東京都杉並区に2019年5月、「BAR Hoya」というお店がオープンしました。オーナー兼バーテンダーは、外科医でもある江原悠先生。30代で常勤医のキャリアから離れ、自分のバーを始めた経緯や、現在のワークスタイルについて伺いました。(取材日:2019年7月1日)
「医学生」という先入観なしの関係性
――現在のワークスタイルを教えてください。
いまは医師業よりも、バーの事業に重きを置いています。お店は金曜日から火曜日の20時~深夜2時の営業で、土曜日の日中は医師として外来の仕事をしています。水曜と木曜は店に出ないので、どちらかに当直を入れていますね。不定期ですが、オペの手伝いをすることもあります。
――なぜ、バーを始めようと思ったのでしょうか。
大前提として、私自身がお酒好きというのがあります。
医師4年目から働いている河北総合病院(東京都杉並区)には、同年代で仲のいいスタッフが多く、病院の最寄り駅である阿佐ヶ谷駅前に店がたくさんあったのでよく一緒に飲みに行っていたんです。多いときは週4日くらい飲んでいましたね。スタッフ間のコミュニケーションが円滑になっていれば、仕事の上でも「ほうれんそう」がうまくいって、患者さんに提供する医療の質も間違いなく良くなると思っていました。また自宅に同僚を招いて一緒に飲み会をしたりしていた時に、料理やお酒を作って振る舞い、もてなすのが楽しかったんですね。だったら、自分で店を始めて、来てくれた人を喜ばせるのも面白そうだなと考えるようになって――。それが、病院を辞める半年前だったでしょうか。ただ、妻の話では、初期研修医の頃から「いつかは店をやりたい」という話をしていたみたいです、記憶にはないですが。

――学生時代に、接客業・飲食業のアルバイト経験はあったのですか。
大学生のときにバーでアルバイトをして、そこでお酒の世界と接客業の楽しさを知りました。
バーと言ってもオーセンティックな店ではなく、みんなでワイワイ楽しむ感じのお店で。そこで、医学生であることは関係なくカウンター越しでお客さんと喋ったり、お酒をおごってもらったりしていたのが嬉しかったんですよね。カウンターに立つと身分関係なく一緒にお酒を飲んで仲良くなって、一人の人間同士として付き合えるのがすごく心地よかったんです。
お店の常連さんが新たに飲食店をオープンするというので、そのオープニングスタッフとしても働き、2年生の終わりから5年生くらいまで飲食店でのアルバイトを続けました。お客さんやスタッフと仲良くなることで、社会勉強ができたのが私の中では大きな経験でしたね。
家庭教師のような時給のいいアルバイトは他にもありましたが、飲食店や接客業の仕事をしていたほうが、将来役に立つだろうとも考えていました。医師は、基本的には弱者を救う仕事ですから、その目線を持ってない人には務まらないと思っていたんです。それに、中学からいわゆる進学校に入って、医学部に入って医師になって……という道をただ歩いていたら、変なプライドが生まれて偏屈な人間になってしまうのではないか、自分が気付かないうちにお高くとまっていたりはしないか、という危機感も持っていたんだと思います。
深夜のアルバイトだったので、決して真面目な医学生ではありませんでしたが、進級するための勉強は最低限やっていました。いわゆる、モラトリアムそのままの大学生活を送っていましたね。
――少し時間を戻しますが、医学部進学を決めたのはなぜだったのでしょう。
祖父も父も兄も医師という、いわゆる医師家系だったからです。高校時代は、自分は医師になる必要はないと反抗して、文系理系の選択で文系クラスを選択しました。だからといって、文系で将来やりたい仕事が特にあるわけではなかった。しばらくして祖父と麻雀を打っている時に「医者はいいぞ。感謝もされて、ある程度収入も得られるし、意外と職業の幅も広い」と諭されて納得してしまい、高校2年の途中で理系に変更し、そこから医学部を目指しました。大学に入ってからは、お話しした通りです。
救急の力をつけてから外科医へ
――初期研修はどちらで受けたのですか。
福井県立病院です。卒業時点で志望科は決めていなかったのですが、医師として最低限のスキルがないとダメだとは思っていました。当直を回せるくらいの救急対応能力を身につけるべく、国内での北米型ERの先駆け的存在で、研修医教育にも定評がある福井県立病院を選んだのです。研修を受ける中で、それなりに自信もつきました。けれども、2年目の半ばまで、「○○科に進みたい」という気持ちが芽生えなかったんですね。そうしていたら救急部の部長に「志望科が決まらないなら、もう1年手伝ってほしい」と言われて、救急に1年残りました。外科医になろうと思ったのは、3年目の途中だったと思います。
――なぜ外科を選んだのでしょうか。
私のやっていたER型救急は、基本的には初療の患者さんをメインで担当して、診断がついたら他科に引き継ぐ。その代わりに、来院した患者さんの大多数を診るという役割です。あらゆる患者さんを診て、診断をつけて各科に振り分ける――これも大事な仕事ですけど、引き継いだ後に責任をもって治療する側のことも知る必要があると思ったんです。手術と手術室が好きなのも決め手でしたね、何だか神聖な感じがしていました。
外科系の中でも幅広い人の役に立ちたいと思って、一番基礎的で患者さんの数も多い一般外科で就職先を探し、2015年4月から河北総合病院の消化器・一般外科で後期研修医として働き始めました。
2018年7月に辞めるまでの3年強で、400件近くの執刀をさせてもらい、膵臓癌など比較的難易度の高い手術もやらせていただきました。オペに入った件数だと1,000件は超えているはずです。同年代の外科の先生に比べても少なくないと思いますね。心臓血管外科や呼吸器外科は、上司のお誘いもあって仙台の病院で研修し、2017年に無事外科専門医も取得できました。
後編では外科医としてのキャリア観や今後の展望について伺いました。
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