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テニスと医師、2軸で選んだキャリアとは―医師と二足のわらじvol.15(前編)

2019年6月15日

産業医・スポーツドクターとして活動する傍ら、テニスプレーヤーとしてトップを目指し研鑽を重ねている岩井勇策先生。初期研修中の経験から、予防医学・スポーツ医学への興味を深め、産業医やYouTube、セミナー主催といった活動へ展開させていったと言います。その理由とは?固定観念にとらわれず、自分らしくキャリアを切り拓いている岩井先生のバックグランドに迫りました。(取材日:2019年4月12日)

医学部受験も念頭にあったのはテニス

──医師とテニスプレーヤー、それぞれ目指した経緯について教えてください。

実はテニスも医師も、最初のきっかけをくれたのは両親でした。私は父親が医師で母親が薬剤師という家庭で育ちました。両親から「医師になれ」と言われたことはありませんが、子どものころから自然と将来は医師になると口にしていました。また、テニスは中学1年生のときに父親から「将来も続けやすいぞ」と言われたことを契機に始めました。どんどんのめりこみ、高校テニス引退後も、将来はテニスに関わる仕事がしたいと、スポーツ専門学校やスポーツ科学部への進学を検討していました。

──それでも、医学部へ進まれたのはなぜだったのでしょうか。

高校3年生の夏、母親が「スポーツドクター」という仕事があるということを教えてくれたんです。医師をしながらテニスにも関わることができる道があるのかと、目からウロコでした。実際にスポーツドクターをされている先生からもお話を伺ったりする中で、スポーツドクターという職業に惹かれる気持ちが強くなり、医学部を目指すことにしました。

一方でテニスも続けたかったので、テニス部が強い大学を調べて受験へのモチベーションを高めていました。

──大学もテニスありきで選ばれたんですね。

はい。最終的に強豪校の1つである日本大学に合格することができ、大学時代もテニスにひたすら打ち込みました。おかげで関東医科歯科リーグ個人戦2連覇を果たすことができました。しかし、医学部以外の大学の試合には出られないので、関東学生テニス連盟主催大会やインカレを目指すことができませんでした。その悔しさが、いま選手活動をする原動力の一つとなっています。

医師としての方向性をつかんだ初期研修

──医療について学ぶ中で、医師という仕事に対する思いに変化はあったのでしょうか。

在学中というより、初期研修での経験が今の私につながっているように思います。研修先は立川相互病院というとても素敵な病院で、指導医の先生方にも恵まれました。「患者さんの生活面まで考え医療を行いましょう」という指導方針で、在宅や訪問看護にも同行させていただきました。

その中で、ADLが低下し生活もままならない患者さんたちの姿を目の当たりにして衝撃を受けました。
また、救急外来で運ばれてきた患者さんの中にも誤嚥性肺炎などで入院してそのまま寝たきりになってしまうケースが非常に多かった。どんな種類の疾患であれ、結果的に体が動かないという事実がご本人やご家族のQOL・人生の幸福度を著しく低下させていることを痛感しました。もっと早期に適切な介入ができていれば寝たきりにならずに済んだはずなのに、と歯がゆさを感じました。また、運動によって予防できる生活習慣病のために莫大な介護医療費がかかり、さらに医師のハードワークにもつながっている現状をどうにか打開したいという思いも芽生えました。

「高齢化が進む現在の社会では、今後ますます予防医療や筋力低下への介入が重要になるだろう」と考え、初期研修中に産業医やスポーツドクター、またNSCA-CSCSというアスリート向けのトレーナー資格などを取得しました。スポーツ・リハビリテーション関連のセミナーにも片っ端から参加し、スポーツ・予防医学と名のつくあらゆる病院や機関を見学しました。幸い、研修先が理解のある病院で周囲の先生方も応援してくださったので非常にありがたかったです。

──その後、後期研修先として東京大学のリハビリテーション科へ進まれたのは、そうした初期研修中の経験が大きかったのでしょうか。

はい。運動療法を学び、将来的に予防医療に活かしていきたいと考え選択しました。後期研修では、素晴らしいドクター・リハビリ専門職の先生方から多くのことを学びました。「リハビリの内容や効果を実際に自分の目で確認したい」とリハビリ専門職の先生にお願いし、施術に同席しながらリハビリの内容や効果、考え方などを教えていただいた経験は、私にとって大きな財産になっています。

勉強したいことと通常業務、両立のために病院に泊まらなければならなくなることもしばしばありました。そんな生活が約1年続きましたが、学ぶほどに予防医療に携わりたいという思いが高じたこと、また家庭の事情なども重なって、病院を退職することになりました。それから健康診断のアルバイトやジムのトレーナーなどを経て、現在は株式会社ニトリの産業医として勤めています。

YouTuberになった意外なきっかけ

──現在はどのようなワークスタイルなのでしょうか。

1か月のうち11日間はニトリで勤務し、それ以外の日は全てテニスの試合やトレーニングにあてています。ありがたいことに、ニトリでも選手活動を非常に応援してくださり、試合日程に合わせて勤務させていただいています。また、空き時間に予防医療やリハビリ、医学生向けの勉強方法などに関する動画を撮影し、YouTubeにアップしています。実は、YouTubeを始めたのは産業医の仕事がきっかけでした。

──と、言いますと…?

産業医としての主な業務は、糖尿病の方に対するフォローアップです。メールで食事や運動習慣、服用している薬などについて教えてもらって改善のサポートを行い、特に気になった方には面談を実施していきます。ただ、メール・電話でのやりとりが中心なので運動方法を伝えるのが難しい。ならば、実際にやっているところを動画に撮って、「こんな感じでやって下さい」と示した方が分かりやすいだろうと思い、YouTubeを始めました。現在は「スポーツドクター岩井」としてチャンネルを開設し、動画編集者3名・マーケティングアドバイザー1名とチームを組み、よりわかりやすく楽しみながら見てもらえるよう試行錯誤しているところです。

産業医としては、メンタル面の不調を抱えた方との面談も行っています。人間関係の悩みや、やりたい仕事が出来ないなど、寄せられる悩みは様々です。ただ、面談を行う中で実感したのは、メンタルの悩みであれ糖尿病の悩みであれ、大切なのは運動習慣と食生活だということです。重症でなければメンタル面談の該当者に対しても食生活の改善や運動の実施を指導するようにしています。

──後期研修先を途中でやめ、産業医というキャリアを選ぶことに不安はなかったのでしょうか。

不安が全くなかったといえば嘘になりますが、産業医の仕事は自分がやりたいことに近いと感じたので迷いはありませんでした。自分が関わった方が運動習慣を身につけ数値が改善し、処方薬が減るなどの効果が得られると非常にやりがいを感じます。また、働き方を変えたことで、再びテニスに打ち込めるようになったので、今の環境にとても感謝しています。

もともと僕は医師以外にテニスというもう一つの軸を持っていたので、医師としてスタンダードなキャリアをそこまで意識しすぎずに、自分がやりたいことを追求できたのかもしれません。

YouTubeチャンネル「スポーツドクター岩井」
https://www.youtube.com/watch?v=E6f7I8uVOnc

 

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