「モットーはいかに家で気持ちよく死なせるか」。そう話すのは介護老人保健施設しょうわ(埼玉県春日部市)で施設長を務める佐藤龍司先生です。一見、無慈悲な言葉に映るかもしれませんが、医療と介護をつなぐため、死の手前にある「本人がどう生きたいか、家族がどう生かせたいか」にとことん向き合っているからこそ語れる言葉です。医局を5年で退局した後は、老健施設長一筋の佐藤先生。一体どのような思いのもとで老健を立ち上げ、運営し続けているのか、その根幹を伺いました。
医療者がつくる寝たきり。この構造を変えたい
―もともとは精神科を専門にされていたと伺いました。当初はどのようなキャリアを歩まれていたのでしょうか。
医学部卒業後は大学医局で研修医を2年、その後派遣された病院で3年間働いていました。人の死を見たくないと思って精神科医になりましたが、当時の精神科病棟にも寝たきりの患者がいて、その光景の方が見るに堪えませんでした。と言うのも当時は、認知症が「痴呆」と呼ばれていた時代。徘徊や暴言・暴力といったBPSDが現れれば、身体拘束をしたり、薬で落ち着かせたり、その場しのぎのケアで寝たきりにさせていたのです。
自分が処方した薬によって、目の前の患者さんがどんどん弱っていく。さらに、長期入院患者さんの「よくならない姿がつらい」と、面会に来るたびに悲しい顔をする家族。率直に、医師3年目で「自分がやっている医療は何なのか?」と思いました。正直なところ、精神疾患の中には認知症をはじめ、現代医療では完治が難しい病気もあります。それでも、患者さんを笑顔にすることならできるかもしれない。患者さんが笑っていれば、家族やスタッフも優しく見守れるかもしれない。
そんな思いで認知症ケアを独学で学び、身体拘束はしない、薬は寝かせることを主に使うというルールを敷く認知症患者を中心とした病棟を2年間担当しました。そこで本人のやりたいことを引き出し、家族とも積極的に話し合うなどして、約1カ月で退院できるような仕組みを作り上げたのです。
―勤務医時代の経験が今につながっているということですね。30代であれば、就職して経験を積むという選択肢もあったと思いますが、なぜ独立に踏み切ったのでしょうか。
わたしが組織に馴染めない性格だったからです。確かに、医師6年目、31歳で独立は早すぎた。教授にも怒られましたし、自分でもどきどきものでしたが、病棟運営で十分なノウハウを集められた実感があったので、自分の手でゼロから形にしたいと思いました。
ハコモノのかたちは特養でも、病院でも何でもよかったのですが、在宅介護を支援するには老健が良いだろうと思い、まずは医療法人を設立してクリニックを開業。そして、33歳で当施設を開設しました。たとえ診療報酬や介護報酬がなかったとしても、わたしは患者を笑顔にして、家族を支える取り組みをしていただろうと思います。
高齢者の在宅生活、そこに「社会参加」はあるか
―佐藤先生の、具体的な仕事内容について教えてください。
入所・デイケア登録者約400名のうち、9割はわたしが主治医を担っているので、午前中は40~50人ほどの入所者巡回をし、午後は20人ほどの外来を行います。そのほか、水、金、土曜日の夕方は、精神科専門のサテライトクリニックで診察をし、必要さえあれば看取りや往診もするといった日々です。
―仕事内容の中で、訪問診療を行わないのはなぜでしょうか。
わたしは医療者・介護者側の都合を押し付けず、本当に本人・家族が望む支援をしたいからです。当施設は「家で死ぬ」という理念を掲げていますが、これは世間一般で言われている“在宅療養生活”とは少し異なるかもしれません。通常、在宅と言うと、訪問診療、訪問介護、訪問看護、訪問リハビリテーション、訪問入浴などを組み合わせたサービスが提供されますが、これでは患者本人はもちろん、家族も自宅から出られなくなります。ICF(国際生活機能分類)では、人が生きることとは生命レベルの「心身機能・身体構造」、個人レベルの「活動」、社会レベルの「参加」の3つだと定義されていますが、上記の在宅療養生活だと「活動」と「参加」がまるごとなくなってしまう。利用者の活動と社会参加の機会がなくなり、家族は家にしばられ「介護離職」も起こってしまう。だからこそ、当施設では入所だけでなくデイケアやショートステイにも力を入れているのです。
―本当の家族支援のために、具体的にどのような特徴がありますか。
デイケアは朝7時から夜19時まで、土日も開所しています。日中ここにいれば、介護、看護、リハビリが受けられて、食事や入浴も済ませられるので、その間は家族のゆとりができる。本人にとっても、ここに来ること自体が「社会参加」になります。
ちなみに平均在所日数は50~60日と、入所から2カ月以内で退所を勧めていますが、具合が悪くなったらいつでも戻ってこられるのも当施設の特徴。例えば、発熱時や感染症罹患時は、病院でなくても、老健内で適切な治療が行えます。もちろん、必要な時は病院につなぎますが、高齢になれば入院が負担になるケースもある。その点は、事前に家族との信頼関係が築けているかも要になると思います。
―平均在所日数60日で、在宅復帰率90%。長期療養者が増える老健が多数ある中、本来あるべき姿を実現できている秘訣は何でしょうか。
家族が「介護してもいいかな」「仕方ないかな」と思える状況を作るからです。たとえ寝たきりや車椅子で入所しても、遊びながら基本動作ができるようにサポートして常に利用者の笑顔を引き出すようにしています。
基本動作とは、起き上がる、寝返る、立つ、座る、歩くといった動作のこと。これらができて始めて、食べる、着替える、入浴する、トイレに行くといったADLが向上し、外出するなどの社会参加につながっていきます。わたしは、人は社会参加によって生きがいややりがいを感じ、その喜びが基本動作をやろうとする動機付けにつながっていくのではないかと考えています。
※エムスリーキャリア編集部にて作成
よくあるのが医療者や介護者が転倒・骨折を恐れるあまり、座らせたままや寝たきりにさせてしまうこと。当然、動けば動くほど転倒・骨折のリスクは高まりますが、座りきり、寝たきりの人生が本人にとって楽しいでしょうか。その姿を見て、家族が幸せなのでしょうか。
先ほど挙げた基本動作ができるようになれば、本人が楽しいだけでなく、家族や職員の負担軽減にもつながりますから、当施設は「24時間365日がリハビリ」を掲げています。施設が広いのでトイレに行くだけでもリハビリになりますし、本人の好みに合わせて薪割りやグラウンドゴルフ、本格的なコンサートなど、思い切り楽しんでもらう。それから、正しい姿勢で座ると自然と摂食嚥下能力が回復します。自分の頭と身体を使って取りに行くビュッフェ・バイキング形式を採用し、糖尿病やアルコール依存症を患っていても、施設内ではあえて食事制限をしていません。
わたしがこう考えるのは次の図の通り、老化は誰にも止められないし、人はいつか死ぬという事実があるからです。そもそも、年をとれば高血圧にもなるし、がんにもなるのが自然なことですから、個人的には無理に健康長寿にならなくても良いと思っています。なぜなら、当施設の利用者である高齢者は、これまで十分頑張って生きてきた人たち。それならば人生の終盤くらい、我慢せずに自分らしく生きる方が本人にとっても、家族にとっても悔いが残らないのではないでしょうか。この考え方を職員はもちろん、本人と家族に伝えていくことが、わたしの主な仕事です。
※池上直己「Ⅰわが国の医療提供体制と緩和ケア 緩和ケアの基本課題」((財)日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団「ホスピス緩和ケア白書」編集委員会『ホスピス・緩和ケア白書2008』)2008年、4ページより引用
これからの老健は、医療と介護の一体提供を
―超高齢社会を前に、これからの老健はどのような存在であるべきでしょうか。
今日まで、老健は病院と自宅の中間施設という認識があったと思います。確かに、その役割は引き続き求められると思いますが、これからは医療と介護の中間施設として、時に医療、時に介護を提供するような、一体施設を目指していくべきではないでしょうか。診療報酬や介護報酬という枠があると「こうでないとだめ」と思うかもしれませんが、もっと発想を自由にして、後から点数化出来るところを探していくくらいでも良いのではないかと思います。
―最後に、老健に向いている医師像を教えてください。
老健施設長は、未だにセカンドキャリアで就任する医師が多いですが、最近は臓器別医療に限界を感じた若手が施設長を務めることも増え、徐々に若返ってきている印象はあります。ただ、40歳と80歳では、同じ病気でもどう処置をするかは異なりますから、老健では全身を診て、医療の妥協点を探れる人が向いているかもしれません。半面、その人自身のやりたいことを尊重して、より多くの笑顔が見られる現場ではあると思います。
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