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退局して34歳で保険会社の社医に―日本保険医学会 西川征洋会長(日本生命保険相互会社 医長)

2018年3月23日

西川征洋

働き方が多様化し、医師も医療機関“外”で働く選択肢が増えています。そんな中、明治時代からの歴史を有するのが、保険会社で働く医師・社医です。現在、生命保険の世帯加入率は89.2%(平成27年度 生命保険に関する全国実態調査)を占める日本において生命保険の公平性を担保する、なくてはならない存在ですが、そのキャリアヒストリーは世に埋もれがちです。そこで今回は、日本保険医学会で会長を務める西川征洋先生(日本生命保険相互会社 医長)に、ご自身のキャリアと社医を取り巻く環境について伺いました。

臨床経験は7年。後先考えず退局した先に見つけたキャリア

―保険会社に入職するまでのキャリアについて教えてください。

医学部卒業後は、麻酔科を専門に、大学医局で働いていました。当時は、医局に所属しない選択肢はなかったので、3カ所の関連病院を含め7年ほど臨床経験を積みました。

その頃の医療を取り巻く環境は『白い巨塔』の世界とまでは言いませんが、医師を頂点とするヒエラルキー社会で、コメディカルの方々や患者さん方は医師の言うことを聞くものだというのが常識でした。わたしは救急やICUにいたので「どんな治療をして、どのくらいお金がかかるのか」と心配する重症の患者さん方の家族をたくさん目にしてきました。わたし自身は、お互いが納得したうえで治療を進めたいと思っていましたが、今まで通り、決められた通りにするしかなく、全く力不足で何かを実行することはありませんでした。「医師独特の世界ではなく、一般社会で仕事をしてみたい」。そんな思いで後先考えず医局を辞め、3カ月くらい旅行しながら今後を考えていました。

―その後、どのようなきっかけで社医を知ったのでしょうか。

きっかけは、たまたま目にした医療系雑誌に、保険会社の社医の非常勤求人が載っていたことです。医局を辞めてしまった以上、アルバイトでもいいからとりあえず働かなければと思って、2週間限定で、保険契約希望者の健康診断(診査)をやりました。

実際にやってみて、これまでの仕事に疲れていたこともあり9時から17時という決められた時間で働けることや、営業や事務といった方々との仕事が新鮮で楽しいなとも思いました。その後、改めて就職活動をして、34歳の時に現保険会社に入職。現役社医の約半数は、わたしのようにたまたま求人を見つけた人ですが、最近は明確な意志を持つワークライフバランス思考の若手も増え、20代からセカンドキャリア層まで年齢層は幅広くなっています。

求められるのは医師の幅広い知識と、企業人としてのお客様第一主義

日本生命保険相互会社 医長

―社医とは、具体的にどのような業務をしているのでしょうか。

そもそも民間の保険会社は死亡率等を参考に、年齢・性別によって異なった保険料を設定しています。また、加入後すぐに入院、死亡等のイベントが起こる可能性の高い方とそうでない方を同じ保険料で引受けてしまうと、保険加入者間での不平等が生じます。そこで公平性を担保するため、社医には3つの役割が求められています。1つは保険加入希望者の健康状態を確認する「診査」、2つ目は人間ドックの成績表や健康管理証明書などの書類をもとに加入の妥当性を判断する「引受け査定」、3つ目が保険金支払い時に正確性、妥当性、公平性などを評価する「支払い査定」です。診査はお客様に来所いただくケースもあれば、往診に行くケースもあります。

会社によっては、診査のみ、査定のみといったかたちで業務範囲が決まっている企業もあるようですが、わたしは2年に1回のペースで異動や転勤があったのでたまたま全業務を経験することができました。本当に、どれも楽しかったですね。今は社医をとりまとめたり、医学的情報のデータベース化をしたり、全体の仕組みづくりを担っています。

ちなみに、最近の査定業務は保険会社が雇用する“アンダーライター”と呼ばれる専門職が行うことも増えています。彼らは必ずしも医療系国家資格を持っているわけではありませんし、そもそも医療を勉強してきた人たちとも限りません。しかし、入社後に生え抜きで育成されるので、現役のアンダーライターたちは研修医にも劣らない医学的知識を身に付けています。

―社医が行っている診査は、一般的な健康診断とは何が違うのでしょうか。

診査の内容は、血圧測定、尿検査、心電図、採血、問診など、一般的な健康診断とそれほど変わりません。ただ、その結果に責任を持つために、必要最低限の時間で的確な質問をして、お客様の答えを引き出していかなければなりません。

例えば、診査では、直近5年以内の健康状態を記入した告知書を出してもらいますが、お客様の中にはどの病院に行ったか、何科にかかったかなどを覚えていないこともあります。ですから、その時々の症状や治療内容を質問し、事実にたどり着く過程での想像力を働かせるためにも、本当に幅広い知識が必要です。現に、病院で働いていた時よりも医学書をよく読むようになりました。

―これまでの勤務経験を踏まえ、医療機関とはどのような点が異なりますか。

今は病院も変わってきていると思いますが、生命保険会社の場合、接する相手が“お客様”ということが最大の違いだと思います。

中には「営業に勧められたから」と、加入に迷っている方もいます。ですから、丁寧な説明はもちろん、お客様の同意や信頼を得ながら物事を進めていかなければなりません。さらに、チームで働くという点は医療機関と変わりませんが、一緒に働くのは営業職、商品企画職、事務職といった、医師にはあまり馴染みのない人たちになります。

―医療機関とは違う環境の中、社医に求められるスキルとは何でしょうか。

先ほど申し上げた通り、幅広い知識が必要になるので、ある程度の臨床経験や情報収集力が求められるでしょう。科目は問わずさまざまな専門医が活躍していますが、麻酔科医や放射線科医のように、あらゆる症例に立ち会っていると社医業務に馴染みやすいように思います。あとは、これから認定が始まる総合診療医も向いているかもしれません。ただ、保険会社も企業ですから、医師としての専門性だけでなく、世間一般のサラリーマンと共通のスキルが求められます。

例えば、お客様への対応にはコミュニケーション力が求められますし、社内の仲間と協力する調整力なども必要でしょう。医師免許を持っているからといって特別扱いはされないので、「お客様としっかり向き合いたい」という性格であるかどうかも大事ではないでしょうか。

仲間とともに仕事をしつつ、保険医学の専門性を高める

日本保険医学会 会長

―西川先生にとっての、社医のやりがいは何ですか。

周りの仲間とともに、1つの目標に向かえることです。他の企業同様、限られた時間と人数をやりくりして、仕事の質を高めたり、業務の効率化を追求したりできるのがおもしろい。

こう考えられるようになったのは、わたしが社医になりたての頃、アメリカの保険医学会に1週間学びに行けたからだと思います。ご存知の通り、アメリカは皆保険制度がなく、民間保険会社間の競争が激しい国。当然、学会には自分の仕事にプライドを持つ、熱量の高い社医たちが集まっていました。そんな彼らに交じって生命保険会社の成り立ちや考え方について学べたことが、わたしの社医人生の基礎になっています。最大の収穫は、自分のためだけではなく、会社のため、お客様のために役割を全うする大切さに気付けたこと。また、自分だけしかできない仕事は、長い目で見ると会社にとってはリスクになるので、社医は医師の専門性を追求する一方で、仲間とともに仕事をし、標準化することが大切なのだということにも思いが至るようになりました。

―今後、社医を取り巻く環境は、どう変化していくと思いますか。

診査は企業で行っている健康診断、人間ドックなどを提出いただくことに集約されていくと思うので、診査医は減っていくのではないでしょうか。社医が診査をやるとすれば、高額保険商品の契約者といった特殊なケースを担っていくのかもしれません。また、先ほども言った通り、査定領域ではアンダーライターたちが活躍していますので、社医は彼ら以上の専門知識が求められるはずです。同様に、お客様は最新の医療を受けているわけですから、例え臨床現場から離れていたとしても、常に新しい情報はキャッチアップしておかなければなりません。

そういった最新情報を得るために、日本保険医学会があります。最近は社医に限らず、アンダーライターたちにも参加を呼びかけており、男女比や年齢層が多様になってきました。企業や職種を超えた情報交換の場になってきていますから、これからは社医とアンダーライターがお互いに切磋琢磨して、専門性を高め合っていければと思います。

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