現在、山口大学総合診療部にて臨床・教育・診療体制の改善に取り組むのは、家庭医の玉野井徹彦(たまのい・てつひこ)氏。もともと同氏が医師を志した理由は、地元・山口県の環境保護に取り組むためというユニークなものでした。そんな玉野井氏が思う、山口県の抱える課題と将来実現したい夢とは――。(取材日:2019年11月19日)
愛する山口県の環境保護活動のため、家庭医になる!
――将来は環境保護に取り組むため、医師になったと聞きました。その経緯を教えてください。
医師を目指したのは、地元の人や地域への興味がきっかけです。小学生のときに「海の砂漠化」を学んだことで、環境保護に興味を持ちました。私が育ったのが山口県の自然豊かなところだったこともあり、将来は町全体を巻き込んで、私の好きな山口県の環境保護に取り組みたいと思うようになったのです。
夢の実現のためには、保全活動に協力をしてくれる仲間づくりが必要不可欠でした。仲間を集めるため、まずは自分が地元の人たちの役に立ち、地元に還元できる職業に就くことが説得力がありよいのでは、と考えました。そこで、医師が選択肢の1つに挙がり志すようになったのです。
――産業医科大学に入学されましたね。
もともと私の理想の医師像は、患者さんを「点」で診るのではなく「線」で診る、全人的な医療を施す医師でした。しかし、私が受験を考えていた2004年頃はまだ全人的医療を学べる医学部がほとんど無く――。自分の理想の医師像に最も近い存在が、産業医だったため大学は産業医科大学に入学しました。しかし、私のイメージしていたような、田舎の小さな会社の産業医は少ないことを知り、徐々に理想の医師像は産業医ではないと思うようになったのです。
そんな悩みを抱えながら、自転車で日本全国を縦断していた医学部4年生のときのこと。隠岐島前病院(島根県)院長の白石吉彦先生にお会いする機会が得られました。白石先生は島根県で離島医療をされていて、特定の専門科にとらわれることなく、患者さんの全てを診ていらっしゃる方。まさに自分が目指したい医師そのものでした。私は白石先生に「先生のような医師になりたいのです」と話すと、「まずは感染症を診られるようになった方が良い」とおっしゃいました。そのため、初期研修先は、感染症内科で有名な中頭病院(沖縄県)を選びました。
――産業医大から、産業医以外を目指す進路はめずらしいですね。
後期研修先を選ぶときは悩みました。産業医大は医師になってから10年近くは、基本的に産業医として勤務しないと修学資金の返還義務が免除されません。ですので、一般的な進路は産業医になるか、産業医大の関連病院で働くかでした。私はこのまま大学に残るか、総合診療医を目指し借金を背負うのかで葛藤しました。
お金のこと以上に気掛かりだったのは、総合診療医を目指すと、お世話になった産業医大から「せっかく教育したのに……」と残念がられないかという点。しかし、産業医を雇う義務のない田舎の少人数企業にこそ、産業医マインドを持った総合診療医が必要なのでは、と感じ総合診療の道に行くことを決意しました。当時は、田舎で働くことや総合診療医になることに対して否定的な意見も多くありましたが、現在では少しずつ総合診療科が認められるようになってきているので、当時の決断に後悔はありません。
葛藤の末に始めた初期研修でも、新たな悩みが生まれました。さまざまな診療科をローテートして幅広い疾患を診るスキルは磨けたのですが、自分の中で何かが足りないと感じていたのです。退院後の患者さんはどうなるのか、なぜ何度も入退院を繰り返さなければならないのか――? 病院の外のことにも疑問を抱くようになりました。そんなときに、地域医療研修の一環として隠岐島前病院で研修をさせていただいて、白石先生から病棟だけでなく外来も得意分野とする、「家庭医療」を教えていただいたのが、家庭医を目指したきっかけです。
深刻な医師不足を解消したい 若手教育への取り組み
――後期研修では、家庭医教育に力を入れている亀田ファミリークリニック館山を選ばれました。いかがでしたか。
初期研修で豊見城中央病院の膠原病内科を研修したとき、亀田総合病院から来られた上地英司先生と出会い、亀田ファミリークリニック館山での研修を後押しして下さり、後期研修は亀田で受けることになりました。亀田では、透析や小児科医としての技術を磨かせていただけたのはもちろん、なによりも周りのスタッフ、先輩方から非常に多くのフィードバックを受けられました。技術のみならず、自分の行動や感情について言語化され、フィードバックされる。研修医からフィードバックをすることもあります。その繰り返しによって思考力と同時に人を育てるとはどういうことか、教育について学ぶことができました。これは、現在の山口大学で生かしています。
――後期研修の後は地元の山口県へ戻られたのですね。
このタイミングで地元に戻ったのは、山口県の医療が深刻な事態に陥っていると感じたためです。山口県では現在、40代以上の医師が大半を占めており、医師平均年齢は福島県と並んで全国で最高齢です。しかも引退し始める医師もいて、医師不足の地域が増えていきています。このままでは、地域全体で環境保護に取り組むという夢が遠のいてしまう――。そして大切な地元のためにも地域の医師不足をなんとかしなければ、と思ったのです。若手医師が山口県で働きたいと思うような環境づくりをするため、山口大学総合診療部に入りました。
――現在の山口大学総合診療部や生協小野田診療所での活動について教えてください。
現在、山口大学から派遣されて勤務している生協小野田診療所では、グループ診療の質向上に尽力しています。特に、在宅診療へのクラウド型電子カルテや医療用SNSの導入、さらには医療者と地域住民による勉強会に参加することで、地域との連携にも注力しています。日本看護学会の学術集会では、山口労災病院の看護師長さんと合同で地域連携について発表もさせていただきました。
また、研修所では医師不足解消のため、医学生や研修医の他に薬学生や看護師など、様々な職種の方の実習を積極的に受け入れています。地域医療だけでなく、山口県そのものの魅力に触れてもらい、人や土地のことも好きになってもらえるように活動しています。教育面では、山口大学の研修医全員が集まるレジデントデイを毎月開催したり、県内の研修プログラム間交流を行ったりしていますね。他に、県外にいる「ひとり専攻医」の先生のポートフォリオ作成支援や中国ブロック内の指導医養成講習にも講師として関わらせていただいています。
どんな環境でも、そこにあるニーズを満たせることが家庭医の良さ
――今後の展望を教えてください。
今後は、診療所のある県西部地域だけではなく、東部地域の診療支援にも取り組んでいきたいです。私の思う家庭医の良さは、どんな場所であっても地域のニーズに合わせて役立つことができること。1つの診療所で働き続けることも大事ですが、家庭医の良さを生かし、活動の幅を広げていきたいと思っています。
さらに、私が医学部に入る前から考えている「環境保護に取り組む町づくり」が、最近徐々に形になりつつあります。現在所属する山口大学医学部は工学部の隣にあるため、町づくりに取り組まれている工学部の先生方とお話をする機会をいただいたり、工学部の学生の皆さんが運営する町のイベントに参加させていただいたり。少しずつではありますが、自分の夢を家庭医と結びつけながら叶える準備をしているところです。そして、これからも山口県の人や土地が純粋に「好き」、という気持ちを大切にして、山口県の魅力を若手に伝えていきたいです。
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