2015年春、福島県南相馬市立総合病院の初期研修医となった山本佳奈氏。関西地方で生まれ育ち、東京を中心に研修先病院を探していたにもかかわらず、最終的に選んだのは福島県南相馬市。東日本大震災の被災地としても記憶に新しい場所ですが、なぜ彼女はこの地を選んだのでしょうか。そして、初期研修修了後もここに残り続ける理由とは。
南相馬の現状を、自分の目で確かめたい
―初期研修で南相馬市立総合病院を選んだ経緯を教えてください。
わたしは生まれも育ちも関西で滋賀医科大学に通っていましたが、お世話になっていた恩師から「自分の知らない文化圏に出てみなさい」というアドバイスをいただき、東京都内で研修先を探していました。
第1希望の病院は見つかったものの、どうしても他に行きたいところが見つからず、第2希望は空欄のままマッチングの日を迎えました。結果は、第1希望選考落ち。さすがにショックが大きく、結果を見てから数時間のことはあまり覚えていません。
恐らく夕方頃になって2次募集をかけている病院の情報が入ってくるようになったのだと思います。いつまでも落ち込んでいるわけにはいかないと、その日の夜には、応募したい病院の目星をつけていました。それが南相馬市立総合病院だったのです。
実は一度だけ、震災後間もない大学5年次に南相馬市を訪ねたことがあり、知り合いの先生方が被災地で活動されている様子を見聞きしていました。そのときの経験から、ただ傍観して終わるのではなく、自分も南相馬に入って、現状をこの目でしっかり見ておきたいと思ったのです。
ちょうど1枠だけ募集がかかっていて、すぐに面接を希望して採用が決まりました。後日知ったのですが、翌日には複数の医学生から問い合わせがあったそうです。あの時の決断が遅かったら、今のわたしはいないかもしれません。
―関西から離れた経験がなかった山本先生にとっては、大きな決断だったのではないですか。
確かにそうですね。最初、恩師には止められましたし、両親にもかなり心配をかけてしまいました。
ただ2次募集中の病院を探している時に南相馬市立総合病院を見つけたときは、直感的に「今行かなければ今後行くタイミングはない」と思ったのです。
例えば初期研修を都内の病院で行い、3年目以降に南相馬に行くとすると、わたしの年齢は28歳。プライベートも含めて考えると、初期研修以降に南相馬に行けるのか、そもそも行こうと思えるのかが想像もつきませんでした。
最初に苦労したのは言葉のやりとり
―実際に南相馬に行ってみて、大変だった点は何ですか。
1年目の夏ごろまでは本当に必死でしたね。意外に思われるかもしれませんが、最初は言葉のやりとりに苦労しました。患者さんの言っていることが聞き取れず、看護師さんに通訳してもらうこともしばしば。もちろん医学的知識が不十分だったこともありますが、問診でコミュニケーションがとれないがために、カルテに「風邪」としか書けなかったこともあり、もどかしい思いをたくさんしました。逆にわたしの関西弁が混じった言葉を伝えるのも難しく、「中国語のように聞こえる」と言われたこともありました。
また当院では十数年ぶりの常勤女性医師だったため、コメディカルのスタッフが、わたしにどう接していいのか戸惑い、距離感がつかめなかった様子でした。わたし自身も半年くらいは医師として、病院のスタッフとどう関係性を築いていくか苦心していましたね。
―一方、南相馬に来て良かったと思う点は何ですか。
やはり南相馬は自然豊かで、安くて新鮮な食材が多く、生活面はとても充実しています。放射線の心配もなく、何を食べてもおいしいですね。また、潮風で海を感じ、すぐ近くには山も見え、夜は星空がものすごくきれいです。今まで、こんなに自然を感じながら生活できたことはなかったように思います。時々故郷の味であるお好み焼きが食べたくなって、自分で作ることはありますけどね。
―医学的トレーニングの面ではどうですか。
地方都市にある多くの病院が同じような状態だと思いますが、医師年数が浅くても色々な経験をさせてもらえるので、都市部で働いている友人と比較してみても、スキルアップには良い環境が整っていると感じています。
わたしは3年目から神経内科に所属していますが、外来は頻繁に任せてもらっていますし、外来患者さんの入院オーダーをしたらそのまま主治医として、病棟患者さんも診ています。まだ経験が少なくうまく組み立てられていませんが、ムンテラも行い始めました。
研修1~2年目の時は指導医の処置を見学したり、後ろについてもらっていたりしましたが、3年目からは全て一人。また当直は月3~4回あり、ファーストタッチを行っています。なかには当院の標榜科目にない患者さんが来る日もあるので、自分の専門外の患者さんでも、ある程度の初診ができるようになってきました。
関西から南相馬に来た自分にできること
―今後、南相馬でのキャリアの展望について教えてください。
南相馬に来て半年が過ぎたころから「わたしにできることは何か」と、自分がここに来た意味を考えるようになりました。医療支援をするためと言えるほどの技術も、調査研究を論文発表していく技量もまだまだありません。そこで行き着いた答えは、まずは自分の臨床技術を向上させること、そして、飾らないありのままの南相馬を発信することです。
学生時代に書籍を出版させてもらった縁で、文章を書いて発信する機会をいただくことが多く、新聞の投稿欄にも南相馬のことを書いています。わたしが発信した情報を通して、東日本大震災後の南相馬市や福島県についての誤解を解くことに貢献していきたいです。
初期研修医として迎え入れてくださった当院のスタッフ、そして「関西から来てくれてありがとう」と温かく受け入れてくださる住民の皆さんのためにできることは、まだたくさんあるはずです。何年先までかは分かりませんが、この地域のために今の自分にできることを続けていきたいと強く思っています。
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