東京オリンピック・パラリンピック競技大会が開催される2020年。国は訪日外国人数の目標に、2015年の倍に値する4000万人を掲げています。訪日客の急増に伴い、高まっているのは、国内に常在しない感染症の病原体が海外から持ち込まれるリスクです。重大な感染症の流入を水際で阻止するために、全国の空港や港にある検疫所で、医師が働いていることをご存じですか。現在、那覇検疫所長を務める垣本和宏氏が、検疫所勤務へキャリアチェンジをしたのは50歳を過ぎてから。責任がある仕事は「非常にエキサイティング」だと話します。さまざまなバックグラウンドを持つ医師が働く検疫所の業務には、どのような魅力ややりがいがあるのでしょうか。(取材日:2019年11月14日)
「絶対に感染を拡大させてはならない」という緊張感
――現在、那覇検疫所長を務められていますが、どのようなときにやりがいを感じますか。
分かりやすいのは、検疫所長の役割かもしれません。
たとえば感染症法では、感染症の予防などに関するほとんどの権限を都道府県知事に与えています。これ以外にも、国や自治体レベルの医療に関する法律は大臣や知事に権限のあることが多いと思います。
一方、検疫法では、船の入港許可といった国レベルの決定や隔離など人権に関わる決定に、検疫所長の判断を求めています。こうした権限のほとんどが、厚生労働大臣ではなく、検疫所長に与えられているのです。つまり、所長の権限がかなり大きいのです。それだけ、国内に常在しない感染症の侵入防止が重視されています。だからこそ、難しい判断を迫られるときは勇気がいることもありますが、その分やりがいがある仕事です。
――50歳を超えてから、検疫所での勤務をスタートされたと伺いました。実際に検疫所で働いてみていかがでしたか。
想像以上にエキサイティングですね。働く前は、検疫所は旅行者に対する診療所のようなイメージがありました。ところが実際は、重大な感染症が疑われる旅行者がいたときなどに、非常に緊張感があります。医療機関や保健所、厚生労働省本省と相談しながら対応を進めていき、絶対に感染を拡大させてはならないという責任も感じます。
公衆衛生という観点が必要なので、医療機関や保健所、厚生労働省本省との連携やコミュニケーションも非常に重要なポイントになってきます。
感染症は、国民の方々に関心を持っていただくことが大事な一方で、必要以上に不安視されると、いわゆる「無用な騒ぎ」に発展してしまい、国民の方々や医療機関などにご迷惑をお掛けすることになります。そうした事態はちょっとした対応ミスでも起こり得ます。ですから、小さなことが起きても、大きな事態にならないように早急に対応していかなければなりません。平時から、さまざまな訓練を重ねたり、マニュアルを整備したりして危機管理をしています。
診断前から「疑わしきは隔離」の責任
――検疫所での医師の業務の特徴は何ですか。
病院勤務との大きな違いは、検疫法などの法令に基づいて業務が進むことです。検疫官は事務官や看護師がほとんどですが、中でも医師は最終的な判断をする立場になります。
検疫所が検疫の対象とする感染症を「検疫感染症」と言います。これは、国内に常在しない感染症で、エボラ出血熱や、新型インフルエンザ、鳥インフルエンザ、MERS(中東呼吸器症候群)、デング熱などがあげられます。
検疫の業務の一つを具体的にお話すると、海外から日本に入国する旅行者に熱を出している方がいた場合、検疫官は、「どこから来たか」「その前はどこにいたか」「いつごろからいたか」などを質問して、どのような検疫感染症の可能性があるか確認していきます。可能性があると判断されれば、医師が診察して、「検疫感染症に感染していると疑うに足るかどうか」を判断するのです。
十分な検査結果が出る前段階で、「疑うに足りるかどうか」を判断しなければいけません。検疫感染症であれば、本人の同意なく、隔離などの措置を取ります。確定診断なしに個人を拘束するのですから責任重大です。
あまり知られていないと思いますが、検疫所の仕事として訓練の実施も大きなウェイトを占めています。ある感染症の侵入や状況を想定し、どこに連絡が必要で、どうやって疑い患者を搬送するのか、マニュアルに沿って訓練します。実施は、医師がイニシアチブをとることが多いです。
―――検疫所で働く医師は全国に何人ほどいるのですか。
現在、全国の検疫所に約50人の医師が勤務しています。検疫所は、全国に本所が13カ所あり、支所、出張所(無人含む)まで合わせると110カ所に上ることを踏まえると、医師は不足しており、全国の検疫所で募集している状況です。
現場の緊張感と国レベルの仕事を味わえる
――検疫所にはどんなバックグラウンドを持つ医師が働いていますか。
医師が検疫所で勤務するまでのキャリアはさまざまです。私が知っている範囲でも、外科医や消化器内科医、研究職、保健所勤務などがありますし、初期臨床研修を終えてすぐに検疫所に来た医師もいます。もともと感染症の専門家ではなくても、検疫業務はマニュアルが整備されているので、それほど心配しなくても大丈夫だと思います。
――垣本先生も、アフリカ、東南アジアなどで国際保健のキャリアを築いてこられています。検疫所で働こうと思ったのはなぜですか。
私はもともと産婦人科医で、感染症の研究に従事していました。国際協力への思いが強く、JICA長期専門家として、ケニアに派遣されたことをきっかけに、感染症対策や公衆衛生にとても興味を持つようになったんです。国立国際医療センター国際医療協力局では、カンボジアやインドネシアに派遣され、医療現場での対応もしながら国レベルの仕事をすることは、非常にやりがいがありました。
検疫所での医師の仕事に興味を持ち始めたのは、2009年に新型インフルエンザが発生したときです。検疫業務を支援するために、国立病院機構や自衛隊から多くの医師が集められ、私も成田国際空港の検疫所に呼ばれました。新型インフルエンザは、患者さんとの濃厚接触者は、ホテルなどの停留施設に一定期間停留する措置が行われます。私はその人たちの診察や定期健診にあたっていました。これは国際保健と同様に、現場の緊張感を持ちながら、国レベルのことができる魅力的な仕事だと感じました。
しかし、その時点では検疫官になろうという発想はなく、その後、大学の教員になりました。しばらくして、検疫所見学を希望した看護学生を引率して検疫所に訪れたのが今の仕事につながる大きなきっかけですね。引率で行ったはずの私がなぜか、当時の所長から熱心に検疫の仕事を勧めていただき、次第に気持ちが傾いていったんです。
法の強制力に頼り過ぎない
――どんな医師が、検疫所勤務に向いていると思いますか。
臨床的な能力だけでなく、コミュニケーション力が求められる仕事だと思います。
例えば、滞在歴などの状況から、MERSの感染の疑いがあると判断した人がいたとします。その場合、対象者を一定期間は毎日、体調と体温を検疫所に電話で報告しなければならない「健康監視」措置が検疫法で定められています。MERSの場合は、14日間の報告が必要で、報告をしない場合、対象者には罰則もあります。
対象者の方に、簡単に納得していただけないこともあります。強制力はあるのですが、「ご自身の健康の問題だけでなく、あなたが日本での感染拡大の原因になってしまうかもれない」ということをしっかり理解していただくことが大事です。毅然たる態度が必要な反面、あまりに威圧的だと反発されることもありますのでそのバランスが腕の見せ所です。
また、検疫は検疫所だけでは完結できず、行政や交通機関など関係機関の協力が不可欠です。日ごろから検疫への協力をお願いしたり、共同参加の訓練を開いたりするなどして連携を強めています。有事、平時ともに、さまざまな関係機関との調整を図ることが多いため、目の前の業務だけではなく、広い視野を持てる人は向いていると思います。また、管理職になっていくにつれ、公衆衛生の理解が必要になります。
(検疫所長が教える、検疫所で働く医師の働き方やキャリアパスとは?(後編)に続く)
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