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北海道の若手医師のために、道外へ飛び出した総合内科医のビジョン―小澤 労氏(国立病院機構栃木医療センター)

2019年11月27日

北海道出身の総合内科医・家庭医、小澤労(おざわ・ろう)氏が初期研修を経て感じたのは、「北海道では、自分のなりたい医師にはなれない」ということでした。尊敬する医師の言葉に背中を押され、道外へと踏み出します。小澤氏が思う、北海道が抱える総合内科教育の課題と、若手医師を救うためのビジョンを取材しました。(取材日:2019年8月3日)

北海道に総合内科の確かな教育拠点を築くため、外の世界へ踏み出す

――総合内科医を意識するようになったのはいつ頃ですか。

国家試験の勉強をしている時期です。どの勉強をしていてもすごく楽しくて、こんなにさまざまなことを学んでいるのに、専攻医になって他の知識を捨ててしまうのはあまりにも惜しい――そう思い、大学6年生頃から何でも勉強できるという理由で、総合内科を意識するようになりました。
また地域実習の時、松前町立松前病院(北海道)の院長が総合診療医として知識の広さで患者さんを救う姿に感銘を受け、「このような先生になれたらかっこいい」と感じました。総合内科なら、診療科にとらわれず幅広く学び続けることができる。そう思い、総合内科医を目指すことにしました。

――総合内科医を目指す中で、苦労したことはありますか。

初期研修をどこの病院で受けるか調べるのに苦労しました。当時は、総合内科を学べる北海道内の病院についての情報が少なすぎたのです。どこの病院にどのような研修プログラムが用意されているのか、などの情報を入手するのが難しかったんですね。総合内科の勉強をしたいのに、選んだ病院によってはそれができないかもしれない……、そんな不安と焦りがありましたね。

そんな中、なんとか見つけたのが、江別市立病院。道内で総合内科を標榜している数少ない病院で、そこで初期研修を受けることにしました。

――江別市立病院での初期研修後、長野県の諏訪中央病院へ。北海道を出ようと思ったきっかけは何だったのですか。

後期研修で北海道を出たのは、江別市立病院の指導医である岩田啓芳先生の存在がとても大きいです。岩田先生は、総合診療分野での研修先として有名な洛和会音羽病院(京都市)で後期研修を終えて、北海道に戻ってこられた方です。岩田先生の非常に博識で教育的な姿を見て、尊敬の念を抱くとともに「自分も先生のように、北海道の中だけでなく外でも学び、そこで身につけた知識や技術を北海道へ持ち帰ってくるほうが、将来の北海道のためになるのではないか」と考えたのがきっかけです。

最初は、北海道を出て別の地域に行くことはとても不安でした。北海道にいる医学生や若手医師の多くが私と同じような気持ちを持っているかもしれませんが、仮に自分が道外の有名病院に行ったとして、しっかりと研修についていけるのか? という不安が大きかったのです。

――その不安を払拭し、北海道の外への一歩を踏み出せたのはなぜですか。

ひとつは、先程の岩田先生に相談した際に掛けてもらった言葉に後押しされたからです。その先生は、「北海道を出れば、世界はさらに広がっている」、「私も、北海道を出る前は不安を感じていた」と話してくださいました。この言葉で、不安を感じるのは自然なことだと考えられるようになり、道外に出ることへの心理的なハードルが少し下がりました。あとは、自分自身がフロンティアになり、北海道でも安心して総合内科を学べる教育拠点をつくり、北海道内の医学生や初期研修医の教育の受け皿になりたいという野心が、自然と湧き上がってきました。

そして、さまざまな方から「総合内科が今もっとも熱いのは、諏訪中央病院だ」と聞き、諏訪中央病院(長野県)で後期研修を受けることに決めました。当時は、まるで海外へ留学するくらいの気持ちで北海道を出ましたね。

諏訪中央病院での後期研修を終えても、北海道に戻らなかったわけ

――2017年から国立病院機構栃木医療センターに在籍されています。同センターではどのような活動をされていますか。

当センターでは内科に所属し、臨床業務やマネジメント業務に携わっています。当科は主に消化器内科や循環器内科、総合内科の医師と専攻医の混合で、1組6~7人のグループを作り、患者さんを診ています。私は今年から、1つのチームのリーダーを任されています。その他、専攻医の採用や勉強会の運営など、教育に関するマネジメントにも携わっています。

――ところで、なぜ北海道ではなく、栃木医療センターに移られたのですか。

後期研修が終わる医師5年目のとき、これからどこに行くかというのは、自分にとっては大きな課題でした。それこそ当初は、後期研修が終わったら北海道に戻ろうと思っていたんです。しかし、初期研修医の頃から思い描いていた総合内科の教育拠点を北海道につくるためには、自分はまだ臨床能力やチームマネージメント力が未熟だと思ったのです。まだ北海道に戻るには早いと思い、さらに学べる場所を探していました。そんな時、たまたま「栃木県の総合内科医のブログ」を見つけ栃木医療センターを知り、門を叩いたのです。

若手の総合内科医を育成できる北海道をつくる


――今後も数年間は栃木医療センターで経験を積んで、それから北海道に戻る予定なのですね。

家族のこともあるので、どのタイミングにするかは難しいところですが、あと数年は当センターで勉強させてもらい、いずれは北海道に戻れればと思っています。とはいえ、教育拠点を立ち上げることは、到底1人でできることではないと思っています。しかし自分と同じような想いを持っていて、力を貸してくれる友人、知人は北海道の内外にいるので、彼らのキャリアプランともすり合わせた上で北海道に戻る時期を決めたいですね。

北海道で総合内科を学びたいと考えている医師はいます。しかし、興味を持っているのにどこで学んだらいいのか分からない、道外に出る勇気を持てない、キャリアパスが不明確で不安だ、といった理由から、臓器別の専門科に進むことになってしまう後輩たちがいることも事実。私も、初期研修の頃に総合内科を学びたくても学べないかもしれない、とかなり悩みました。私のように悩む後輩をゼロにしたいのです。

彼らの面倒をしっかり見られるように、今はわたし自身がマネジメントを学び、診療科をまとめられるスキルを身につけ、そして彼らが北海道の中で安心して学べる拠点を作る準備を進めていきたいですね。

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