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「がん」は私らしさ 強みを活かして働き続ける―病とキャリアvol.4(後編)

2019年7月26日

がん患者であることを周囲にひた隠しにしていた田所先生は、発症から6年後にカミングアウトしたことで、一歩前に進めるようになったといいます。後編では、現在の職場のスタッフに対する思いと、これから始める新たな取り組みについて伺いました。(取材日:2019年6月10日)

「がん」は私の一部

——がんになったことで、患者さんへの接し方や意識に変化はありましたか。

患者さんからはよく、「こんなに理解してくれて、一生懸命話してくれる先生に初めて会いました」と言われます。そんな時は心の中で「わかるよ!だってあなたと同じだから」と叫んでいます。がんは私の一部ですから、診察や面談に、医師としてだけでなくがん患者としての私らしさが表れるようになったかもしれません。
その一方で、がんにかかっていなくても、患者さんにしっかり対応し、信頼を得ている医師や看護師は大勢います。それはきっと“がん患者さんの気持ちがわからないこと”を認めていて、辛い経験はしていなくても、限りなく想像しようと努めているからなのだと思います。

——現在の勤務先である、もみのき病院(高知県高知市)のみなさんもそうでしょうか。

そうですね。当院は、私が以前働いていた病院で緩和ケアに携わり始めた頃からの縁で、たくさんのことを学ばせてもらいました。
当院の緩和ケア病棟の医師や看護師は、みな患者さんやご家族のことを理解しようとし、患者さんの生をどう全うさせるかを懸命に考えています。全ての希望を叶えられなくても、最善の方法を求め、時には疎まれても伝えるべきことを伝えようとしている。そんな感性を持つ方々に囲まれているから、患者である私も傷つかないんです。
同じ病や境遇を持つ患者さんを受け持った時は、気持ちが入り込みそうになることもありますが、みな優しく見守ってくれます。そのおかげで平静を保っていられるのかもしれません。
かつて勤務していた職場では、私1人が緩和ケアを担っていたこともあり、看護師にも“患者である自分”をことさら強調し、患者目線で厳しく指導していたこともありました。逆に、患者さんに対しては、医師の立場を重視して接していて――。医師と患者、二つの立場に折り合いをつけることができず、苦しかったですね。でも今は、医師とがん患者の両面を併せ持つ1人の人間として自然に振る舞えるようになりました。

がん患者とその周囲の人々の「語り場」を作りたい

——医師の仕事は、これからも続けていくつもりですか。

今後がんが再発して、何らかの治療を行って体が辛い状態にあったとしても、周りの環境が許されるならば、緩和ケア医の仕事を続けていきたいですね。自分の持っている感性や知識、技術はできる限り生かしていきたいです。例えば、薬の調整や見直しをするだけでも、睡眠の改善や満足度の向上につながることもありますから。もし話したり、手を握ったりすることしかできなくなったとしても、望んでくれる人や場所があるなら、限界まで関わっていたいと思います。

——加えて今、この部屋で、新しい取り組みをスタートさせようとしていますね。

この部屋は、私の考え方に賛同してくれた知人からお借りしたものです。がん患者さんやそのご家族、ご遺族がいつでも話し、相談できる場所として、そして、医療関係者が緩和ケアや死について話したり、自分の思いを吐き出したりできる場所にしたいと考えています。
名前は「がん患者の寄り合い所 ぴぃす」としました。「ぴぃす」には、「平和=peace」と「ピースサイン」の、2つの意味を込めました。訪れた人の心が少しでも平和になり、思わずピースサインが出るような嬉しさを感じてもらいたいとの願いからです。
スタッフは、私と知り合いの看護師、がん患者さんのご遺族の方が務めます。これからクラウドファンディングを立ち上げ、広報活動を行いながら運営を進める予定です。
とりあえずスタートさせて、徐々にメンバーの思いやアイデアが形になればと思っています。そしてゆくゆくは、緩和ケアを患者さんや市民の方々に広めていきたいですね。

田所先生の目下の趣味は、大好きなアーティストのコンサートへ行くこと。大きな声を出し、笑い、泣けるコンサートは、心に溜まった感情を吐き出せる場でもあるという。

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