立ち遅れている日本のヘルスセキュリティ(健康危機管理)を強化すべく、国立機関で研究や普及活動を進めているのが齋藤智也(さいとう・ともや)氏です。そのキャリアの始まりは感染症領域で、まだ専門医のキャリアパスが確立していなかった頃でした。その後、イギリスの先進的なヘルスセキュリティに触れたことで、現在は公衆衛生学と安全保障学、行政とアカデミア、研究機関と世間といった距離の開きがちな2者の“中間地点”に立ち、これらを結びつけることで日本のヘルスセキュリティを高めようとしています。聞きなれない分野に足を踏み入れた背景や、現在の取り組みについて伺いました。(取材日:2019年 10月 8日)
「感染症は1対1の臨床より、もっと大きなマスレベルで診る時代だ」
――なぜ医師を目指されたのですか。
医学の知識や技術を用いて人を癒し、かつ人の役に立つ仕事に憧れがあり、医師を目指しました。医学生の時から、将来は臨床医よりももう少し社会と接点のある場所で感染症や災害医療、国際保健分野などに関わりたいと漠然と思っていました。
慶応義塾大学医学部を卒業後は、熱帯医学・寄生虫学教室にて5年間、基礎研究に従事しました。当時の日本ではまだ、感染症の専門医のキャリアパスは確立していなかったので、その研究室に入るかどうかは悩みました。さまざまな先生に相談する中で、ある先生が「感染症というのは、もう、人ひとりだけを診る時代ではない。もっと大きな、マス(集団)レベルで診ていくべきだ」とおっしゃったのです。その先生の言葉を聞いて、感染症の領域でできることが私の考えに近いなと感じました。
基礎研究からキャリアを始めることについてもアドバイスをいただき、考えた結果、基礎研究の道に進むことに決めました。実は、一時は臨床に戻ることも考えました。しかし、基礎研究の「まだ誰も見たことがないものをこの目で見られる」という面白さを研究しながら改めて実感し、研究者の道を進み続けることを決意しました。
――現在の取り組みとそのきっかけについて教えてください。
現在は、厚生労働省が管理する研究機関、国立保健医療科学院に在籍しています。科学院では、研究や研修を通じて国内外のヘルスセキュリティを強化するための活動をしています。ヘルスセキュリティとは、人びと全体の健康に害を及ぼす危険因子を想定し、予防・準備・検知・対応などを行い、人びとの健康を守る危機管理体制のことを指します。具体的には、自治体の公衆衛生分野に対して、プリペアドネスと言われる公衆衛生に関する対策を自治体に根付かせ、日本の危機管理サイクルを整える活動をしています。
これらの取り組みのきっかけは、基礎研究の成果がある程度まとまってきた頃、厚生労働省の研究費で生物テロ対策として天然痘ワクチンを備蓄する時の必要な備蓄量を試算する研究班に所属したことです。この経験から、日本の公衆衛生危機管理体制に対して課題感を抱くようになりました。その後は米国で公衆衛生学修士を取得し、感染症の基礎研究から公衆衛生分野へ本格的にシフトしたのです。また、イギリスのHealth Protection Agency(健康保護庁)へも訪問研究員として留学しました。留学の目的は、日本とイギリスの生物化学テロ対策の比較。公衆衛生の側面から、それぞれの国がどのような対策を行っているのか比較しました。イギリスの公衆衛生対応は、日本のそれとは大きく異なっており、非常に戦略的で計画的で衝撃を受けましたね。その後、厚労省に出向する機会を頂きました。厚労省では特に生物テロ、新型インフルエンザ対策や化学テロ対策などの方面に関わるようになっていきました。
行政とアカデミア、公衆衛生学と安全保障学 それぞれの中間地点で
――ヘルスセキュリティ強化のため、自治体への協力の他にはどのようなことに取り組んでいますか。
現在ヘルスセキュリティ分野は、既存のさまざまな機関や学問領域が結びつかないと成り立たなくなってきています。公衆衛生部門と治安組織、行政とアカデミア、公衆衛生学と安全保障学など、距離の開きがちな2者の中間地点に立つような取り組みに日々従事しています。
例えば、新型インフルエンザや生物テロなどの国家的な危機管理に対応するには、公衆衛生部門だけでは対応が難しい部分があります。そういった時にこそ、消防や警察、自衛隊などの他機関との協力関係が非常に力になります。
そのため、こうした他機関との関係構築に取り組んでいます。しかし、他機関との連携は、そう簡単にはいきません。同じことを話しているつもりでも、そもそも、お互いにイメージしているものが食い違っていることもあります。そういったちょっとした認識のズレがどこにあるのか常に気をつけながら、日々接しています。
また、厚生労働省に出向した経験から言えるのは、行政ではローテーションで仕事が変わっていくので、特定の分野だけに集中して取り組み続けることができないということです。反対に、アカデミアでは特定の分野に集中して取り組めますが、危機管理分野は機微な情報が多いため、全ての情報を得るのが難しく、危機管理に直に関わることがなかなかできません。現在在籍している科学院では、行政とアカデミアのちょうど中間といった立場で、両者の利点を活かしながら日本のヘルスセキュリティ強化に取り組んでいます。
私がヘルスセキュリティの中でも注力している研究領域が、バイオセキュリティです。これは、感染症流行や生物学的脅威に対して、包括的な防衛策を扱う分野を指します。これまでは公衆衛生学や国際保健学、安全保障学などの観点から研究されてきましたが、近年複雑化する脅威に対処するべく、それぞれの学問を包括的に扱う必要が出てきました。そこでいま私は、公衆衛生学と安全保障学の“中間地点”から感染症を見る、バイオセキュリティの研究に従事しています。
研究機関と世間の間から、ヘルスセキュリティを広く伝えていく
――今後の展望を教えてください。
ヘルスセキュリティはまだまだ認知度が低く、またキャリアパスも明確ではないため、若手が飛び込みづらいという課題があります。今後は、ヘルスセキュリティへの関心を高めるために、詳しく解説した書籍を出版する予定です。また、公衆衛生大学院と連携しながら、ヘルスセキュリティを学べる拠点をつくりたいと考えています。
とはいえ、ヘルスセキュリティに世間の注目を集めることは少々難しいかもしれません。危機管理という性質上、目立っている時というのは大抵の場合、悪い事態が起きているか、対策が失敗しているか、ですからね。しかし、日本のヘルスセキュリティを強化させるには世の中に理解してもらうことが必要であり、そのために分かりやすく伝える必要も、やはりあると思います。これからは研究機関と世間の中間に立ちながら、ヘルスセキュリティの知識を伝え、1人でも多くの人が関心を持つことで、日本の危機管理体制の構築に貢献していきたいと思っています。
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