心臓血管外科医としてキャリアを築いてきた伊藤俊一郎氏は、医師10年目で在宅診療医に転身。茨城県つくばみらい市の住宅型有料老人ホームと在宅療養支援診療所(在支診)を皮切りに、4年で診療所6施設を次々と開設しました。現在も新たに有料老人ホーム1施設、診療所2施設の開設準備を進める一方で、医療相談アプリの開発にも携わっています。急速な事業拡大を図る背景には、ある決意がありました。(取材日:2019年6月13日)
高齢者のサードプレイスを作りたい
――筑波大学医学部を卒業後、心臓血管外科医になった理由を教えてください。
わたしは「自分にしかできない仕事をやりたい」と思い、医師を志しました。医師のスキルを活用して患者さんの身体機能を回復させる。つまり根治が望めることに魅力を感じ、心臓血管外科ほど興味深い領域はないと考えたんです。初期研修を含めて10年近く、茨城県内中心に心臓血管外科医として研鑽を積んできました。
――そこから、なぜ在宅医療の道へと進んだのでしょうか。
医師10年目に差し掛かった当時、車で往復2時間程かかる病院に勤めており、通勤時間中にさまざまなことを考えたものでした。「自分にしかできない仕事は他にないのか」「医師を志して心臓血管外科に進んだけれども、自分の人生はこのままでいいのか」「大手術の後リハビリもままならないまま、たった2週間で患者を退院させることは正しいことなのか」「病院はホスピタルのはずなのに、ホスピタリティが欠如している」など――。そのようなことを延々と考え続けた結果、高齢者のためのサードプレイスが必要なのではないかと思い至りました。
もちろん、退院後に最期まで自宅で暮らせることが理想です。しかし、核家族化が進み、その実現が難しくなっている現代には、病院でも自宅でもない、サードプレイスと呼べる「終の住処」が必要だと考えました。そのため、最初は在宅医療ではなく老人ホーム事業を検討していたのです。ただ自分の強みは、やはり今まで培った医療を提供できること。そこで、老人ホーム事業に最も親和性が高い在宅医療も始めることにしました。筑波大学心臓血管外科を退局後、1年間は有料老人ホームと在宅医療を行う診療所の開業準備をしつつ、全国各地の在支診を見学させていただきました。
最初は理解されなかった
――2015年、茨城県つくばみらい市に住宅型有料老人ホームと在宅医療を行う診療所をオープンして以来、急速な事業拡大を進めている伊藤先生。最も苦労したのはどのようなところでしたか。
やはり、事業を始めようとした頃が一番大変でしたね。創業時の初期メンバー集め、10億円もの融資をしてくれる銀行探し――いずれもかなり難航しました。
まず、病院とも自宅とも違う空間にしたいと思い、国産木材を使うなど建物にこだわったため、初期費用がかなりかかることが判明。その額の大きさや老人ホーム事業をやりたいというわたしの考えに、みんな「なぜ?」と理解できない様子でした。応援してくれる人がほとんどおらず、とある同業他社から嫌がらせの電話を受けたこともありました。一時期は事業を始められず、借金だけが残ってしまう事態にも陥りかけ、不安で眠れない期間を過ごしたこともありました。
その一方で、皆から理解されないからこそ「やはりこれは、自分自身がやらなければならない仕事に違いない」とも思いました。在宅医療も、老人ホーム事業もどちらもやりがいがあり、これこそ「医の原点」だと感じましたね。苦労はしましたが、信念があったからこそ、諦めずに続けてこられたのだと思います。
――今後は、どこまで老人ホームや診療所を増やしていきたいと考えていますか。
求められるだけ、必要なだけ増やしていきたいです。わたしは一貫して医師の少ない地域に診療所をつくっています。例えば、2019年5月にオープンした「メドアグリクリニックいといがわ」のある新潟県糸魚川市は人口約4万人。経営的に判断すると、ここに診療所を出すことは無謀です。しかし、そのエリアで在宅医療が不足していることは事実。ある程度採算を度外視しても、本当に困っている地域にクリニックを整備していきたいと思っています。
戦略と戦術をもって、必要としている人に医療を届ける
――一方で、医療相談アプリの開発にも携わっているのはなぜですか。
在宅医療事業を始めてから、いかに日本の医療費が逼迫しているかを痛感するようになりました。在宅医療は、外来診療に比して診療報酬上高点数ではありますが、例えば集合住宅への診療報酬は個人宅に比して約4分の1に減額されています。そのため高齢者住宅に訪問診療を行う医師が減ってしまい、そこに住む高齢者が医療難民になってしまっている現実がありました。日本の医療費の60%が高齢者の医療費であり、そこを削減することで医療費の増大を抑えようとしているようにみえ、少し極端な言い方をすると、高齢者を切り捨てているようにも捉えられます。
誰しも年齢を重ねると治療を要する病を重ねていくのが当たり前であり、そこの医療費削減を最優先にすることは大きな疑問があります。そのため、私はフリーアクセス制度という素晴らしい制度の“負の側面”を改善することにより、医療費の増大を抑えたいと考えました。0歳から50歳までの普段基礎疾患のない8〜9割の人たちは、医療機関に通う必要がない軽症でも受診している現状があります。この人たちは悪気があるわけではなく、単純に医師の「大丈夫」の一声を欲していたり、症状を和らげる薬を欲していたりするのです。
私達の医療相談アプリを用い、医師の適切なアドバイスを届けることにより市販薬の有効利用を意識したセルフメディケーションが進めば、医療費が10兆〜15兆円削減できるという試算があります。現在の医療費は42兆円、2020年には55兆円にまで膨らむと言われていますが、10〜15兆円削減できれば、2025年でも今と大きく変わらないところまで抑えられるはずです。
この構想によりICTを用いた遠隔医療によりセルフメディケーション、セルフケアを推進することで医療費削減につなげ、ひいては医療機関における治療を本当に必要としている高齢者が、適切な医療提供を受けつつ、最期を迎えることができるのです。わたしはそのような世の中にしたいと思い、医療相談アプリの開発に携わっています。在宅医療も、遠隔医療も、今はまだ医療の主流とは言い難い状況ですが、国民が必要な医療を適切に受けられるようにするための必要不可欠な手段だと捉えています。
――今後の展望についてお聞かせください。
「頼まれごとは、試されごと」という言葉があります。在宅医療も遠隔医療も先程述べたように、国民からのニーズは大きいものの、まだ医療の主流ではなく、取り組む医師が少ない分野になります。
私は人が取り組まない、取り組みづらい分野こそ、私がやるべき分野だと考えています。そのため末期がんや個人宅の患者さんだけでなく、慢性期疾患で外来通院できない方や集合住宅に住んでいる方など、診療報酬が高くつかず他のクリニックが診たがらない患者さんも診ていきたいです。
綺麗事に聞こえるかもしれませんが、診療報酬が低くても人の命は等しく尊いものです。医療制度によって線引きをせず、医療を必要している人にきちんと医療を届ける。それがわたしのビジョンです。とはいえ、綺麗事だけでは経営が成り立たないことも事実なので、現場がしっかり医療を届けられるよう、法人経営者として、戦略と戦術をもって難局を乗り越えていきたいと思います。
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