1. m3.comトップ
  2. キャリアデザインラボ
  3. キャリア事例
  4. 事例
  5. 「患者さんを否定しない」傷ついた経験を糧に ―病とキャリアvol.6(後編)
事例

「患者さんを否定しない」傷ついた経験を糧に ―病とキャリアvol.6(後編)

2019年12月19日

医師であり、線維筋痛症の患者でもある原田樹先生。自分や周囲にとって最善の働き方を模索しながら、3次救急病院の救急科で働き続けています。後編では、病に対する考え方の変化と、新たなキャリアについてお聞きしました。(取材日:2019年11月25日)
中編はこちら

患者さんの声を否定せず、認めてあげたい

──患者として医療者の対応を見てきたことが、現在働くうえで活かされていますか。

病名が発覚するまでに受けた対応が、少なからずあると思います。突然の激しい痛みに襲われた私は、原因もわからず、不安で一杯になりながら、様々な医療機関を受診しました。その時にかけられた言葉の多くは、とても傷つくものでした。「異常ではない」「気のせいでは」「筋肉痛ではないか」「精神的な病が原因ではないか」──。私の訴えが「ないもの」とされたことで、医師の言葉を素直に受け入れられなくなってしまいました。以来、別の医師がかけてくれた共感の言葉にも懐疑的になり、親切心も裏返して見るようになったのです。
その経験から、患者さんとお話しする時には、痛みなどの訴えを否定せず、認めるようにしています。救急外来での検査で異常が認められなくても、「痛いというのはわかります、ただ、私が行った検査では異常はありませんでした」「病気がないとは言いませんが、この場では見つかりませんでした」と言うようにしています。

──患者さんが訴えるなら何かあるはずだ、という考えですね。

治療を進める上で、患者さんと医師との関係性はとても重要です。この場合、「医師個人」ではなく、「医師というカテゴリー」との関係において、です。
私が今勤務している救急外来は、継続的な関係を築く場ではありません。しかし、患者さんにとっては、医師と接触する最初のタイミングです。自分の対応が、その後に関わる医師との関係構築にマイナスに働かないよう、気を配るようにしていますね。

ブログのアクセス数で気付かされたこと

──先生は、同じ病を持つ患者さんに対して啓発活動を行われていますか。

病気を発症した当初は、ブログを通して積極的に情報を発信したり、啓蒙活動を行ったりしていました。ただ、ある時期から、そうした活動を一切やめてしまって──。ブログを通じて知り合った一部の患者さんの、“できない言い訳”を重ねる後ろ向きな姿勢や甘えに、次第に苛立つようになってしまったのです。線維筋痛症の治療にはセルフケアも重要なので、ブログを続けることが自分に悪影響を及ぼすと考えたうえでの結果でした。同時に、医師として、痛みを抱えた患者さんに関わっていく自信も失いました。目標としていたペインの道へ進まず、救急を選んだのは、実はそういった理由もあります。

それから3年後、放置していたブログをふと見ると、1日1,000件ものアクセスがあったのです。線維筋痛症が少しずつ認知され、診断されやすくなっていても、まだまだ困っている患者さん、情報を求めている患者さんがいる──。今までインターネットで患者さんの嫌な部分だけをクローズアップして見ていたけれども、実は大多数の人が真面目に治療に取り組み、何とかしたいと思っていることに気づかされました。
私は恵まれた環境で療養できたけれど、必ずしも全ての患者さんが恵まれた環境にはいるわけではない。一人一人の患者さんにはそれぞれの言い分があって、一方で医師には医師の言い分もある──。その違いが認められるようになったんです。3年の間にさまざまな経験をして、私も大人になったのでしょうね。

発症から約10年、ようやく受容できるように

──先生が病気を受容できたのはいつですか。

正直、ここ1、2年だと思います。それまでは、表面上は病気を受け入れているように見えても、元気な頃の自分や同僚、周囲と比べて落ち込むことがありました。それが「線維筋痛症患者さんのモデルケースにならなければ」という気負いとなり、救急現場でのハードワークに繋がっていたのだと思います。
病気を発症して約10年。学生から研修医、出産、復職して勤務するなどさまざまな経験や変化を積み重ねる中で、ようやく、自分自身に対して労いの気持ちが生まれてきて、これまでの頑張りを認めてあげられるようになったんです。現役医師として活躍する姿を見せることは大切だけれど、何も三次救急の忙しい現場で身を削る必要はない、と思えるようになりました。

──自分を大切にすることが、先生にとっての病気の受容だったのですね。

そうですね。そして、医師としてもペインに関わりたいと思えるようになりました。一番の後押しとなったのは、線維筋痛症の患者さんの声です。「診察を受けるなら、痛みの経験を持つ先生がいい。原田先生だったら、どんなにきつい言葉も受け入れられる」と言われました。私は線維筋痛症治療の専門ではないのに、一緒に治療していきたいと望んでくれる患者さんがいる。それならば、丁寧に寄り添い、信頼関係を築き、その人本来の姿を取り戻せるよう、お手伝いをしていきたいと思ったのです。

来年春には今の職場を退職して、自宅近くの100床ほどの病院で働く予定です。麻酔科に所属しながら、主治医にペインのことを学び、いずれ自由診療で徒手療法を行えればと考えています。
実は今、本を書いていて、来年秋に出版を予定しています。自身の闘病のことや、病との向き合い方などを書き記すつもりです。患者さんには治療を進める上での参考にしていただきたいですし、一般の人には線維筋痛症を通して「見えない障害」の存在を知るきっかけになると嬉しいですね。

従来の価値観に とらわれない働き方をしたい先生へ

先生の「やりたい」を叶えるためには、従来の働き方のままでは難しいとお悩みではありませんか。

  • 医師業と、自分のやりたいことを兼業したい
  • 病院・クリニック以外で医師免許を生かして働きたい

もし上記のようなお考えをお持ちでしたら、エムスリーキャリアのコンサルタントにご相談ください。

エムスリーキャリアは全国10,000以上の医療機関と提携して、多数の求人をお預かりしているほか、コンサルタントの条件交渉によって求人を作り出すことが可能です。

この記事の関連キーワード

  1. キャリア事例
  2. 事例

この記事の関連記事

  • 事例

    辞職か、継続か…視力を失った精神科医の葛藤

    医学部5年生の時に、網膜色素変性症を発症した福場将太先生。次第に視力が衰えていく現実に、迷い、葛藤を覚えながらも、医師の資格を取得されます。

  • 事例

    「見えなくなっていく」卒試、国試前に病を発症

    網膜の機能が低下し、人によっては視力を失うこともある網膜色素変性症。次第に視力が衰えていくこの病気は、福場将太先生に、医師として、一人の人間としてどう生きるかを、常に問いかける存在でした。

  • 事例

    不治の病を抱えながら、クリニックの院長へ ―病とキャリアvol.7(後編)

    40代でパーキンソン病を発症し、50歳で医師として働くことを辞めた橋爪鈴男先生。後編では、再び医療の世界に戻った時のエピソードと、病を抱えるようになって変化したことを語っていただきました。(取材日:2020年2月20日 ※インタビューは、資料や文書による回答も交えた形式で実施しました)

  • 事例

    「もう死にたい」動けない医師が光を見出すまで ―病とキャリアvol.7(中編)

    皮膚科医として、順調なキャリアを築いてきた橋爪鈴男先生。しかし、40代でパーキンソン病を発症した後、大学病院を辞すことを決意します。中編では、絶望を救った一つの言葉と仲間の支え、そして新たな治療を経て見つけた生き甲斐についてお話をうかがいました。

  • 事例

    40代でパーキンソン病「医師を続けられない」 ―病とキャリアvol.7(前編)

    順風満帆な生活から一転、晴天の霹靂のごとく襲いかかった難病──。橋爪鈴男先生は、40代でパーキンソン病を発症し、大学病院の助教授(当時)の職を辞すことを決意します。身体機能が衰えていく自分の姿に苦悩し、自殺を考えたこともあったそうです。しかし、生きる意味を見出し、再び医師として復帰するに至りました。前編では、突然の発症から大学病院の辞職を決意するまでのエピソードをお聞きしました。

  • 事例

    線維筋痛症の女医が、救急医の道を選んだ理由 ―病とキャリアvol.6(中編)

    線維筋痛症を抱えながらも、厚生連高岡病院(富山県高岡市)で働く原田樹先生。中編では、臨床研修後のキャリアをどのように選び、切り開いていったのかをお聞きしました。

  • 事例

    全身を襲う激痛……「私、医師になれるの?」 ―病とキャリアvol.6(前編)

    全身を襲う、耐えがたいほどの痛み──。原田樹先生は医学部在学中に線維筋痛症を発症しました。以来約10年に渡り痛みと付き合いながら、医師として、母として、多忙な日々を送っています。前編では、突然の発症から卒業試験・医師国家試験に挑むまでのお話を伺いました。

  • 事例

    がん経験した今も「患者の気持ち分からない」―病とキャリアvol.5(後編)

    縦隔原発混合性胚細胞腫瘍という、数万人に1人が発症する稀ながんに罹患した清水秀文先生。後編では、医師という仕事に対する思いや、がん患者さんとの向き合い方、今後の展望についてお聞きしました。

  • 事例

    がんを自ら発見…その時医師が考えたこと―病とキャリアvol.5(前編)

    がんの第一発見者は自分──。JCHO東京新宿メディカルセンター(東京都新宿区)呼吸器内科医の清水秀文先生は、自分の健診のレントゲン画像をチェックしたときに、がんであることを悟りました。縦隔原発混合性胚細胞腫瘍という、自身も症例経験のない稀ながんに罹患した清水先生。前編では、がん発覚時の経緯と周囲の反応、治療の様子をお聞きしました。

  • 事例

    「がん」は私らしさ 強みを活かして働き続ける─病とキャリアvol.4(後編)

    がん患者であることを周囲にひた隠しにしていた田所先生は、発症から6年後にカミングアウトしたことで、一歩前に進めるようになったといいます。後編では、現在の職場のスタッフに対する思いと、これから始める新たな取り組みについて伺いました。

  • 人気記事ランキング