神奈川県横浜市で緩和ケア医としての診療の傍ら、現代版公民館「Co-Minkan」を始めた横山太郎氏。一見、医療とは縁遠い公民館。横山先生に「Co-Minkan」を立ち上げた理由、今後の展望について伺いました。(取材日:2018年8月14日)
「期待」を裏切りたい
―横山先生は医師の家系に生まれていますが、子どもの頃から医師を志していたのですか。
医師になろうと考えてはいましたが、高校時代は勉強がうまくいっていなかったり、反抗期だったりして、「絶対医師にはならない」と思っていた時期もありました。
医師になろうと決意できたのは、高校3年生のとき。当院を開業した祖父が亡くなった時でした。葬儀の際、参列してくださった地域の方々から「フラフラしてないでちゃんと医者になってよ。この街でわたしたちを看取るのは、きっとあなただから」と言われたのです。やはり周囲の人たちはわたしも医師になるだろうと思っていたようで、当時はかなり不真面目だったにもかかわらず、期待してくれている人たちがいることを知り、「これは頑張らないといけない」と心を入れ替え、勉強に励むようになりました。
期待の言葉を掛けてもらう一方で、「よく三代目が家業を潰すと言われるけど、お前はその典型例だ」とも言われていました。だからこそ、いかにこの「期待」を裏切るか、きちんとクリニックを存続させられるかを、学生時代から必死に考えていましたね。
―緩和ケアに進むまでの経緯を教えてください。
最初は循環器内科を選択しようと思っていたのですが、自分の思い描いていた医師像とは少し違っていて――。患者さんの病気を治療することも大切なことですが、病気がありながらもよりよく生活するためにできることを一緒に考えていくことにやりがいを感じられ、自分に合っていると思うようになっていきました。そのため最初は心不全の診療に興味を持ちましたが、がんの緩和ケアは、患者さんの生活までをも考える最たるもの。そう気付いてから、緩和医療に目が向き始めたのです。振り返ってみると、日頃から父や祖父の会話で「何丁目の〇〇さんが亡くなったから葬儀に行ってくる」といった会話を耳にしていたので、自然と、看取りや終末期を診ることが医療というイメージが出来上がっていたのかもしれません。加えて、横山医院のある地区には、まだがんを専門的に診ていく医師が当時いなかったので、いい意味で期待を裏切ることができるとも思いましたね。
そんなことを考えていた2010年、New England Journal of Medicineに『早期からの緩和ケア』という論文が発表されました。内容としては、終末期のみならず、診断時から緩和ケア医療チームも治療に加わると、患者のQOLが高まる、終末期の化学療法が減る、そして時には延命効果もあるのではないかというものです。わたしはこれを読んで、「自分がやりたい、そしてやるべきことはこれだ」と直感しました。そんな折に、横浜市立市民病院の緩和ケア科から声がかかり、まさに自分がやりたい早期からの緩和ケアをできるのではないかと考え、同年に赴任。呼吸器内科と協同で、ステージIVの全肺がん患者に、緩和ケア内科が介入するプログラムを始めました。
市民を巻き込こんだ、早期からの緩和ケア
病院で早期からの緩和ケアをはじめて分かったのは、診療報酬をつけて行う場合、患者一人あたりに関わる医師数が2倍になって医療費が増大するため、社会保障費がひっ迫している我が国では、慎重にならざるをえないこと。加えて、早期からの緩和ケアを横浜市立市民病院で行ってみて、まだ若い医師が人生の先輩の今後を相談するのは難しいことを実感しました。よって、マンパワーや資源という意味でも、質的な意味でも市民と一緒に行うことが重要だと考えるようになりました。そして、そのためには教育がキーになると感じました。そこで最初に始めたのは、中高生向けのプロジェクト。当初は横浜市立市民病院に在籍していましたが、いずれ戻ることになる横山医院を会場に始めました。具体的には毎年夏休みの3~4日を利用し、少子・高齢化、社会保障費増大などさまざまな課題がある中で、これから自分たちは社会に対してどんなことができるのか考える「10年後を考えるプロジェクト」です。レクチャーと診療体験で、医療の現状を把握してアイデアを練り、任意で自分のアイデアを実行してみる――ということをしています。2018年で5回目を迎え、毎年20名前後の中高生が参加しています。
これまでに参加してくれた中高生は、自身が所属している吹奏楽部のクリスマスコンサートを見学した介護施設で開催したり、ネイルをしながら高齢者との会話を楽しむ会を開いたりしていますね。また、この取り組みを契機に医学部や福祉系の大学に進学した人もいます。
このように医療介護に触れ、興味を持ち、実際に携わるようになってもらうのは、中高生だけに限らず、大学生や社会人、定年退職された方――全ての方に広げていきたい。その仕掛けとして始めたのが、現代版公民館「Co-Minkan」です。
「Co-Minkan」で実現したいこと
―現代版公民館「Co-Minkan」とは、具体的にどんなものなのしょうか。
楽しみながら集まり学び合う場所です。
公民館は戦前、社会事業の1つとして位置付けられていましたが、戦後GHQによって社会事業が社会教育と社会福祉に分化し、公民館は社会教育を担う施設になりました。戦後、日本での社会課題は民主主義を広めることだったので、そのような施設として機能してきましたが、近年の利用用途は将棋や生花、英会話など趣味の領域での利用が大半です。そして利用者はごく一部の人に限られています。
このように公民館が社会教育の施設だと考えるなら、もう少し社会に還元できることをしていく施設であるべきですし、戦前は社会福祉も含めた社会事業を担う施設だった歴史的背景を踏まえると、医療との親和性が高いと思います。ただし、「公民館」は集まり学ぶ場でしたが、それ加えて楽しむことも重要視しているので現代版公民館「Co-Minkan」と再定義しました。
わたしの場合、堅苦しくなく医療のことを一緒に学ぶ「Co-Minkan」を、横山医院で開催することを計画しています。形態はどのような形でもいいと思っているので、カフェやパン屋、ビルの一室など、さまざまな場所でCo-Minkanを横展開できたら理想的だと考えています。実際に、近所の看板屋が、自身の会社の空いたスペースでCo-Minkanの活動をスタートしたり、地域でまちづくりを重要視している人たちが運営するビルに、自分たちの医療機関が入り、活動を加速させる予定です(2019年6月頃オープン予定)。現在学びの場として機能させるために試行錯誤しています。現在はさらなる横展開のために、「館長養成プログラム」を少しずつ始めています。
―横山先生はCo-Minkanを通して、どのようなことを実現したいと考えていますか。
まずは、Co-Minkanに集った人たちの、医療の情報格差を埋めていきたいと考えています。医療が一般の方々の生活からあまりにも離れてしまっているので、その溝を埋めることから実践していきたいですね。そこから、がんなどの病気とともに暮らすことになった人が、Co-Minkanに集まる人たちに伴走者となってもらって「自分ならどのように生きたいか」を決められる――そんな地域にしていきたいです。「これでいいや」ではなく、「これでいいのだ」と自信を持った選択ができる人を増やしたいのです。
実は、アメリカのアラバマ州ではこれを体現しています。その支えとなっているのが、「レイナビゲーター」という市民による意思決定支援者の存在です。先程お話しした早期からの緩和ケアにおいて、医療専門職からトレーニングを受けたレイナビゲーターで構成された緩和ケアチームが、緊急入院数の減少、病院での満足度向上、医療費削減を実現しています。アメリカはもともと公民権運動が盛んだった文化的背景があるので、日本でそのまま同じことはできないと思いますが、医師としてわたしがうまくサポートしながら、レイナビゲーターのような市民を増やすこともしていきたいですね。それが結果的に、「これでいいのだ」と決断できる人を育て、増やしていくことにもつながると思っています。
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