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国試の前は地獄…山岳ランナーと医学生の両立―医師と2足のわらじvol.19(前編)

2020年5月7日
写真提供:髙村先生

トレイルランニングやスカイランニングとよばれる、長距離の山道を走るスポーツにおいて、国内外の大きなレースで上位に入賞しているのが初期研修医であることをご存知でしょうか。国内で最大規模となる日本山岳会耐久レース(通称:ハセツネ、走行距離71.5km)で2016年から3連覇中の髙村貴子先生に、医師を目指したきっかけや山岳レースとの出会いについて伺いました。(取材日:2020年3月23日)

貧血で陸上を諦めて、医師を志す

——医学部を目指そうと思ったのは、いつごろですか?

高校生になってからです。実家は農業をやっていて、両親は学校の先生。家族に医療従事者はおらず、部活で体調を崩すまでは医師になろうと思ったこともありませんでした。

中学と同じように高校でも陸上部に入ったら、想像以上に練習がハードだったんです。もともと貧血気味でしたが、部活で貧血がひどくなってしまって、早々に辞めることになりました。病院に行き、医師に言われたのは「部活を休んだら貧血は治る」ということ。私としては、部活を休むだけだと根本的な解決にならないし体力も落ちるので、もっと違うアドバイスをしてほしかったんです。もしかしたら、私のような人が他にもいるかもしれない。そういう人たちに寄り添ってアドバイスができるようになりたいと思い、医師を目指そうと思いました。

大学で貧血のことを調べているときに知ったのですが、スポーツをしている女性で、貧血で困っている人は結構多いんです。足の裏で赤血球をつぶしてしまうので、長距離ランナーのほかに、柔道や剣道、バスケの選手は特に貧血になりやすい。私は負荷の高い運動をするとヘモグロビン値が低くなるのが分かっているので、そうならないように鉄剤を飲んだり、定期的に検査をしたりしています。今は貧血とうまく付き合いながら、競技をしているという感じですね。

初参加の山岳レースで、いきなり3位入賞

——ご出身の石川県から旭川医科大学に進学したのは、何か理由があったのでしょうか。

スキーがしたかったんです。小さい頃からゲレンデスキーをしていて、陸上部を辞めてからもスキーは続けていました。大学に入学したら本格的にスキーをしたいと思っていたので、北海道で医学部がある大学に絞って受験しました。それ以外の大学に進むことは全く考えていなかったですね。

——競技スキーを本格的に始めたのは、大学に入ってからだったのですね。

そうですね。振り返ると、大学ではトレイルランニングや東医体にむけて部活をしたり、スポーツ中心の学生生活だったように思います。勉強は、典型的な短期集中型で乗り切りました。

1年生のときはアルペンをやっていたのですが、2年生のときに「クロスカントリースキーのリレーメンバーが足りないから助っ人として入ってほしい」と言われて、クロスカントリースキーも始めました。クロスカントリースキーには持久力が必要なので、そのトレーニングとして勧められたのが、現在も注力している山岳レースだったんです。

誘われて初めて出場した富良野のトレイルランでたまたま3位に入賞しました。その次に出たレースで、人生で初めて優勝することができました。

最初はスキーで勝ちたい、東医体で勝ちたい、その体力づくりのために頑張ってみようという気持ちで始めたのですが、徐々に山の方も楽しくなっていって——。スポーツの楽しさのひとつは、努力が結果として見えやすいところ。そこからどんどん楽しくなっていって、いろいろなレースに出るようになりました。

2019-2020シーズンから始めた山岳スキー(撮影:中田寛也、写真提供:髙村先生)

——スキー部を続けながら、山岳レースにも出ていたのですか。

はい。スキー部は学生生活の最後まで続けました。東医体の個人競技では4連覇、クロスカントリーリレーも3回くらい優勝したように記憶しています。山は部活とは関係ないので、個人でエントリーして出場していました。

中高で陸上部だったときも長距離をやっていたのですが、満足に練習していなかったせいもあって、地区大会の予選でも最下位という成績でした。私は走る才能はなくて、走るのも好きじゃないんです。でも、山の場合はずっと走らなくていい。途中で歩いてもいいし、景色も変わるので、フィールドやロードとは全然違うところが面白いし、魅力だと思っています。

医学部5年在籍時(2017年10月)に自己ベストでハセツネを連覇(写真提供:髙村先生)

——山岳レースとなると遠征が必要になりますが、医学生生活とはどうやって折り合いをつけていたのでしょうか。

山を走るのが生き甲斐だったので、正直なところ、学業との折り合いや両立はあまり考えていませんでした。ただ、さすがに卒業試験、国家試験の前は地獄を見ていましたね。6年生の10月に行われたハセツネ71.5km(日本山岳耐久レースの通称)では3連覇がかかっていたので、絶対優勝したいと思い、そこまでは競技の方に比重を置いていました。一方で、その1週間後に卒試が控えていたので、もうメリハリをつけてやるしかなかったです。睡眠時間を削って、とにかく時間を作って勉強して、最後はずっと徹夜でした。

レースのあとは興奮して眠れないので、その勢いで勉強して眠くなったら寝る。その繰り返しです。「落ちたら終わる」という思いだけで勉強していました。

髙村 貴子
たかむら たかこ
国立病院機構信州上田医療センター 初期研修医

石川県生まれ、2019年旭川医科大学卒業後現職。山岳ランナーとしては日本山岳会耐久レース(通称:ハセツネ)で旭川医科大学在学中の2016年から女子総合3連覇中。2019スカイランニングワールドシリーズ女子年間ランキング12位(日本人女性最高位)など、世界でもトップクラスの実績をもつ。

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