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市中病院から大学病院に入局した理由―近藤猛氏(名古屋大学医学部附属病院)

2019年9月25日

学生時代、ある勉強会に参加したことを機に、将来の展望が大きく変わった近藤猛氏。市中病院で研鑽を積んだ後、名古屋大学医学部附属病院の総合診療科に入局し、現在は院内外で「教育」に携わっています。教育を通してどのようなことを実現しようとしているかを伺いました。(取材日:2019年6月16日)

市中病院から、あえて大学病院の総合診療科へ

――総合診療に興味を持ったきっかけから教えてください。

大学4年生頃に「亀井道場」という、総合診療に関する勉強会に参加したことがきっかけです。当時の私は、暗記ばかりの教育に「医師になった後も、ずっとこれが続くのか……」と、相当嫌気がさしていました。
そんな心境で参加した亀井道場では、患者さんと話をさせてもらう機会が設けられており、座学では知る由もなかった“患者さんと関わる面白さ”を知って衝撃を受けたのです。会話の中で、患者さんに何が起きていて、どう話すことで解決の糸口を見出せるかを探っていく――そこに大きな魅力を感じ、医師になることを前向きに考えられるようになりました。

――それを機に、総合診療の道を志すことにしたのですか。

一度は、循環器内科に進もうかと考えていました。大学の循環器内科の先生が非常によく面倒を見てくださって、アメリカ・ノースカロライナ州の病院へ1カ月間留学もさせてもらっていたからです。それでも総合診療に進もうと考え直したのは、総合診療に力を入れていた海南病院(愛知県弥富市)で初期研修を受けたことが大きかったですね。

海南病院は当時、しっかり勉強できる初期研修先として人気だったので選びました。そして同院の総合診療科の先生方の考え方、例えば患者さんへの接し方、医師としての役割の捉え方など決定打になりました。

総合診療領域に進むなら、しっかり学べるところに行こうと思い、後期研修は洛和会音羽病院の総合内科を選びました。音羽病院が主催する勉強会に参加した時、自分の考えをアグレッシブに惜しみなく共有してくださる指導医の先生方が大勢おられ、ぜひこの環境で学びたいと思ったのです。

――初期、後期研修を市中病院で受けながらも、なぜ名古屋大学医学部附属病院 総合診療科に入局されたのですか。

後期研修を終えた後のキャリアを考え始めたタイミングで、当時、名古屋大学医学部付属病院 総合診療科に勤務されていた鈴木富雄先生に再会して考えが少し変わったためです。
大学病院は高度に専門分化されすぎていて、市中の総合病院よりも患者さんと密なやりとりができず、自分にとってのやりがいが少なくなってしまうと思い込んでいました。ところが、鈴木先生から「市中の総合病院とはまた違った出会い、教育環境が大学病院にはある」と言われたのです。今とは違う環境に身を置いてみることも、いい経験になるかもしれないと思い、名古屋大学医学部付属病院に所属することを決意しました。

実際に働きだすと、私がもともと興味を持っていた教育領域で、大きなチャンスをいただけました。他院で月数回の研修医教育を行っていた先生がいらっしゃり、その取り組みを引き継がせてもらったんです。これのおかげで、今までに数百回の院外教育の経験を積むことができました。そして、臨床現場を改善する難しさとやりがい、広い視野を持ち、目の前の相手だけでなく周囲も巻き込んでいくことの重要性を学びました。この経験は、私の教育活動における大事な礎になったと感じています。

「きょういく×カフェ」と「トビラボ」

――他にも教育に関する取り組みをされていると伺いました。

私が研修を受けた海南病院と音羽病院の先生方は、知識量が豊富で、教育熱心な方々でした。ただ、教えてくださる内容が非常に高度で、研修医の自分には消化できないことも少なくありませんでした。すごくいいことを教えてくださっているのに、自身の診療にまで落とし込めない研修医がいるのはもったいない。教える方法を少し変えることで研修医も消化しやすい内容にできないか――そう思ったことから教育に興味を持ち、試行錯誤を重ねて形になっているのが「きょういく×カフェ」、そして「トビラボ」としての活動です。

――それぞれの内容を具体的に教えてください。

「きょういく×カフェ」は医学教育学会に出席していた同世代の医師数名と企画・運営をしています。医学教育学会は、教育に興味がある人が集まっていると思っていたのですが、実際に参加してみると、大ベテランの先生方の「病院をどうしていくか」「日本の医療をどうしていくか」という話が大半を占めていて、当時の私には少し距離感のある話が多かったのです。もっと臨床現場の教育について議論したい、違った角度から教育を変えていきたいと思っている同志と始めたのが「きょういく×カフェ」です。
内容に変遷はありましたが、現在は、参加者をグループに分け、テーマを決めて次の「きょういく×カフェ」が開催されるまでの間、一緒にプロジェクトに取り組んでもらっています。毎回10~20名の方が全国から参加してくれていて、2019年8月の会で12回目になります。

「トビラボ」は、キャリアをテーマにしたゲーム仕立てのワークショップを行っている有志のグループです。ゲームを通して新たなチャレンジをすることで、多様なキャリアがあることを伝えようとしています。運営メンバーの共通点は、いわゆる規定路線から外れたキャリア形成をしていること。私自身は、市中病院で研修を積んだ後に大学病院で教育に取り組み、さらに海外の大学院で医学教育の専門性を身に付けようとしている点から、比較的珍しいキャリアパスです。少し脇道に入ることで刺激や発見があることを伝えたいですし、進路を考える際の選択肢を増やしてほしいという思いで取り組んでいます。開催規模はさまざまで、20~30人規模のワークショップから医学部の授業としてまで、全国各地で開催しています。

教育の概念を広げる

――教育に携わることで、どんなことを実現したいと考えていますか。

教育という概念の幅を広げていきたいです。原点はやはり、学生時代に暗記漬けの医学教育に嫌気がさしていたところ、亀井道場に参加して医療の面白さを知り、将来に期待を持てたことだと思います。

教育方法1つで視野を広げることができますし、新しいことに挑戦する後押しになることもあります。実際に、参加者が自分の専門分野の中で似たようなワークショップを開催したり、多職種との勉強会を始めたり、テクノロジーを取り入れて医療界を良くしようと起業したりした人がいました。
もともと、そのようなアクションが起こせる熱量を持っている人たちだったからこそ新しいことを始められているのですが、背中をそっと押すことができたのは「教育」だと思っています。このようなことも教育に内包されているという認識が広がれば、もっと教育の幅が広がり、ひいては医療も変わっていくと思います。教育に携わることで、新しい一歩を踏み出すきっかけ作りに寄与していきたいですね。

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