女性医師
女性医師について紹介します-
事例
国境なき医師団を理由に退局申し出 思わぬ結末とは
やりがいがある反面、様々なハードルもある国境なき医師団での活動。職務にもよりますが、一度派遣されると最低でも4週間以上現地に滞在しなければならないため、日本国内の常勤先の医療機関との折り合いをつけるのが難しいと考える医師も多いのが実情です。今回は、新潟県の魚沼基幹病院で産婦人科部長として働くかたわら、国境なき医師団の活動にも参加し続けている鈴木美奈先生に、日本でのキャリアとの両立について伺いました。
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コラム
医師の婚活、難易度高めって本当ですか?―女医のつれづれ手帖(2)
雑誌やインターネットのニュース記事で見かける、結婚したい職業ランキング。「医師」という職業は、男性の場合TOP3にランクインすることが多いですが、女性になるとランクインすらしないというのが現実です。せっかく頑張って医師になったのに、なんだか切なくなってしまいますよね…。職業で結婚が決まるというわけではありませんが、婚活市場において判断材料になるのは事実。今回は、女医の婚活事情について赤裸々にお伝えしたいと思います。
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コラム
独身女医が「結婚したい」と決意するとき―女医のつれづれ手帖(1)
ご存知の通り、医師が一人前になるには時間が掛かります。専門医取得後、それなりに経験を積んで「一人前になった」と自信を持って言えるのが30代半ば頃でしょう。多忙を極める女医にとって、結婚はそう簡単ではないように思います。一人前になるとさらに忙しくなりますし、そのような状況で出会いの場に足を運ぶのはなかなか難しいからです。今回は、わたしが結婚に踏み切った理由についてお伝えしていきたいと思います。
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事例
「二度と行きたくない」国境なき医師団に、女性医師が参加し続ける理由
医師のキャリアの分岐点となる40代。内科医の平井亜由子氏は40歳で国境なき医師団に初挑戦し、今は活動している国の公衆衛生の一端を担うまでに活躍しています。しかし、1回目の活動を終えたときの感想は「もう二度と行かない」。それでも平井氏が活動を続けるのは、ある理由があります。
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事例
初期研修アンマッチを経て南相馬へ そこで見たもの―山本佳奈氏
2015年春、福島県南相馬市立総合病院の初期研修医となった山本佳奈氏。関西地方で生まれ育ち、東京を中心に研修先病院を探していたにもかかわらず、最終的に選んだのは福島県南相馬市。東日本大震災の被災地としても記憶に新しい場所ですが、なぜ彼女はこの地を選んだのでしょうか。そして、初期研修修了後もここに残り続ける理由とは。
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事例
パラレルキャリアを叶えやすい医師こそ、もっと自由に働ける―折居麻綾氏
レインボーカラーのヘアスタイルに、奇抜なメガネとファッション。見る者に強烈なインパクトを残すこの女性―折居麻綾氏の職業は、脳神経外科医兼ファッションデザイナー。2015年7月のテレビ番組出演を皮切りに、2足のわらじを履く医師として注目を集めています。現在はあかしあ脳神経外科にて院長を務める一方、北海道の釧路孝仁会記念病院に10年以上当直医として通っています。
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事例
子どもを通して、母親の心も治療していく―牛田美幸氏
香川県善通寺市にある、四国こどもとおとなの医療センター児童心療内科医長を務める牛田美幸氏は、子どもの心の問題を通じて、母親が抱える問題にも向き合うようになりました。子どもを治すには、まずは母親―そう気付いたきっかけは何だったのでしょうか。
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事例
離島から考える、国際協力への道―小澤萌氏
離島診療所医師養成プログラムを終え、2016年4月より、沖縄本島から約360km離れた北大東島で勤務を始めた小澤萌氏。国際協力への興味から医師を志した小澤氏が、沖縄を研修先に選んだ理由とは。