1994年より国内初となるバレエダンサーを対象とした専門外来を開設した、東京・上野にある永寿総合病院・整形外科。その歩みを紹介した前編に続き、後編では、バレエダンサーを対象にした診療の特徴や今後の展望について、現在同外来を担当している平石英一医師に聞きました。
手術をするかどうかの見極めが重要
バレエダンサーに生じやすいケガや故障に対して基本的には、まず保存的治療、理学療法や物理療法、内服薬や注射などで痛みをとめます。また、障害の原因となった動作を制限することも必要です。「ただ、まったくその動作をしないと練習に支障を来たしたりしますので、制限をつけてその人に適切な正しい動作を指導する場合が多いですね」(平石医師)。単に内服薬や注射で痛みを和らげることだけを考えればいいのではなく、その後のダンサーとしての活動をどう支えるかという観点からの治療アプローチが重要というわけです。
保存的治療で状態が改善しない場合は手術による根治を目指します。その場合も可能なら切開手術は避け、侵襲度の低い関節鏡下手術を選択して、術後のパフォーマンスに影響が出ないよう配慮します。
ただし、多くのダンサーにとって自分の足にメスを入れるのはバレエ人生を左右しかねないだけに勇気がいるもの。「手術してもすぐ直るわけではありませんし、後遺症もまったくゼロとはいえません。ただし、長年診ていると手術したほうがよい症例、手術をしないと治らない症例の判断が概ねできるようになります。それを見極めるのが自分の仕事だと思っている」と平石医師は話します。
もちろん、バレエを行われなければ痛みがないケースがほとんど。必ずしもすべての方に手術を勧めているわけではありません。そこはバレエにどう向き合い続けていくかどうか患者自身の判断に委ねられます。バレエダンサーを専門的に診療する医師として、患者の思いをくみ取ることがより重要になるのだそうです。
バレエ活動を支える役割も担う
バレエダンサーはレッスン中に多少痛みが生じても日常生活に支障が少ないため、重症化してからの受診も少なくないようです。「コンクールやオーディション、公演が近づくと痛みを我慢して無理をしてしまうのでしょう。ただし、多くの疾患やケガと同様、早期受診が大切で、治療が遅れれば遅れるほど治癒までに時間がかかり、痛みが慢性的に残ってしまう場合もあります」と平石医師は警鐘を鳴らし、タイムリーに受診することを呼び掛けています。
同時に受診後、ケガや故障を再発しないようにする動作の指導など予防に関する啓発も欠かしていません。同外来の患者には身体が成長途中の10代の患者が多く、もともとの関節の可動域なども個人差や左右差があります。「外来診療の短い時間の間で十分とはいえませんが、1人ひとりの違いを踏まえて負担のかからない練習の仕方などをお話するようにはしています」。こうした予防的な指導も平石医師の重要な役割の1つになっています。ダンサーとのトレーナーと連絡を取り合い、レッスン中にチェックしてもらうこともあるといいます。
そのため、バレエダンサーの障害の治療や予防を研究するInternational Association of Dance Medicine and ScienceのAnnual Meetingにもほぼ毎年参加し、最新の治療や指導が提供できる準備も怠っていません。まだまだ確立された方法は少なく、またダンサーたちの練習の取り組み方との兼ね合いもあり、どこまで介入していいかという問題もあるようです。確かに負担のかからない動作にばかり気を使っていてはバレエの上達が遅れるというトレードオフ的な面もなくはありません。
「ですので、基本的には無理に使いすぎないことが一番大切。ダンサーそれぞれの身体の許容範囲は違いますから、それをよく知ってもらって自分で考えていくようにするのが最良の方法かなと思います」と平石医師は話します。
口コミで世界中から患者が来院
平石医師のきめ細やかな治療や指導を求め、これまで2,000人以上のダンサーが同外来を訪れています。10代が多いですが、40、50代からバレエをはじめ、カルチャーセンター通いをしている方が痛みを感じて受診する人も結構いるようです。
また、バレエダンサーを専門に診療する医療機関は今もなお多くはなく、また長い間続いていることから、国内ばかりではなく世界中に知られています。イギリス、フランス、ロシアなどのヨーロッパやアメリカ合州国、カナダ、アジアの国々を拠点に踊っている日本人ダンサーが帰国する際、同外来を立ち寄ることもめずらしくありません。「世界で活躍する日本人ダンサー同士の口コミで広がっているようです。有名なダンサーを診ていた小川先生の影響が大きいと思います。私は第二走者で走っているだけですから」と平石医師は謙遜しますが、20年にわたって同外来を維持してきた功績はもちろん大きいといえるでしょう。
この間、バレエダンスの医学に関してもだいぶ変化しています。例えば、冒頭で紹介したようにバレエダンサーは股関節に傷害が起こすことが多いですが、同傷害の治療方法が進歩してきたことです。現在では、平石医師は足部・足関節を専門とするため、股関節の手術の判断は他の専門医に紹介しますが、そのような連携もかなり円滑に行うことができるようになりました。また、専門である足の外科についてもこの20年間で認知度が進み、日本足の外科学会の会員数も1,500名ほどに増えてきました。まだまだ十分とは言えませんが、バレエダンサーをめぐる治療環境は改善されつつあるといえそうです。
後進の育成にも力注ぐ
一方、同外来の患者数はこのところあまり増えていません。1つはバレエ外来を標榜する医療機関が若干ですが開設されているほか、先ほど記したように足の外科を専門とする医師が増加してきたことも無関係ではないでしょう。ただし、最も大きな要因は経済的な問題が大きいようです。「大病院の外来機能を縮小する観点から、昨今の医療政策で紹介なしの初診患者は5,000円の自己負担がかかります。この負担増が大きい。何かシステムを変えてアクセスしやすいようにしていくことも考えていかなければなりません」(平石医師)
そのため将来的には、例えば同外来をサテライトとして診療所にし、手術は病院、通院治療や相談・指導は診療所というように役割分担と連携を図っていくことも検討しています。また、これまでの専門外来では人員やスペース、時間等の関係でリハビリテーションを行えませんでしたが、サテライト化してリハビリを行うことにより、傷害を抱えたダンサーたちの利便性を図れればとも考えています。
「また、この外来の治療成績は年を重ねるごとによくなっていますが、いまだにわからないことは多々ありますし、完全に治りきらない患者さんもいます。研究する余地はまだまだたくさんあるのです」と平石医師は強調します。そのため、手術や診察を見学したいという医師を積極的に受け入れたり、学会活動を通して後進の育成にも力を入れていく構えです。
「痛みというのはメンタルな部分も関係してくるので画像検査ではどうしようもない症例もあります。そういう意味では足という特定領域の疾患も全身疾患であることがわかってくる。こういうことが見えてくるのが医療の醍醐味。行うべきことは山積しているので、お手伝いいただける方がいたらいつでもウエルカムです」
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