キャリア事例
自分らしく働く医師のキャリア事例をご紹介します。-
事例
医師23年目。臨床を離れて学校をつくった医師の再挑戦とは―小栗哲久氏
長年臨床現場から離れていた小栗哲久氏。離島医療を経験後、ホスピスで終末期医療や心のケアに取り組み、2012年には仲間と共に自由な教育方針を掲げた学校を開校させました。医師23年目の挑戦の裏には、どのような思いがあるのでしょうか。
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事例
退局して34歳で保険会社の社医に―西川征洋氏
働き方が多様化し、医師も医療機関“外”で働く選択肢が増えています。そんな中、明治時代からの歴史を有するのが、保険会社で働く医師・社医です。今回は、日本保険医学会で会長を務める西川征洋先生(日本生命保険相互会社 医長)に、ご自身のキャリアと社医を取り巻く環境について伺いました。
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事例
すべては「家で死ぬ」ために。施設長経験20年超の医師が語る、老健のあるべき姿―佐藤龍司氏
「モットーはいかに家で気持ちよく死なせるか」。そう話すのは介護老人保健施設しょうわ(埼玉県春日部市)で施設長を務める佐藤龍司先生です。医局を5年で退局した後は、老健施設長一筋の佐藤先生。一体どのような思いのもとで老健を立ち上げ、運営し続けているのか、その根幹を伺いました。
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事例
近畿地方の子どもたちを守る! 救急集中治療科再編の軌跡―黒澤寛史氏
国内に小児専門の集中治療科がなかった2000年代前半。重症の小児患者への治療に疑問を感じていた黒澤寛史氏は、その思いを原点に小児集中治療医としてのキャリアを歩み始めました。2016年には、兵庫県立こども病院の救急集中治療科の再編に参画。小児集中治療科が最大限の力を発揮できる体制を構築しました。そんな黒澤氏が思い描く、次なる目標とは一。
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事例
「1年寄り道したっていい」女医のわたしが子連れで高知に単身赴任する理由―桐谷知美氏
理想とする医師像に近づくため、子どもを連れて1年間、高知県宿毛市への単身赴任を決めた桐谷知美氏。その背景には、自身の苦い経験と周囲の後押しがありました。これまで東京都内の急性期病院に勤務してきた桐谷氏が、地域医療に飛び込むことを決意した経緯を取材しました。
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事例
フットケア専門の訪問診療が必要だ! 地域の声に応えた医師の挑戦―木下幹雄氏
2017年4月、東京都昭島市に、国内では珍しいフットケア専門の訪問診療所を開業した木下幹雄氏。これまで杏林大学医学部付属病院、東京西徳洲会病院にも、難治性潰瘍のフットケア外来を立ち上げてきた木下氏には、形成外科医として地域で実現したいことがあります。
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事例
北海道岩見沢市・旭川市のまちづくりを「ささえる医療」―永森克志氏
2007年に財政破綻し、市立病院が閉鎖した北海道夕張市で、医療を再建した立役者の一人である永森克志氏。地域医療に興味を持ったきっかけは「自然が美しい地域で医療をしたかったから」と話す永森氏は、現在、北海道岩見沢市でコミュニティドクターとして活躍されています。これまでのキャリアと想いを取材しました。
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長文インタビュー
医師インタビュー企画 Vol.19 髙橋昭彦
障がいを持つかどうかは確率の問題。たまたま障がいを持つ人とその家族が、なぜこんなにも苦しまなければならないのか――。この思いを出発点に2002年から栃木県宇都宮市で「医療的ケア児」と呼ばれる子どもたちを対象にした在宅医療、家族支援をしているのが髙橋昭彦だ。その取り組みが認められ、2016年には日本医師会「赤ひげ大賞」を受賞。採算度外視で我が道を行く髙橋だが、40歳を迎えるまでは自身の生き方に悩んでいたという。髙橋のキャリアを突き動かした出来事とは。
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事例
チーム医療を再構築! 感染症多職種チームが自走するまでの軌跡―笠井正志氏
小児感染症専門の臨床医としてキャリアを積んできた笠井正志氏。2016年4月、長年の目標であった感染症科を兵庫県立こども病院に立ち上げました。赴任当時、チーム医療の土台がない状態から、感染症対策の多職種チームが自走できるまでに育て上げた舞台裏に迫ります。
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事例
年の半分はオンコール、片道数時間の通院患者…若手医師が北海道で見た衝撃とは―齋藤宏章氏
これまで縁もゆかりもなかった北海道北見市で、医師としてのキャリアをスタートさせた齋藤宏章氏。地元である福岡県、大学時代を過ごした東京都とは全く異なる環境を選んだからこそ見えたもの、研修を通じて変わった将来への展望について伺いました。
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事例
研究者から地域医療研修の教官へ 年間40名超の研修医を魅了する理由―中桶了太氏
離島ながらも、本土と橋でつながっているがゆえに、公的な離島医療支援を受けられていない長崎県平戸市。ここには現在年間40名を超える初期研修医が地域医療研修を受けるためにやって来ます。その立役者は基礎医学研究者から地域医療研修の教官となった中桶了太氏です。
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事例
医療資源は豊富でも在宅は未整備…12年目の医師が挑む「コミュニティクリニック構想」―今立俊輔氏
父の背中を見て何でも診られる医師を目指した今立俊輔氏。離島医療を経験したのち、医師12年目で選んだ道は、父の運営する今立内科クリニック(福岡県久留米市)での在宅医療部門の立ち上げでした。医師のキャリアとしては比較的早期に実家のクリニックへ戻ろうと考えた、その道に至るまでの思いを取材しました。
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事例
開かれたコミュニティを生んだ、地域包括ケアの「柏モデル」―平野清氏
地域包括ケアシステムの先進例「柏モデル」で知られる千葉県柏市。この地で、地域包括ケア従事者のコミュニティづくりに一役買っているのが、平野清先生です。先代から60年以上にわたって外来と在宅医療に取り組みつつ、行政や医師会といった組織の力も生かして、医師に負担が偏らない仕組みを作り上げてきました。今回は2009年から取り組みが始まった「柏モデル」の現状と、次世代に引き継ぎたい平野先生の内なる思いを聞きました。
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事例
都市部ではできない医療を、岡山県山間部集落で―玉井友里子氏
都市部で家庭医として成長する難しさを感じた玉井友里子氏。「何でも相談に乗れるかかりつけ医」を目指すために選んだ場所は、岡山県美作市でした。現在は、美作市内にある2医療機関で診療をしながら、週1回限定で自宅のある“上山集楽”で診療所を開くワークスタイルをとっています。地域との関わり合い、そして、家庭医としての想いを取材しました。
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長文インタビュー
医師インタビュー企画 Vol.18 加藤寛幸
紛争地帯や災害地域で危機に瀕した人々への緊急医療援助を展開する「国境なき医師団」。その日本事務局会長として、途上国での医療活動に身を投じているのが加藤寛幸だ。医師としてこれまで9回にわたり援助活動に参加してきた加藤。途上国医療の光も闇も目の当たりし、挫折を繰り返してなお活動に身を投じ続けるのには、わけがある。
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事例
途上国での経験はキャリアアップか否か 欧米と日本の違い
世界約70の国と地域で人道支援活動を展開している、国境なき医師団。多様な文化圏での診療風景から見えてくる、日本の強み、他国から学ぶべきポイントとは―。
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事例
地方創生のモデルに。宮城県大崎市で「異次元」の多職種連携に挑む―大蔵暢氏
総合診療医のロールモデルを探しに、アメリカへ留学した大蔵暢氏。そこで出会った老年医学と多職種連携の在り方に衝撃を受け、宮城県大崎市で留学先での学びを実践し始めました。一地方都市でありながら連携の場には多くの人が集まり、「異次元」の多職種連携を行っているといいます。今回は大蔵氏がアメリカで学んだこと、そしてそこでの学びを生かした多職種連携について聞きました。
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事例
臨床経験豊富な専門医こそ、在宅医療を―月永洋介氏
北関東最大、50万人超の人口を有する栃木県宇都宮市。市内外に急性期病院が複数あり、在宅医療のニーズが高まっているこの地に、2016年4月、在宅医療専門クリニックが開院しました。院長の月永洋介氏は、「在宅医療も可能な限り治療から緩和ケアまで高い質を継続すべき」と考え、専門医の在宅医療への参入を奨励しています。月永氏が在宅医療専門クリニックを開業した想い、地域で担っていきたい役割についてお話を伺いました。
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事例
平均在院日数を大幅に短縮 旭中央病院の挑戦―青木勉氏
住み慣れた地域で、その人らしく暮らせるように―。海外の精神医療事例を見て、日本でも同様の取り組みを実践する必要性を感じた青木勉氏は、2002年から精神科サービスをリフォームするための取り組みを多職種で開始。「旭モデル」と呼ばれる地域型精神医療モデルを構築します。
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事例
「立ち上がらなければ始まらない」30代で急きょ開業した若手医師の思い―田中公孝氏
医師にとって大きな決断である、開業。田中公孝氏は33歳という若さで東京都三鷹市にクリニックを開設し、家庭医としての経験を活かしながら地域の高齢者が幸せに暮らせる環境づくりに着手し始めました。経営ノウハウも全くゼロの状態からスタートし、想定外の出来事にも数多く見舞われたという田中氏。それでも自分らしく地域医療に切り込んでいこうと意気込む裏にある思いを聞きました。