川崎協同病院(神奈川県川崎市)総合診療科科長の吉田絵理子先生は、臨床医の傍ら、LGBTQs当事者として精力的に活動しています。不安を抱えながらもカミングアウトをし、LGBTQs当事者の活動を続ける背景には、ある強い想いがありました。(取材日:2020年10月20日)
医療への怒りから医師へ
——医師を志した理由を教えてください。
「もし次に家族が大きな病気をしたとき、何が起こっているのか分かるようになりたい」。
これが最初に医師を志した動機でした。私は小学5年生の時に、母を診断ミスのような形で亡くしていますが、当時は何が起こったのか非常に不透明でした。また父は精神疾患を患っているのですが、「調子が悪い」と訴えても医師にあまり本気で取り合ってもらえないことがあると聞いていました。そのような経験から、医療者へ怒りを感じていたのです。
しかし、受験間近になって「人の命にかかわるほど責任の重い仕事が、自分に務まるのだろうか」と不安になりました。それで好きな物理の研究をしようと、京都大学理学部に進学しました。ところが今度は、同級生たちが研究に注ぐ熱量に圧倒されてしまって――。「私は研究にここまでの情熱を注げない」と思いました。同級生たちのように情熱を持てる仕事は何だろうと改めて考え、たどり着いた答えがやはり医師だったのです。理学部卒業と同時に、医学部へ学士編入しました。
——総合診療の道を選んだのはなぜですか?
臨床実習が始まって、大学病院での医療は私の思い描いていたものとは違うと感じたのです。今振り返ると、私がやりたかったのは「地域医療」だったんです。さまざまな病院を見学して、自分の抱く医師像に最も近い先輩がいたのが現在勤めている川崎協同病院でした。
LGBTQsカミングアウト後の変化
——臨床医として働く一方、吉田先生はLGBTQs当事者とお伺いしました。LGBTQsについて教えていただけますか?
LGBTQsとは、lesbian(L)・gay(G)・bisexual(B)・transgender(T)・questioning(Q)の頭文字に、多様性を強調するため、その他のセクシュアル・マイノリティを指す「s」を付けた言葉です。LGBTQsを理解するには、どの性別にアイデンティティを持っているかという「性自認」や、恋愛感情や性的な関心がどの性別に向くのかという「性的指向」を理解するとよいです。また、服装や話し方でどのような性表現をするかも人によって異なります。
私は、性自認が男性でも女性でもないXジェンダーで、性的指向は男性・女性のどちらも好きになることがあるバイセクシュアルです。家族には20歳頃にカミングアウトをしましたが、職場には女性のパートナーがいることを隠していました。
——どのような経緯でLGBTQsの活動をするようになったのですか?
川崎協同病院で教育担当を担うようになり、研究についても教えられるようになりたいと思いました。また教育施設としての魅力を高めるために、研究もできる病院にしていきたいと思ったのです。そのためには、自分自身も研究手法を身につけなければ、と考えたことが発端です。東京慈恵会医科大学 臨床疫学研究部に社会人大学院生として入学し、「LGBTQsと医学教育」という研究テーマを選んだことが、LGBTQsの活動につながっていきました。
——なぜ、LGBTQsを研究テーマにしようと思ったのですか?
大学院入学直前に「ぶどう膜炎」を発症して――。ある朝起きたら突然、両目がほとんど見えなくなっていたんです。その状態が続いたのは2週間程でしたが、相当な恐怖体験でした。この経験から時間は有限だと強く感じ、自分が本当にやりたいことしかやりたくないと思うようになったんです。結果、自分の中では優先度が低かった研究へのモチベーションが大きく下がってしまいました。どうしようかと悩んでいたら、担当教授が「もし吉田さんがやりたいなら、LGBTQsをテーマにしてもいいんだよ」と言ってくださったのです。
そもそも、LGBTQsを研究テーマにしようとは思いもしませんでした。大学の担当教授など、ごく限られた人にしかカミングアウトしていませんでしたし、当時は公にするつもりもありませんでした。でも、研究テーマにするならカミングアウトしないと、私の性格的にも研究を進めにくいと思いました。
——カミングアウトはどのように進めていったのですか?
最初は研究室の皆さんにカミングアウトしました。研究を進めていく過程で「医学生に講演してもらえないか」という依頼をいただくようになり――その後は病院や大学での講演依頼、LGBTQsに関する原稿依頼なども来るようになり、研究を始めて2年後に、川崎協同病院内でもカミングアウトしました。
カミングアウトはすごく不安でした。自分のキャリアにどう影響するのかが未知数で、不可逆的な変化が起こることに不安を抱いていました。最初は匿名や偽名で研究できないかとも考えたくらいです。
それでも、この研究テーマに取り組もうと決めたのは、以前からLGBTQsの人たちが医療にアクセスしにくいことに問題意識を感じていたから。当事者としての生きづらさや、常に何かを隠して生きていることへの居心地の悪さも感じていて、この状況を変えたいという気持ちがありました。
——「LGBTQsと医学教育」という研究テーマで、どのような研究を進めているのでしょうか?また当事者として、具体的にどのような活動をしているか教えてください。
医学部でどの程度LGBTQsについて教えられているのか、LGBTQsについて授業で教えられた時、学生たちにどのような変化が起こるのかなどを研究しています。当事者としての活動は、大学や病院での講演活動や、医療・看護学系の教科書や商業誌などでのLGBTQsに関する執筆です。講演では、これまでに延べ1500人以上に話をしてきました。
特に講演活動では「1回、当事者の話を聞くこと」が、大きな影響を与えるきっかけになっていると思います。1時間程度の講演では、LGBTQsの全てを理解することはできません。しかし、医師や看護師がLGBTQsについて知る機会はまだ多くはありませんから、講演を聞いてもらう意義は大きいでのは…?と感じています。また、当事者が講演している衝撃はそれなりにあるようです。講演後「自覚していなかったけれども、偏見を持っていたと気付いた」などの感想を聞けたときには、とても嬉しいです。
カミングアウトしたのは、たった3年程前。最初はとても怖かったですが、こんなに仕事の幅が増えるとは予想もしていませんでした。今はカミングアウトして良かったと思えることが、たくさん起こっています。
「マイノリティはツールになる」
——LGBTQsの活動を通して、今後実現したいことは何ですか?
どんなセクシュアリティの人でも、どこでも当たり前に安心して適切な医療を受けられるようにしたい。さらには医療現場だけでなく、安心して生活を送れる社会にしていきたいと思っています。日本だけでなく、世界中でも。そのために医師としてできることは何でもやりたいです。セクシュアル・マイノリティだけでなく、社会的弱者、医療から「周辺化」された人たちにも医療が届くようにしたいと思っています。もう怒りは消えましたが、医師を志した根底には、やはり母や父のことがあります。
先程少し触れましたが、LGBTQsの人たちは医療にアクセスしづらいことがあります。トランスジェンダーの友人から、診療所を受診した時にとても差別的なことを言われたと聞いたことがあります。私もぶどう膜炎になった時、パートナーと一緒に病状説明を聞きたいと思っても、「もしこの医師が偏見を持っていたら…」と考えると、そのことを言い出すのに勇気が必要でした。「ものすごい体調が悪いのに、なんでこんな時まで怖い思いをしなければいけないんだ」と思いました。
「マイノリティはツールになる」。研修医1年目の時、在日コリアンの産婦人科医から教えてもらった言葉です。川崎協同病院の周囲には在日コリアンの方が多く住んでいて、その先輩がハングルを話せることが、患者さんたちの助けになっていました。当時私はカミングアウトしていませんでしたが、この言葉をずっと密かに心に留めていました。
マイノリティであることはネガティブに捉えられやすいですが、人の役にも立てます。私自身もマイノリティであることをツールにして、セクシュアル・マイノリティや社会で周辺化されている人たちが安心して医療を受けられるようにするという目標に向かって、少しずつでも進んでいきたいと思います。
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