、国境なき医師団(MSF)に参加する方法もある」と教えてくれました。興味を持った私は早速ホームページをチェックし、国際組織で実績もあったので、すぐに申し込みました。2年という留学期間が終わる2007年の秋に一時帰国し、MSFの面接を受けました。
本格的に帰国した時には、MSFからすでにフォーストミッションのオファーが届きました。大急ぎで書類を用意したり、一度に3~4種類の予防接種を打ったりして、復職する前の3カ月という自由な期間を使って、最初のミッション先であるナイジェリアに飛びました。(後編へ続く)
国境なき医師団(Médecins Sans Frontières 略称MSF)は、紛争や自然災害、貧困などによって命の危機に瀕している人びとに医療を提供する、非営利で民間の医療・人道援助団体。「独立・中立・公平」を原則とし、人種や政治、宗教にかかわらず援助を提供、医師や看護師をはじめとする海外派遣スタッフと現地スタッフの合計約4万5000人が、世界約70以上の国と地域で援助活動を行っています。1971年にフランスで医師とジャーナリストによって設立され、世界29ヵ国に事務局をもつ国際的な組織で、活動資金の95%以上は個人を中心とする民間からの寄付金に支えられています。
1999年にはノーベル平和賞を受賞。MSF日本は1992年に設立され、2017年には117人のスタッフを、のべ169回、29の国に派遣。現在も、活動に協力してくれる日本人医師を求めています。
今後のキャリア形成に向けて情報収集したい先生へ
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