キャリア事例
自分らしく働く医師のキャリア事例をご紹介します。-
事例
なぜ「WHOで働く」という夢を自ら諦めたのか
ロンドンに渡って公衆衛生を勉強しながら、ジュネーブのWHO本部でのインターン勤務を経て、現在は国境なき医師団(MSF)の活動に精力的に取り組んでいる團野桂先生。大阪のホームレスが多く入院する病院での勤務経験から臨床医療の限界を感じるなど、理想と現実のギャップの狭間で揺れながら、自分が進むべき道を果敢に切り開いています。
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事例
「ならば自分が」医師不足に心痛めて薬剤師から医師に―佐藤英之氏
薬剤師から医師へ異色のキャリアチェンジを果たした佐藤英之氏。鹿児島県の調剤薬局で働いた経験などから、地方医療における医師不足や、これに伴う患者の選択肢の少なさについて危機感を抱いていました。これまでの経験を活かし、佐藤氏が歩もうとしている道とは――。
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事例
感染症からヘルスセキュリティへ。キャリア未確立の分野を切り拓く―齋藤智也氏
立ち遅れている日本のヘルスセキュリティ(健康危機管理)を強化すべく、国立機関で研究や普及活動を進めているのが齋藤智也(さいとう・ともや)氏の聞きなれない分野に足を踏み入れた背景や、現在の取り組みについて伺いました。
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事例
救急医療改革で、より多くの患者さんを救える日本へ―安藤裕貴氏
安藤裕貴氏は、日本の救急医療に課題を見出し、MBAを取得。2018年からは、ビジネススクールで学んだマネジメントの知識を生かし、一宮西病院(愛知県一宮市)で総合救急部救急科部長として救急改革に取り組んでいます。さらに、改革の輪を全国に広げようと、若手医師の育成にも尽力。安藤氏が思い描く理想の救急医療の姿と、理想の実現に向けた取り組みを聞きました。
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事例
北海道の若手医師のために、道外へ飛び出した総合内科医のビジョン―小澤労氏
北海道出身の総合内科医・家庭医、小澤労氏が初期研修を経て感じたのは、「北海道では、自分のなりたい医師にはなれない」ということでした。尊敬する医師の言葉に背中を押され、道外へと踏み出します。小澤氏が思う、北海道が抱える総合内科教育の課題と、若手医師を救うためのビジョンを取材しました。
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事例
「祖国救え」在日アフガン人医師の奮闘
島田市でレシャード医院を開業するレシャード・カレッド先生は、留学生として来日後、日本で医師免許を取得。日本での医療活動のみならず、祖国アフガニスタンでも救援・医療支援を続けています。一人ひとりの患者に寄り添うというのが医師の根本であり、場所は問題ではないというレシャード先生。活動の内容や、掛ける想いを聞きました。
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事例
「アフガンで兵士になるか、日本で医師になるか」極限の選択
静岡県島田市でレシャード医院を開業されているレシャード・カレッド先生。留学生としてアフガニスタンから来日し、今年でちょうど50年になります。レシャード先生が日本を留学先に選んだ理由から、医師国家試験取得時の苦労、そしてこれまでの医師としての活動についてお話を伺いました。
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事例
16社の産業医を務める人気産業医のキャリア・仕事の流儀―穂積桜氏
近年、産業医求人が医師から人気を集めていますが、どうしたら企業から選ばれる産業医になれるのでしょうか。今回、臨床医として精神科専門医や漢方専門医として活躍し、現在は16社の産業医を務められている穂積桜先生に伺いました。これまで契約先からの紹介を引き受けてきた結果、数多くの企業で産業医活動をしてきた穂積先生のキャリアと仕事観とは――。
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事例
医師の働き方改革、若き離島医が抱える想い―砂川惇司氏
将来は故郷に貢献したいと考え、医師を志した宮古島出身の砂川惇司氏。離島研修が受けられる沖縄県立中部病院で研さんを積み、2017年より沖縄県西表島の診療所に赴任し、専攻医として日々診療にあたっています。「医師の働き方改革」の渦中にもいる砂川氏に、離島医としての想いや今後の展望についてお話を伺いました。
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事例
診療への悶々とした思いが一転 国内留学で得た衝撃とは―河南真吾氏
河南真吾氏は医学生のときに同行した訪問診療の衝撃から、徳島大学卒業後に母校の総合診療部に入局します。総合診療部で日々診療する中で、ある悶々とした思いを抱き始めます。そんな折、亀田ファミリークリニック館山への国内留学をきっかけに、30代半ばにして自らの役割を見出しました。それまでの気持ちの変化や現在の活動拠点である徳島県立海部病院での取り組みを伺いました。
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事例
市中病院から大学病院に入局した理由―近藤猛氏
学生時代、ある勉強会に参加したことを機に、将来の展望が大きく変わった近藤猛氏。市中病院で研鑽を積んだ後、名古屋大学医学部附属病院の総合診療科に入局し、現在は院内外で「教育」に携わっています。教育を通してどのようなことを実現しようとしているかを伺いました。
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事例
がん経験した今も「患者の気持ち分からない」
縦隔原発混合性胚細胞腫瘍という、数万人に1人が発症する稀ながんに罹患した清水秀文先生。後編では、医師という仕事に対する思いや、がん患者さんとの向き合い方、今後の展望についてお聞きしました。
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事例
がんを自ら発見…その時医師が考えたこと
がんの第一発見者は自分──。JCHO東京新宿メディカルセンター(東京都新宿区)呼吸器内科医の清水秀文先生は、自分の健診のレントゲン画像をチェックしたときに、がんであることを悟りました。縦隔原発混合性胚細胞腫瘍という、自身も症例経験のない稀ながんに罹患した清水先生。前編では、がん発覚時の経緯と周囲の反応、治療の様子をお聞きしました。
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事例
日本在住でも「国際保健のスペシャリスト」になるために―坂元晴香氏
小学生の頃に国境なき医師団に憧れて以来、国際保健の道に進もうと考えてきた坂元晴香氏。医学生となり、途上国の現場を見たことで少し考え方が変わり、現在は日本にいながら国際保健に携わっています。どのような考えを持って、今のキャリアを歩んでいるのでしょうか。
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事例
採算度外視でもいい 経営者の医の原点とは―伊藤俊一郎氏
心臓血管外科医としてキャリアを築いてきた伊藤俊一郎氏は、医師10年目で在宅診療医に転身。茨城県つくばみらい市の住宅型有料老人ホームと在宅療養支援診療所(在支診)を皮切りに、4年で診療所6施設を次々と開設しました。
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事例
「外科医に未練なし」バーテン医師の決意
外科医兼バーテンダーの江原悠先生。医師としてのキャリア観に加えて、お店に来るお客さん、診療する患者さんに向き合う際に気を配っていることについても伺いました。
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事例
30代で常勤医から離脱 バーテンダーの道へ
東京都杉並区に2019年5月、「BAR Hoya」というお店がオープンしました。オーナー兼バーテンダーは、外科医でもある江原悠先生。30代で常勤医のキャリアから離れ、自分のバーを始めた経緯や、現在のワークスタイルについて伺いました。
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事例
医科×歯科の成功モデルを Wライセンス医師の野望―松本朋弘氏
歯科医師として再生医療の研究に関わったことから、医師免許の取得を決意した松本朋弘氏。現在は総合診療科で内科専攻医として研鑽を積みながら、歯科と医科のダブルライセンスを活かした活動も始めています。
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事例
「がん」は私らしさ 強みを活かして働き続ける
がん患者であることを周囲にひた隠しにしていた田所先生は、発症から6年後にカミングアウトしたことで、一歩前に進めるようになったといいます。後編では、現在の職場のスタッフに対する思いと、これから始める新たな取り組みについて伺いました。
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事例
「私は、がん患者」発症から6年後のカミングアウト
がん患者であることの現実や不安と向き合う一方で、その事実を周囲にひた隠しにしていた田所先生。あることを機に、カミングアウトすることを決意します。中編では、カミングアウト当時の気付きと疾病受容に対する考え、そして緩和ケアへの真摯な思いを話していただきました。