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救急医療改革で、より多くの患者さんを救える日本へ――安藤裕貴氏(一宮西病院)

2019年11月29日

救急医療を改革すれば、日本の医療全体が良くなる――。
安藤裕貴(あんどう・ひろたか)氏は、日本の救急医療に課題を見出し、MBAを取得。2018年からは、ビジネススクールで学んだマネジメントの知識を生かし、一宮西病院(愛知県一宮市)で総合救急部救急科部長として救急改革に取り組んでいます。さらに、改革の輪を全国に広げようと、若手医師の育成にも尽力。安藤氏が思い描く理想の救急医療の姿と、理想の実現に向けた取り組みを聞きました。(取材日:2019年 8月 4日)

日本の救急医療の水準を引き上げるために

――救急医を志したきっかけを教えてください。

福井大学救急・総合診療部の寺澤秀一先生の講演を聴きにいったことです。寺澤先生は、救急外来の専従で働く医師を増やし、救急専従医だけで救急外来を担えるようになれば、これまで当直を担当していた他科の医師がじゅうぶんな休養を取れるようになり、集中して自身の専門領域の診療に臨めるようになること、そのような体制が構築できれば、いずれはより多くの患者さんを救うことができるようになることを話されていました。その話を聞いて、目の前の患者さんだけでなく他の多くの患者さんをも救うためには、救急専従医を増やさなければと感じ、救急医を目指しました。

――福井大学医学部附属病院 救急・総合診療部で後期研修を受けて、ある課題感を抱いたそうですね。

さまざまな病院の救急現場を経験して感じたのが、日本の救急現場は、世界では標準的とされている治療が完全にはできていないということでした。救急医療が発展している北米などと違い、日本は標準的なことを教わらないまま患者さんを診てしまっているケースも発生しています。本来なら助かったかもしれない命を救えないことも、残念ながらありました。救急外来の担い手は研修医のような若手です。若手にはそういった救急医療を提供してほしくない。ですから私は、救急外来に携わる若手医師の教育をしなければいけないと思いました。

MBAで学んだ経営マネジメントで、救急医療全体を改善させる

――2018年 7月から、一宮西病院 総合救急部救急科の部長に着任されました。その経緯を教えてください。

一宮西病院へ移ることになったのは、当院の救急科を立て直すためです。病院としては救急科を病院の柱にしていきたいと考え、救急車の受け入れ台数を増やすなどの新たな試みに挑戦する人材を探しているようでした。私に声を掛けてくださったちょうどその頃、私はMBAを取得しようと考えていたので、MBAを取得した後の2018年7月に赴任しました。

MBA取得のためにビジネススクールで学ぶうちに、救急の現場で1人の救急医として活動するよりも、組織の上に立って救急医療全体を改革したい、という気持ちが芽生えたことも、一宮西病院への赴任を後押ししました。組織をより良くすることで多くの人が集まり、上質な救急医療や教育を提供できる。提供したものを真似でもしていただければ、結果として、日本の救急医療の質も向上していくはずだと思ったのです。加えて、私が理想とする北米型救急、いわゆるER型救急を日本にもっと拡大させるチャンスでもあると考えたことも、一宮西病院への入職を決意した理由の1つです。

――そもそも、なぜMBAを取得しようと思ったのですか。

救急の現場でも、経営マネジメントのスキルが生かせるのではと考えたからです。現場では、混雑状況や病床の空き具合も考慮しながら、多くの患者さんを同時に診る必要があります。どの患者さんにどんなやり方で、どのような治療を、どういう順番で行うのか考え、すぐに決断しなければならない。意思決定のプロセスの連続です。同時に多くのことを考慮しながら意思決定するには、プロのマネジメントスキルが欠かせないと考え、新天地へ飛び込む気持ちでMBAを取得しにいきました。

――先生の一宮西病院での取り組みを教えてください。

まず、救急隊との関係性の構築に尽力しました。病院内に市内地図を貼り、そこに各消防署の印をつけ隊員の顔写真をそれぞれ貼り、1人1人の顔と名前が分かるようにしました。不定期ですが勉強会を開いて、基礎的な救急の知識を共有する取り組みも行っています。他にも、お互いに顔の見える関係性を作るために、救急隊員と医師とで一緒に食事に行くなどの交流会も行っています。

以前よりも信頼しあえる関係を築くことができたので、こちらからの要望も伝えやすくなりました。例えば、受け入れ要請の電話の時に呼吸回数を真っ先に医師へ伝えることの重要性を勉強会で繰り返し伝えたことで、今ではすぐに伝えてくれています。救急隊との関係性を見直したからこそ、救急車の受け入れ数も1年間で21%増の、1,226台増加させることができたのだと思います。

――MBAでのご経験はどのように現場に生かされていますか。

生産ラインのマネジメントとして、主に製造や物流の業界において、発注から納品までに必要な時間をリードタイムと呼び、リードタイム短縮の重要性や、リードタイム短縮の方法などを学びました。それを診療にも応用し、リードタイムを「来院から治療までに必要な時間」に置き換えれば、リードタイムの短縮は患者さんの待ち時間の短縮、つまり患者さんを重症化させないことの実現につながるのでは、と考えました。

リードタイムを短縮させる取り組みのひとつが、「診療行為の見える化」です。

例えば、頻繁に見る重症症例への対応が医師によって違っていた場合、どのようなことが起こるでしょうか。医師によって治療方法や指示がバラバラだと、看護師などコメディカルもその都度、医師に合わせて患者さんへの対応を変えなければなりません。結果、患者さんは長時間待つことになり、場合によっては重症化してしまう可能性もあります。

そこで、頻繁に見る重篤な症例や、滅多に見ないが重症化し得る症例については、治療方法や適切な投薬量などの情報、陥りがちなピットフォールを全部、1枚のカードにまとめて全スタッフが見られる場所にマグネットで貼り、「診療行為の見える化」を行いました。その症例が来たら、そのカードを見るというアクションさえできれば、研修医でも看護師でも、何をすべきかがひと目で分かるので、医師もスタッフも対応に迷うことがなくなりました。

この他にも患者さんの重症化を防ぐ方法として、待合室の様子をリアルタイムで確認できるモニターや救急患者一覧を映し出す大型モニターを救急室内に設置しました。これまでは、医師やスタッフが「ウォークインの患者さんは軽症者だろう」と思い込んでしまって、待合室で待たせている間に患者さんの症状を悪化させてしまうケースが多々あったのです。モニターを設置したことで、待合室にいる患者さんの変化にすぐに気づけるようになり、緊急の患者さんほど短いリードタイムで診療できるようになりました。

加えて、医師にはトリアージ実施率を下げるよう指導しています。通常はトリアージ実施率をあげて安全を担保しようとするため、全例トリアージを行うのが普通の救急外来ですが、これは間違いだと認識しています。トリアージを受けるということは、患者さんを待たせて当然だ、と誤解するスタッフが多いためです。医師には手が空いたらトリアージを行う前に患者さんを診る、という意識を持ってもらい、当初は80%だったトリアージ実施率が、現在は23%にまで下がりました。トリアージ実施率が下がったということは、トリアージ前に医師が患者さんを診ているということでもあります。結果的に患者さんの待ち時間は非常に短縮できました。

救急現場の改革が、多くの人々を救える世の中を作っていく


――今後、若手教育で実現したいことはありますか。

救急患者に対して単独でさまざまなことができて、かつ上司に対しても助言できる若手医師を育てたいと思っています。具体的には、北米型救急医としてのコンピテンシーモデルを作成し、Evidence boostのIOT活用、リーダーシップやレジリエンス教育、災害対応を学べる環境を用意しました。自分たちでも勉強会を運営し、経営マネジメントについての指導も行っています。

最終的に、若手医師たちには、俯瞰的に組織を見渡せるスキルを持った医師になってほしいと思います。そんな医師が1人でも多く増えれば、日本の救急医療はさらに改善していくはずです。

――今後の展望を教えてください。

専攻医たちには、専攻医修了後に当科を離れてそれぞれの赴任先へ移ったあとも、ここで学んだことをぜひ実践してほしいですね。そうして、救急医が全科の救急初期診療を担う北米型救急、つまり私の理想の救急医療が全国へ広がっていけば、他科の医師たちが自身の専門分野に集中でき、巡り巡って多くの人びとを助けられる世の中になる。そんな将来を思い描きながら、今は、この一宮西病院の総合救急部でできることを地道に続けていきたいと思います。

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