1. m3.comトップ
  2. キャリアデザインラボ
  3. キャリア事例
  4. 事例
  5. LGBTQs当事者の医師がカミングアウトした理由―吉田絵理子氏
事例

LGBTQs当事者の医師がカミングアウトした理由―吉田絵理子氏

2021年1月30日

川崎協同病院(神奈川県川崎市)総合診療科科長の吉田絵理子先生は、臨床医の傍ら、LGBTQs当事者として精力的に活動しています。不安を抱えながらもカミングアウトをし、LGBTQs当事者の活動を続ける背景には、ある強い想いがありました。(取材日:2020年10月20日)

医療への怒りから医師へ

——医師を志した理由を教えてください。

「もし次に家族が大きな病気をしたとき、何が起こっているのか分かるようになりたい」。

これが最初に医師を志した動機でした。私は小学5年生の時に、母を診断ミスのような形で亡くしていますが、当時は何が起こったのか非常に不透明でした。また父は精神疾患を患っているのですが、「調子が悪い」と訴えても医師にあまり本気で取り合ってもらえないことがあると聞いていました。そのような経験から、医療者へ怒りを感じていたのです。

しかし、受験間近になって「人の命にかかわるほど責任の重い仕事が、自分に務まるのだろうか」と不安になりました。それで好きな物理の研究をしようと、京都大学理学部に進学しました。ところが今度は、同級生たちが研究に注ぐ熱量に圧倒されてしまって――。「私は研究にここまでの情熱を注げない」と思いました。同級生たちのように情熱を持てる仕事は何だろうと改めて考え、たどり着いた答えがやはり医師だったのです。理学部卒業と同時に、医学部へ学士編入しました。

——総合診療の道を選んだのはなぜですか?

臨床実習が始まって、大学病院での医療は私の思い描いていたものとは違うと感じたのです。今振り返ると、私がやりたかったのは「地域医療」だったんです。さまざまな病院を見学して、自分の抱く医師像に最も近い先輩がいたのが現在勤めている川崎協同病院でした。

LGBTQsカミングアウト後の変化

——臨床医として働く一方、吉田先生はLGBTQs当事者とお伺いしました。LGBTQsについて教えていただけますか?

LGBTQsとは、lesbian(L)・gay(G)・bisexual(B)・transgender(T)・questioning(Q)の頭文字に、多様性を強調するため、その他のセクシュアル・マイノリティを指す「s」を付けた言葉です。LGBTQsを理解するには、どの性別にアイデンティティを持っているかという「性自認」や、恋愛感情や性的な関心がどの性別に向くのかという「性的指向」を理解するとよいです。また、服装や話し方でどのような性表現をするかも人によって異なります。

私は、性自認が男性でも女性でもないXジェンダーで、性的指向は男性・女性のどちらも好きになることがあるバイセクシュアルです。家族には20歳頃にカミングアウトをしましたが、職場には女性のパートナーがいることを隠していました。

——どのような経緯でLGBTQsの活動をするようになったのですか?

川崎協同病院で教育担当を担うようになり、研究についても教えられるようになりたいと思いました。また教育施設としての魅力を高めるために、研究もできる病院にしていきたいと思ったのです。そのためには、自分自身も研究手法を身につけなければ、と考えたことが発端です。東京慈恵会医科大学 臨床疫学研究部に社会人大学院生として入学し、「LGBTQsと医学教育」という研究テーマを選んだことが、LGBTQsの活動につながっていきました。

——なぜ、LGBTQsを研究テーマにしようと思ったのですか?

大学院入学直前に「ぶどう膜炎」を発症して――。ある朝起きたら突然、両目がほとんど見えなくなっていたんです。その状態が続いたのは2週間程でしたが、相当な恐怖体験でした。この経験から時間は有限だと強く感じ、自分が本当にやりたいことしかやりたくないと思うようになったんです。結果、自分の中では優先度が低かった研究へのモチベーションが大きく下がってしまいました。どうしようかと悩んでいたら、担当教授が「もし吉田さんがやりたいなら、LGBTQsをテーマにしてもいいんだよ」と言ってくださったのです。

そもそも、LGBTQsを研究テーマにしようとは思いもしませんでした。大学の担当教授など、ごく限られた人にしかカミングアウトしていませんでしたし、当時は公にするつもりもありませんでした。でも、研究テーマにするならカミングアウトしないと、私の性格的にも研究を進めにくいと思いました。

——カミングアウトはどのように進めていったのですか?

最初は研究室の皆さんにカミングアウトしました。研究を進めていく過程で「医学生に講演してもらえないか」という依頼をいただくようになり――その後は病院や大学での講演依頼、LGBTQsに関する原稿依頼なども来るようになり、研究を始めて2年後に、川崎協同病院内でもカミングアウトしました。

カミングアウトはすごく不安でした。自分のキャリアにどう影響するのかが未知数で、不可逆的な変化が起こることに不安を抱いていました。最初は匿名や偽名で研究できないかとも考えたくらいです。

それでも、この研究テーマに取り組もうと決めたのは、以前からLGBTQsの人たちが医療にアクセスしにくいことに問題意識を感じていたから。当事者としての生きづらさや、常に何かを隠して生きていることへの居心地の悪さも感じていて、この状況を変えたいという気持ちがありました。

——「LGBTQsと医学教育」という研究テーマで、どのような研究を進めているのでしょうか?また当事者として、具体的にどのような活動をしているか教えてください。

医学部でどの程度LGBTQsについて教えられているのか、LGBTQsについて授業で教えられた時、学生たちにどのような変化が起こるのかなどを研究しています。

当事者としての活動は、大学や病院での講演活動や、医療・看護学系の教科書や商業誌などでのLGBTQsに関する執筆です。講演では、これまでに延べ1500人以上に話をしてきました。

特に講演活動では「1回、当事者の話を聞くこと」が、大きな影響を与えるきっかけになっていると思います。1時間程度の講演では、LGBTQsの全てを理解することはできません。しかし、医師や看護師がLGBTQsについて知る機会はまだ多くはありませんから、講演を聞いてもらう意義は大きいでのは…?と感じています。また、当事者が講演している衝撃はそれなりにあるようです。講演後「自覚していなかったけれども、偏見を持っていたと気付いた」などの感想を聞けたときには、とても嬉しいです。

カミングアウトしたのは、たった3年程前。最初はとても怖かったですが、こんなに仕事の幅が増えるとは予想もしていませんでした。今はカミングアウトして良かったと思えることが、たくさん起こっています。

「マイノリティはツールになる」

——LGBTQsの活動を通して、今後実現したいことは何ですか?

どんなセクシュアリティの人でも、どこでも当たり前に安心して適切な医療を受けられるようにしたい。さらには医療現場だけでなく、安心して生活を送れる社会にしていきたいと思っています。日本だけでなく、世界中でも。そのために医師としてできることは何でもやりたいです。セクシュアル・マイノリティだけでなく、社会的弱者、医療から「周辺化」された人たちにも医療が届くようにしたいと思っています。もう怒りは消えましたが、医師を志した根底には、やはり母や父のことがあります。

先程少し触れましたが、LGBTQsの人たちは医療にアクセスしづらいことがあります。トランスジェンダーの友人から、診療所を受診した時にとても差別的なことを言われたと聞いたことがあります。私もぶどう膜炎になった時、パートナーと一緒に病状説明を聞きたいと思っても、「もしこの医師が偏見を持っていたら…」と考えると、そのことを言い出すのに勇気が必要でした。「ものすごい体調が悪いのに、なんでこんな時まで怖い思いをしなければいけないんだ」と思いました。

「マイノリティはツールになる」。研修医1年目の時、在日コリアンの産婦人科医から教えてもらった言葉です。川崎協同病院の周囲には在日コリアンの方が多く住んでいて、その先輩がハングルを話せることが、患者さんたちの助けになっていました。当時私はカミングアウトしていませんでしたが、この言葉をずっと密かに心に留めていました。

マイノリティであることはネガティブに捉えられやすいですが、人の役にも立てます。私自身もマイノリティであることをツールにして、セクシュアル・マイノリティや社会で周辺化されている人たちが安心して医療を受けられるようにするという目標に向かって、少しずつでも進んでいきたいと思います。

地域医療にご興味のある先生へ

各地で奮闘する先生お一人おひとりのご活躍によって、日本の医療は支えられています。
この記事をお読みになって、もしも「地方での勤務に興味はあるが、なかなか踏み出せない」とお考えでしたら、一度コンサルタントにご相談いただけないでしょうか。

先生のご懸念やご事情を伺った上で、地方の実情や待遇、サポート体制など正直にお伝えし、前向きな気持ちで次のキャリアに踏み出せるように最大限のご支援をしたいと考えております

先生の決断が、地域を、医療を変えるかもしれません。新天地でのご勤務・転職をお考えでしたら、ぜひお問い合わせください。

この記事の関連キーワード

  1. キャリア事例
  2. 事例

この記事の関連記事

  • 事例

    「深刻な問題だ」救急科新設した30代医師の挑戦―柴崎俊一氏

    医学生時代から、いずれ茨城県内の医療過疎地に貢献したいと考えていた柴崎俊一先生。医師8年目で1人、ひたちなか総合病院に飛び込み、救急・総合内科を新設します。診療科を新設し、病院内外に根付かせるにはさまざまな苦労がありますが、どのように取り組まれたのでしょうか。

  • 事例

    院長のラブコール「帰ってこい」Uターン医師の新たな挑戦―光田栄子氏

    お看取りのあり方に課題を感じ、介護士から医師に転身した光田栄子先生。諏訪中央病院を経て、現在、岡山市内のベッドタウンにある有床診療所「かとう内科並木通り診療所」に勤めています。地元にUターンした光田先生がこれから取り組んでいきたいことについて、お話を伺いました。

  • 事例

    「診療科の隙間を埋める」院長の挑戦とは―中山明子氏

    大津ファミリークリニック(滋賀県大津市)院長の中山明子先生。外来、訪問診療をしながら、家庭医として、相談先を見つけにくい思春期の子どもや女性のケアに力を入れています。

  • 事例

    最期まで自分らしく生きる「緩和ケア」を文化に―田上恵太氏

    最期までその人らしく生きるためには、病気や人生の最終段階に生じるつらさを軽減する緩和ケアの普及が必要だと感じた田上恵太(たがみ・けいた)先生。現在は東北大学病院緩和医療科で「緩和ケアを文化に」することを目標に、臨床・研究・社会活動の3点を軸に取り組みを進めています。

  • 事例

    1年限定のつもりが…在宅診療所で院長を続ける理由―細田亮氏

    千葉県鎌ケ谷市にある「くぬぎ山ファミリークリニック」の院長・細田亮(ほそだ・とおる)先生は、2015年、1年間限定のつもりで同クリニックの院長を引き受けました。ところが、院長のまま6年目を迎え、現在はクリニックの新築移転も計画中です。今もなお院長を続ける理由とは――?

  • 事例

    医師の夢“ちょっと医学に詳しい近所のおばさん”―吉住直子氏

    医師としてフルタイムで働きつつ、地域での社会活動にも尽力している吉住氏。「幅広い世代が集まる場所」をつくろうと、奮闘しています。なぜ、忙しい時間を縫って社会活動をするのか。どのような医師を目指しているのかを伺いました。

  • 事例

    元ヘルパー医師が考える、引き算の医療―吉住直子氏

    臨床検査技師や介護ヘルパーを経て、呼吸器内科医となった吉住直子氏。研修先や診療科を選ぶ際は、常に「理想的な高齢者医療」を念頭においていました。実際に診療を始めると、前職の経験がプラスに作用することがあるとか。また、以前は見えなかった新しい課題も浮き彫りになってきたと語ります。

  • 事例

    2つの職を経た女医が、介護にこだわる理由―吉住直子氏

    「ちょっと医学に詳しい近所のおばさんを目指している」と朗らかに話すのは、医師の吉住直子氏です。医学部に入るまでは、臨床検査技師や介護ヘルパーの仕事をしていて、介護現場に立つうちに医師になろうと決意しました。どのような思いで、医師というキャリアを選んだのでしょうか。インタビューを3回に分けてお届けします。

  • 事例

    南海トラフ巨大地震に備えて、医師にできること ―森本真之助氏

    森本氏は専門医取得を目指すことに加え、「災害に強いまちづくり」の活動をさらに広げています。診療にとどまらず、地域の大きな課題に取り組む森本氏に、これまでのキャリアと活動を伺いました。

  • 事例

    運営休止した銚子市立病院で、60代医師が働きたいと思った理由―蓮尾公篤氏

    大学病院、神奈川県の公的病院にて長年、外科医として勤務してきた蓮尾公篤先生。医師になったときから思い描いていたキャリアを実現させるべく、60歳を過ぎてから転職活動をスタートします。さまざまな選択肢の中から転職先に選んだのは、かつて運営休止に追い込まれてしまった銚子市立病院でした。蓮尾先生が銚子市立病院に入職を決めた経緯、今後の展望についてお話を伺いました。

  • 人気記事ランキング