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一人の町医者が、感染症予備校を14年間主催し続けるわけ ―永田理希氏(ながたクリニック)

2019年7月10日

毎回、全国から多くの方が参加者する感染症の勉強会「感染症倶楽部」。この発起人であるのが、北陸の石川県加賀市で開業している、頭頸部外科・耳鼻咽喉科医の永田理希氏です。なぜ一人の町医者が感染症勉強会を主催するのか――? その背景には、永田氏の立場だからこそ伝えたい想いがありました。(取材日:2019年5月12日)

自分のために始めた、感染症の勉強

―頭頸部外科・耳鼻咽喉科に進んだ理由を教えてください。

手術や外傷もできる赤ひげ町医者を実践していた父と、いずれは一緒に診療をしたいと考えていたので、学生時代から開業志向でした。当初は手術が好きだったこと、父が消化器外科であったことから同じ消化器外科を志していました。しかし、いざ実習で回ってみると、自分は診断から手術まで対応したいことがわかり、「何科に進んだら内科的臨床推論・診断、外科的治療・手術、外傷治療ができる赤ひげ町医者として、将来、地域医療に貢献できるだろうか?」と悩んでいました。
そんな時に救急科の存在を知り、3次救急で有名な大学病院に見学に行ったのですが――科の特性上、救急に来る患者さんの多くは意識がありません。診断・治療はできるけれども、当然のごとく、スピードが重要視される現場です。とてもやりがいのある専攻科だと惹かれましたが、将来的に自分が目指そうとしていたものとは大きくかけ離れていました。

本格的にどうしようかと考えていたところ、それまで全く候補にも挙がっていなかった頭頸部外科・耳鼻咽喉科なら、臓器は限定されますが内科的診断から外科的治療、子どもから高齢者まで幅広く関われることを知りました。大きな手術から外傷も行い、急性疾患から慢性疾患などの診断・治療などもあり、理想通り最初から最後まで関われ、何より町医者になっても、それまで修練した専門性を活かせる。そう思って、この専攻科に行き着いたのです。その後、専攻科だけでなく、総合診療なども含めて研さんを積み、2008年、ながたクリニックを開業しました。さらにその後、近隣で30年近く開業していた父の永田医院と合併し、小児科・内科(感染症&アレルギー疾患)、頭頸部外科(腫瘍&がん)、外科(外傷・感染症)を標榜し、乳幼児から100歳近い高齢者まで幅広く診ています。

―その一方で、感染症の勉強会「感染症倶楽部」も主催しています。始めたのはどのようなきっかけからですか。

医師2年目で頭頸部がんの患者さんが重症感染症になった際、指導医から「カルバペネム系抗菌剤でも何でもいいから、抗菌薬を始めておいて」と言われたことです。外来診療では、急性期は第3世代経口セフェム、慢性ではマクロライド系抗菌薬、重症であればキノロン系抗菌薬。当時、どの病院のどの診療科もそのような指導が当たり前でした。ようやくエビデンスに基づいた診療をすべきと言われ始めてきた時に、「本当にそれでいいのだろうか?」と違和感を持つようになりました。

翌年、富山県内にある小規模病院に出向した時のことです。院長は内科でしたが、他の常勤医は消化器外科、血管外科、整形外科、耳鼻咽頭科・頭頸部外科と外科系ばかりの病院で、診療科にかかわらず皆で協力して外科的治療・手術から内科的治療までサポートし合っている病院でした。そこで、最も多く共通していた領域が感染症だったのです。その時「感染症を学べば自分の中でモヤモヤしていたものを解決することができるうえ、自分がやりたかった内科的・外科的治療両方に関わるとき、強みになる」と考えました。
その後、学位取得のために大学に戻った際に、感染症をテーマとした研究を選択。腰を据えて感染症の勉強を開始しました。当時は、今のような感染症の勉強会や分かりやすい書籍はありませんでしたので、感染症に詳しい人にたくさん質問したり、全国の学会などに参加したり、独学で勉強していきました。

その後、医局からの出向で福井県済生会病院に勤務することになった時、病院の感染症対策委員に所属。北陸初の血液培養2セットの義務化導入を実現したり、グラム染色を研鑽したりと、専攻科の診療に加えて、院内の感染症診療にも関わるようになりました。すると、徐々に「感染症について教えてほしい」とローテートしてくる研修医から相談されるようになったのです。教えることは自分の勉強にもなると思い、マンツーマンで教え始めたのが感染症倶楽部の始まりです。気付けば今年で14年目を迎え、今や全国から多数多職種の参加者が集まる勉強会にまで発展しました。

感染症倶楽部、15期目の決断

―感染症倶楽部は、どのような形態で開催しているのですか。

70分×4コマ、1日280分の講義を年に全5~6回の生講演形式で開催しています。また、仕事が多忙で勉強会になかなか参加できなかったり、産休・育休で現場から離れていたりする方が、いつでもどこでも感染症を学び、質問できるように、Facebook上に「感染症倶楽部 on line(ICOL:アイコール)」というグループを開設しました。数年前から、1回30~60分のショートレクチャーシリーズ「感染症QUBE」、そして、年1回、私の地元である山代温泉の旅館で美味しい食事やお酒、温泉を楽しみながら、さまざまな先生が感染症に関連するプレゼンテーションをする「天下一武道会」、顧問医をさせていただいている加賀市医療センターの研修医や医学生を対象に毎週水曜日60分レクチャーをする「IC-FORCE」。これに加えて、関東地区で年2回、東海地区でも年1回の出張生講演、その他、不定期に全国からお声かけいただき講演をさせていただいています。
来年の15期目からは、少し形態を変えて、より裾野を広げていきたいと考えています。

―なぜ形態を変えるのですか。

レクチャー体制を変えて、参加者の裾野をさらに広げていきたいと考えています。北陸3県の医師や薬剤師、検査技師、看護師などの方々にも講演していただく予定です。感染症倶楽部生講演の内容はすべて書籍化することになりましたし、今度は、いろんな職種・専攻科・所属施設の先生方に講演を依頼することによって、私だけでは手が届かなかった方々へも感染症の知識を共有し、学ぶ場を提供していけると考えています。

ノーボーダーな場づくり

―多忙な中でも、14年間続けてこられた原動力とは。

正直、毎回280分の講演を終えるとフラフラになります(笑)。その準備も、休みの日や早朝5時前から診療までの時間を使っています。というのも、仕事の後は妻と4人の息子達と両親との生活もあり、時間を確保することが難しく、負担も大きくなってきたこともあり、毎回、「もうやめようかな・・・」と思いつつも、参加者アンケートの『わかりやすい!感染症が好きになった!また参加したい!』などの声でもう1回、もう1年と続けてきたら、14年目になりました。

―引き続き、感染症倶楽部を開催することで、実現したいことはありますか。

目指すのは、職種、診療科、所属施設の規模、経験年数を超えた、ノーボーダーな学びの「場」づくりです。
診療科や専門性、職種でボーダーができてしまっていますが、それらに関係なく歩み寄り、みんなが同じ土俵で、日々仕事の中で疑問に思ったことを学べる「場」を提供し続けていけたらと考えています。専門の人が専門的なことを詳細に学ぶ勉強会ではなく、難しいことをわかりやすく、誰でも楽しく学べる場を「感染症倶楽部」でつくっていけたらと思っています。

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