1. m3.comトップ
  2. キャリアデザインラボ
  3. キャリア事例
  4. 事例
  5. 業務は多様 ALS医師のセカンドキャリアとは―病とキャリアvol.3(後編)
事例

業務は多様 ALS医師のセカンドキャリアとは―病とキャリアvol.3(後編)

2019年6月13日
四谷保健センターにて、医療従事者向けに講演する竹田先生

2012年にALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し、現在は、目や首の動きで意思疎通を図っている竹田主子先生。臨床現場を離れてからは、医師と患者双方の経験を活かし、医療コンサルティングや講演活動などに注力されています。後編では、その取り組みについてお話を伺いました。(取材日:2019年6月3日)

医療コンサルティング、講演、モデル… 多様な働き方

――現在の仕事内容について、お聞かせください。

現在の仕事内容は多岐にわたりますが、主軸は2つあります。1つ目は、医療コンサルティングです。具体的には、医療過誤、医療事故、死因調査などの弁護をサポートしたり、カルテ翻訳をしたりしています。もともと母と祖父が弁護士なので、医療関連の相談事を受けることはありました。ALSを発症してからは、医師や患者という立場から私にできることが多くあるのではないかと思い、「東京メディカルラボ」を立ち上げたのです。
2つ目は、講演活動。医療介護従事者、医学生、看護学生、福祉関係の学生に向けて講演することが多いです。テーマはALSの啓蒙が多いですが、尊厳死についての意見を求められることもあります。講演活動をするのは体力的に月2回が限度ですが、聴講者からいただいた感想はどれも励みになるものばかりで、やりがいを感じています。

ある看護大学で講演を行ったときに、学生から寄せられた感想

これ以外の仕事や取り組みとしては、介護職の資格の問題作成をしたり、看護学生をアルバイトとして自宅に受け入れて、ケアの方法や声が出ない人とのコミュニケーション方法を教えたりしています。同じ病気で苦しんでいる患者さんを自宅に招いて悩みを聞いたり、生活の様子を見せたりする「ピアカウンセリング」にも取り組んでいます。あとは、時々モデルをすることもあります。

――モデルですか?

「寝たきりの人の気持ちをファッションで盛り上げよう!」というプロジェクトがあり、そのモデルをしています。うちにアルバイトに来てくれていたデザイン系の専門学生が、福祉とファッションをつなげる野望を持っている子でした。アルバイトのわずかな合間に、メイク、ネイル、ファッションと私のことをトータルコーディネイトしてくれて――それをSNSにアップして活動したのが始まりです。呼吸器のホースを装飾してくれたこともありました。私は美容やファッションが大好きなのでとても楽しかったですし、プロジェクトの狙い通り、気持ちが上がりましたね。その子は今春から海外留学をしているので、現在プロジェクトは休止状態ですが、海外でも才能を開花させてほしいと思います。
現在の活動内容は、いずれも自分を必要としてくれていることが実感できて、勤務医時代とはまた違うやりがいと楽しみがあります。今では病気であることを忘れて――というよりも、この生活が当たり前になり、日々普通に生活をしているという感覚です。

いつか、診療に挑戦したい

――1日のスケジュールについて、具体的に教えてください。

前提として、介護保険が適用される年配の方は、身体介護、身体援助などヘルパーさんが訪問時にやることが決まっています。私のように比較的若い重度訪問介護者の場合は、ヘルパーさんが要介護者の希望することに臨機応変に対応してくださいます。講演活動で外出する場合などは変動しますが、だいたいは次のような流れです。
まず朝9時に日勤のヘルパーさんがいらっしゃるので、お手洗いを済ませたり、食事をしたり薬を飲んだりします。私は疲れやすいので、午前中~正午にかけて昼寝をします。午後3時半頃には、訪問看護師さんがALS治療に効果的とされる点滴をしてくれたり、身体の拘縮を防ぐためにマッサージやストレッチをしてくれます。夕方になると、夜勤のヘルパーさんにバトンタッチをして、食事をとったりしています。この合間の時間に、視線入力装置を使って仕事やインターネットをしています。いろいろなことを助けてくれるヘルパーさんには、常に感謝の気持ちでいっぱいです。心身ともに支えてくださる、なくてはならない存在。付き合いが長いヘルパーさんは気が合う人が多いので、いてくれるだけで楽しい気持ちになりますね。

看護大学で生徒とコミュニケーションを図る竹田先生

――ヘルパーさんのほかに、先生の精神的な支えとなる存在について教えてください。

家族ですね。ある時、成長した子どもたちに「ママが病気になって、いろんなつらい思いをさせてきてごめんね」と言ったことがありました。すると、「そんな自己満足のお涙頂戴話はやめてくれよ」と言われたんです。「それもそうだな」と思い、それ以来、子どもたちが私の背中を見て育つように、自分の人生を力強く、かっこよく生き抜くことを決意しました。私は寝たきりで全身麻痺の状態ですし、声を出すこともできません。健康な人からすると、自分がこのような状況になったら「気が狂いそう!」と思うのではないでしょうか。でも、強がりでもなんでもなく、今の私はさまざまな生きがいを持って楽しく毎日を過ごしているんです。周りの人たちとおしゃべりをして、ゲラゲラと笑いながら!


――今後、挑戦したいことについて教えてください。

診療です。これを読まれている先生方の「そんなことできるはずないでしょ」というツッコミの声が聞こえてきそうですが(笑)。神経科学者であるエイドリアン・オーウェンの『生存する意識 植物状態の患者と対話する』という本に“人間の脳は、自らを癒す驚異的な力を持っている”という一節があります。これは、植物状態にあった患者が意識を取り戻した時に、筆者が患者に対して持つ感想です。私がALSになって思うのは、「脳は困難を乗り越え、環境に適応する驚異的な力を持っている」ということ。なので、今すぐは難しいかもしれないけれど、科学が進化すれば、いつか診療に挑戦できるかもしれません。その日を心待ちにしながら、今の私にできること、求められていることに取り組みたいと思います。

今後のキャリア形成に向けて情報収集したい先生へ

医師の転職支援サービスを提供しているエムスリーキャリアでは、直近すぐの転職をお考えの先生はもちろん、「数年後のキャリアチェンジを視野に入れて情報収集をしたい」という先生からのご相談も承っています。

以下のような疑問に対し、キャリア形成の一助となる情報をお伝えします。

「どのような医師が評価されやすいか知りたい」
「数年後の年齢で、どのような選択肢があるかを知りたい」
「数年後に転居する予定で、転居先にどのような求人があるか知りたい」

当然ながら、当社サービスは転職を強制するものではありません。どうぞお気軽にご相談いただけますと幸いです。

エムスリーキャリアは全国10,000以上の医療機関と提携して、多数の求人をお預かりしているほか、コンサルタントの条件交渉によって求人を作り出すことが可能です。

この記事の関連記事

  • 事例

    不公平?2児の女性医師が抱える家庭事情

    最近では当たり前になりつつある、夫婦共働き。千葉大学病院脳神経内科准教授の三澤園子先生は出産のタイミングに悩み、34歳、40歳で2児を出産。今も仕事と家庭の両立方法を探り続けています。後編では出産・育児にまつわるエピソードと、共働き夫婦でキャリアアップするための秘訣を聞きました。

  • 事例

    准教授のママ医が、常勤にこだわる理由

    最近では当たり前になりつつある、夫婦共働き。特に医師は、仕事の頑張り時と出産・育児の時期が重なりがちです。医師23年目の三澤園子先生は、仕事と家庭の両立に悩みながらもフルタイム勤務を続け、現在は千葉大学病院脳神経内科の准教授と2児の母、2つの顔を持ちます。前編では、三澤先生のキャリアについて伺いました。

  • 事例

    院長のラブコール「帰ってこい」Uターン医師の新たな挑戦―光田栄子氏

    お看取りのあり方に課題を感じ、介護士から医師に転身した光田栄子先生。諏訪中央病院を経て、現在、岡山市内のベッドタウンにある有床診療所「かとう内科並木通り診療所」に勤めています。地元にUターンした光田先生がこれから取り組んでいきたいことについて、お話を伺いました。

  • 事例

    「診療科の隙間を埋める」院長の挑戦とは―中山明子氏

    大津ファミリークリニック(滋賀県大津市)院長の中山明子先生。外来、訪問診療をしながら、家庭医として、相談先を見つけにくい思春期の子どもや女性のケアに力を入れています。

  • 事例

    「自分が理想とする糖尿病診療を追い求めて」開業へ

    小児糖尿病の宣告を受けるも、「糖尿病だってなんでもできる」という医師の言葉をお守りに自らも医師を志すことを決意した南昌江内科クリニック(福岡市)の院長、南昌江先生。現在の糖尿病専門科医院を経営するようになった軌跡を伺います。

  • 事例

    小児糖尿病にならなければ、医師の私はいない

    福岡市にある糖尿病専門科医院、南昌江内科クリニックの院長・南昌江先生は、ご自身が中学2年生の際に小児糖尿病を宣告された身の上です。病気を発症した前編に続き、今回は医療への水差し案内人となった医師との出逢いや転機となった出来事について伺います。

  • 事例

    14歳で1型糖尿病「前向きに考えて生きなさい」

    14歳の夏、”小児糖尿病”の宣告を受けた南昌江先生。その数年後、両親や主治医、同じ病気の仲間たちに支えられ医学部受験、医師になるという夢を果たしました。前編では、病の発症、闘病生活について伺います。

  • 事例

    医学生から育児を両立して約10年… 支えとなった言葉

    二人のお子さんが就学し、育児から少し手が離れてきた林安奈先生。現在は、クリニックや大学病院での診療のほか、産業医業務にも注力されています。今日に至るまで、さまざまな壁を乗り越えてきた林先生の支えとなったのは家族の存在、そして、ある医師に言われた言葉でした。

  • 事例

    専門資格取得で立ちはだかった「小学校の壁」

    学生時代に第1子をもうけた林安奈先生は、研修医時代に第2子を出産されました。幼い子ども2人を育てながらの研修は困難を極めましたが、子育てと並行して精神保健指定医と専門医も取得しています。周囲のサポート状況や、ご自身のモチベーションの保ち方などを伺いました。

  • 事例

    「学生時代に結婚・出産」から始めた医師キャリア

    女性医師のキャリア形成において、結婚や出産は重大テーマです。医師として経験を重ねる時期と子育ての時期は重なりがちで、そこに「キャリアの壁」を感じるケースは少なくありません。林安奈先生は大学在学中に結婚・出産を経験し、学業や仕事と子育てを両立してきました。約10年前の当時を振り返りながら、子どもから少し手が離れた今だから思うことについて語っていただきました。

  • 人気記事ランキング

    この記事を見た方におすすめの求人

    常勤求人をもっと見る