チェコ出身の中島恵利華先生は、日本語を学ぶために始めた日本人男性との文通がきっかけで1979年に亡命同然で来日。子育てをしながら猛勉強して、日本で医師免許を取得しました。現在は新潟県上越市でめぐみ皮膚科を開業しています。来日当時は、医師はもちろん、観光客としてですら外国人が非常に珍しい存在だったそうです。苦労の末、いまや地域の健康を支え、住民の方々に慕われる存在となった中島先生。これまでのキャリアや来日時の想い、チェコと日本の医療の違いなどについてお話を伺いました。(取材日:2018年9月20日)
クロサワ映画「赤ひげ」に感銘を受け、日本への興味がわいた
――最初はチェコで医療を学ばれたとのことですが、そもそもなぜ医師を志したのですか?
母親がプラハ・カレル大学医学部精神科の教授だったことが大きいですね。物心ついたときから医師である母の背中をずっと見てきましたから。また、チェコの社会情勢も影響しています。当時プラハでは政変がよく起こっていたんです。1968年の「プラハの春」(※)をきっかけにソ連からの制圧を受け、強烈な揺り戻しが起きて国内は大混乱でした。
日本文化に興味がありましたし社会科学や人文科学の世界も考えましたが、そうした情勢下では将来不安が大きく現実的ではなかった。一方、医師なら安心、生活には困りません。また、「医師になるための勉強をしながら、日本文化や日本語を学んでみてはどうか?」という親からの勧めもあり、プラハ・カレル大学で6年間医学を学びました。医師免許を取得したのは1975年、23歳のときのことです。
(※) 1968年春にチェコスロバキアで起きた民主化の動き。 68年1月、改革派の A.ドプチェクが党第一書記に就任し、独自の社会主義路線を宣言。しかし危機を感じたソ連のブレジネフ政権が、同年8月ワルシャワ条約機構軍 20万人を投入し民主化の動きを圧殺した。
――日本文化に興味を持ったきっかけは何だったんですか?
もともと東洋の文化に興味があり中国語の勉強をしていたのですが、文化大革命の影響で中国人教師がプラハからいなくなってしまって……。日本語の先生はいたので、日本語を学ぶことにしたんです。ちょうどその頃に黒沢明監督の映画『赤ひげ』を観て市井の貧しい人々を救う医師の姿に感銘を受け、日本という国へ興味をもつようになりました。
しかし、当時チェコは社会主義国だったため、参考書はもちろん辞書さえも入手が難しく、あるのはごく簡単な会話集の本だけ。自分で日本語を勉強するための手段がほとんどなかったのです。そこで学校の先生に勧められたのが、日本人との文通でした。「日本語で手紙を書けば言葉も覚えられるし、その地に暮らす人と交流すると日本をよく知ることができる」と言われ、友好協会を通じて日本人の文通相手を紹介してもらいました。大学病院で精神科医・皮膚科医として勤務していた頃のことですね。そうやって出会ったのが、現在の夫です。
――当時チェコは共産圏だったんですね。来日には覚悟が必要だったのではないでしょうか。
夫がチェコにきてくれて結婚式は母国で挙げ、1979年に来日しました。結婚を機に日本へ行く決意を固めましたが、それは同時に、二度とチェコに帰れないということを意味していました。日本行きの許可証は1年の期限付きでしたし、日本に帰化しても、母国では亡命のような扱いになります。もしもチェコに戻れば一番重い刑に服すことになっていたかもしれません。そういう時代だったんです。故郷を捨てたつもりはないですが、親が亡くなったときも帰ることはできませんでした。
日本に来て40年、今でこそ私のように海外から日本に移住する人も少なくありませんが、当時は外国人の存在自体珍しかったから、偏見や差別は日常茶飯事。結婚の手続きも煩雑で、ずいぶん時間がかかりましたね。でも、めげませんでした。
――生活面での不便さに加え、日本の医師免許取得には大変なご苦労があったのではないでしょうか。
筑波大学医学部で研究生として学ぶ傍ら、日本語の勉強に励む日々でした。日本語は問題集を買ってひたすら暗記。とにかく漢字を読むのに時間がかかりました。中国や韓国など漢字を使う国の人達は有利なので、羨ましかったですよ(笑)。
日本の医師国家試験を受けるために必要な書類を揃えていた時には、お腹のなかに上の子がいたので、事務所の人に不思議そうな顔で見られることもありました。受験許可がおりるまでに約1年かかり、その頃にはもう子どもが生まれていた。試験勉強の時間を確保するのは大変でしたよ。夜中に子どもが泣いたり騒いだりでなかなか集中できず、子どもが寝静まると私も眠くなります。それで、子どもの世話は夫に任せることにしました(笑)。
結局、合格するまで3年かかりましたね。当時は医師国家試験が1年に2回実施されていたんです。5回落ちて、6回目に晴れて合格。その時は岩手の盛岡に暮らしていましたが、夫の転勤に伴い2005年に新潟県上越市に転居して「めぐみ皮膚科」を開業したんです。確かにしんどい思いもしましたが、自分で選んだ人生です。母国を去るときの覚悟を思い出せば、なんだってがんばれるという気持ちでこれまでやってきました。
日本とチェコ。医学部や医療現場での違いはどんなこと?
――チェコと日本の「医学部」の違いはどんなことでしょうか。
日本では医学部に入ればほとんどが卒業できて、国家試験の合格率も高い。どちらかというと医学部に入るまでが大変という“入り口”重視の教育ですよね。一方、チェコでは医学部で学んでも3分の1は卒業できません。留年も2回までと条件があり、“出口”がかなり狭くなっています。
この教育制度で医師になれない人たちの多くは看護師になるのです。というのも、チェコの医学部では日本と違って看護学をかなり長い時間をかけて学びます。看護師と同様で、ベッドシーツの取り換えや患者の下の世話ですね。おまるを持ってきて排泄の手助けをしたり、患者の身体を拭いたり、着替えをさせたり…。医師になってからは看護師を指導する役目も担うので、たとえ医学生でもこうした実技をしっかり学ぶ必要があると考えられています。
また、日本で医学部を志望するのは一般的に普通科高校の学生で、農業高校などの専門高校から医学部を目指す人はほとんどいないですよね。でも、チェコでは農業や工業の専門高校からでも医学部を目指すことができます。これは、専門高校でも普通科同様のカリキュラムに加え、専門科目を学ぶというシステムになっているためです。
あとは、学費ですね。チェコでは国がすべて負担するため学費は無料で教科書も借りることができるので、親の経済的な負担が少ない。貧乏な家庭や地域に住んでいる学生でも頑張れば医師になれます。日本は国公立の医学部が少なく私立が多いので、医学部に行かせるにはお金が非常にかかりますね。医師になるまでの投資が大きい分、できるだけ給料のいい病院で働きたいという人も多いでしょう。過疎地域など、不便だったり不安定だったりする環境に行こうとはなかなか考えにくいかもしれませんね。
───教育や医療に対する考えの違いが読み取れて興味深いですね。医師として働き始めてから感じた違いはありますか?
医師の待遇が大きく異なります。日本では、医師は一般的なサラリーマンよりも多額の給料をもらっています。一方チェコでは労働者階級よりも医師の給料水準は低かった。さすがにいまは事情も変わっているでしょうが、当時、チェコで給料が一番高いのは炭鉱夫でした。
また、社会主義国(当時)でしたから、治療費はすべて無料。どんなに高度な治療や手間のかかる手術を受けたとしても、患者さんはお金を払う必要はありません。たとえば温泉治療も医者から処方箋として出してもらうことができれば無料になります。日本では「この治療はいくらかかりますか?」「手術するなら事前にいくらかかるか見積もりを教えてください」などと患者さんによく聞かれるので、最初は少し戸惑いました。
もう一つ、これは医療だけに限りませんが、当時チェコでは山登りするのも、買い物するのもすべて「許可証」が必要でした。自分を証明するものを持っていないと何もできなかったんです。その点、日本は治療を受けるには健康保険証が必要ですが、それ以外はほぼ、何も持たずに日常生活が送れて、趣味を楽しむこともできるのがすごいなあと思いました。
───イデオロギーの違いが様々な形で表れているんですね。そんなに異なる環境の中で、40年医師として働かれてきました。今後の展望を教えてください。
2005年に妙高高原にあった企業の保養所を買い取り、療養を目的とした温泉宿を夫と開業しました。めぐみ皮膚科の分院という形で、出張診療も開始。現在は月2回、豪雪地帯のため冬期は月1回診療を行っています。特に高齢の方にとっては医療へのアクセスがいいとは言えませんが、美しい自然の残るこの土地でいつまでも元気に過ごしたいという地域の方々の力に少しでもなれればいいなと思います。また、日本で初めて本格的なスキー指導を妙高高原で行ったレルヒ少佐はチェコ出身。妙高はチェコとのつながりも深いので、チェコの方々との交流も続けていきたいですね。
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