1. m3.comトップ
  2. キャリアデザインラボ
  3. キャリア事例
  4. 事例
  5. チーム医療を再構築! 感染症多職種チームが自走するまでの軌跡―笠井正志氏(兵庫県立こども病院)
事例

チーム医療を再構築! 感染症多職種チームが自走するまでの軌跡―笠井正志氏(兵庫県立こども病院)

2018年1月23日

小児感染症専門の臨床医としてキャリアを積んできた笠井正志氏。2016年4月、長年の目標であった感染症科を兵庫県立こども病院に立ち上げました。赴任当時、チーム医療の土台がない状態から、感染症対策の多職種チームが自走できるまでに育て上げた舞台裏に迫ります。(取材日:2017年12月17日)

一度は叶わなかった、小児感染症科の立ち上げ

―これまでのご経歴を教えてください。

大学卒業後に淀川キリスト教病院で内科研修を受けました。小児科志望だったものの、子どもだけではなく大人もしっかり診られる土台が必要と感じたからです。

もともと、小児の感染症に興味を持っていたので、それを専門にしたいと思っていました。しかし、わたしが医師になった当時は、国内に本格的な小児感染症科を研修する場はありませんでした。臨床感染症医として専門性を高めていきたいと考えていたので、まずは重症感染症が多く集まる小児集中治療科で外科系の知識(手術、術後管理、外科医の考え方など)と全身管理の方法を学ぶべく、2003年に千葉県立こども病院麻酔・集中治療科、翌年に長野県立こども病院集中治療科で研さんを積みました。

―その後、兵庫県立こども病院に感染症科を立ち上げた。

そうですね。実はその前に、長野県立こども病院で感染症科を立ち上げようとしていたのですが、頓挫してしまいました。

今思えば、当時医師10年目程度だったわたしには、新たな科を立ち上げるだけの実力はありませんでした。そのような立場でありながら、病院の幹部に対して「国内初の小児感染症科をつくりましょう」「感染症科がないのはおかしい」など、ずいぶん生意気なことを言ったものです。挙句の果てに、「感染症科をつくらないなら、わたしは辞めます」と言って退職。小児科を立ち上げる話が持ち上がっていた松本市内の総合病院に入職することになったのです。

そこで初めて、他院に患者さんを紹介する経験をして、こんなにもストレスがかかるものなのかと知りました。搬送先で「この処置もできないのですか?」と言われようと、応対している医師が研修医であろうと、こちらから頭を下げ、お願いしなければなりません。自分が処置できないことのもどかしさや肩身の狭さ、患者さんを搬送しなければいけない申し訳なさを感じることができたのは、医師、そして、人間的にも成長につながりました。他にも、今までいかに自分が病院の肩書のもと、さまざまな活動ができていたかを痛感。以前は講演会などの依頼があったのですが、長野県立こども病院を離れてからは全く声がかからなくなったのです。「○○病院の笠井」だったことに気付いてからは、すごく謙虚になりましたね。自らの功績で評価をいただくためにも、臨床研究で実績を出したり、若手医師向けの本を出版したりしました。

感染症科立ち上げが頓挫したことは、医師人生の中で最も大きな挫折でしたが、そのおかげで謙虚になれましたし、新たなことにもチャレンジできました。長野県立こども病院を退職してから2年経った頃、これらの実績が認められ、感染症にもある程度自由に取り組んでいいという条件も付いて、同院の集中治療科で再度働く機会をいただきました。

自走できる多職種チームになるために

―長野県立こども病院に再入職後、なぜ兵庫県立こども病院に赴任したのですか。

わたしに声が掛かった理由はよく分かりませんが、おそらく兵庫県立こども病院が、感染症診療や院内感染対策と後期研修医など若手医師の教育に困っていたためでしょうか。後期研修医に関しては、応募が少ない状況であったとも聞いていました。また、わたしが感染症を専門に臨床医としてキャリアを積んでいたこと、2012年から小児科後期研修医向けに、「HAPPY」という子どもの病歴や身体診察を学べるワークショップを続けていたことから、ニーズにマッチしたのだと思います。

―赴任してみて、どのように感じましたか。

赴任前に諸先輩から「大変だよ」と言われていたので、ある程度の覚悟はしていましたが、想像以上に大変でした。なぜなら、長野県立こども病院で普通に行われていたようなチーム医療の土壌が乏しく、診療科や部門がそれぞれかなり頑張って患者さんを診ている状況に見えたからです。加えて、他の診療科やスタッフと連携を取りながら医療提供をしていく必要があるとも感じました。感染症科と集中治療科が2016年に新規開設、総合診療科が2017年に再構築され、必然的にチーム医療が求められる診療科が一気に3科も立ち上がり、「この病院は変われる」と確信。自らのミッションにまい進する決意をしました。

わたしのミッションは、多職種チーム創設、有機的活動の支援、感染症診療の充実。2016年1月より当院に入職し、同4月から静岡県立こども病院で研さんを積んだ伊藤雄介先生と二人で感染症科を立ち上げました(図1)。

医師や看護師、薬剤部、検査部、院内感染対策委員会の下部組織である実働部隊(ICT)などで、“KPIC(Kobe Prevention and control of Infection for Children and family)”というチームを結成。感染症科の医師がチームの中心ではなく、それぞれの部門ごとに責任を持たせ、お互い対等な立場であることが特徴です。感染症科の医師を中心としたチームでは、全ての情報と責任がどうしても感染症科に寄ってしまい、チームが矮小化します。それぞれ違う組織が集まっているのに医師が全てを命令するのはおかしいですし、医師の負担も増加してしまう―。KPICでは、どこかの組織が頑張れば、それを見た別の組織のモチベーションアップにつながるという相乗効果も生まれています。感染症科の医師は全ての部門と関わりますが、メインの役割はあくまでもそれぞれの専門家に役割を振り分けることと、コンサルテーション。コンサルテーション数は2016年、2017年も500件を超えています。

KPICが発足して 1年目は、張り切りすぎて感染症科のスタッフやICTスタッフを振り回してしまい、疲れさせてしまうつまずきもありました。1年半を過ぎた頃には、これまで勤務してきた医療機関と同レベルの“チーム医療”が完成しつつある状態に。3年目となる来年には、わたしがいなくても自走できるチームになる予定です。

小児科医のアイデンティティを再度確立

―今後の展望について、どのように考えていますか。

院内においては、感染症コンサルテーションとKPICチームの機能をさらに発展させ、入院している患者さんに最適な感染症診療と院内感染対策を提供していきたいですね。まだまだ課題はありますが、チームメンバーや院内各部門と信頼関係を築きつつ、より一層実践していきます。今後は院内だけではなく、院外―特に小児感染症診療に関わる部分で、他病医院、保健所、自治体、調剤薬局とも積極的に連携を広げ、有機的なチームを結成し、活動していくことも考えています。
小児感染症学会専門医教育認定施設として、未来の小児感染症を担う若手育成もしていきたいですね。当院の後期研修医だけではなく、兵庫県内の若手小児科医教育に力を入れ、魅力的な小児科医をたくさん育てたい。そして、小児感染症学会の教育委員会のメンバーとして、国内ではまだ未成熟な小児感染症分野を発展させるべく、真の小児感染症専門医も輩出したいですね。

時代の流れではありますが、ややラディカルな集約化によって、小児科医は今や存在の危機に瀕していると思っています。医師の基本である病歴聴取と身体診察から臨床推論を駆使して、できるだけ子どもに痛い思いをさせないプラクティスを実践できる人材と場を作ることも大事なミッションだと考えています。また、小児の地域レベルを対象とした抗菌薬適正使用の確立した手法がほとんどないため、国立成育医療研究センターと東京都立小児総合医療センターと共同で行う厚労科研研究「小児における感染症対策に係る地域ネットワークの標準モデルを検証し全国に普及するための研究」で、抗菌薬適正使用の地域モデルを作るべく行動していきます。

最後になりますが、わたしの根っこはやはり小児科医。小児科医の仕事は「未来を創ること」なので、子どもの病気を診断し治療する力をつけるのはもちろん、病気にならない工夫をすることも大事です。元気な子どもと家族にもできることはたくさんありますと考えています。
個人的な将来の夢は、もう一度小児科医として現場に戻ること。そして、小児科医が小児科医らしく働ける、活動範囲を広げられる場を作ることです。そのためにも、「小児科医らしさ」とは何か、何をするのが小児科医なのか、どこまで広げることができるのか―。これらを自問自答しつつ、多くの小児科医仲間とたくさん語りあい、夢を形にしていきたいですね。

この地域の医師求人情報
・ 兵庫県の常勤医師求人情報を検索する

地域医療にご興味のある先生へ

各地で奮闘する先生お一人おひとりのご活躍によって、日本の医療は支えられています。
この記事をお読みになって、もしも「地方での勤務に興味はあるが、なかなか踏み出せない」とお考えでしたら、一度コンサルタントにご相談いただけないでしょうか。

先生のご懸念やご事情を伺った上で、地方の実情や待遇、サポート体制など正直にお伝えし、前向きな気持ちで次のキャリアに踏み出せるように最大限のご支援をしたいと考えております

先生の決断が、地域を、医療を変えるかもしれません。新天地でのご勤務・転職をお考えでしたら、ぜひお問い合わせください。

この記事の関連キーワード

  1. キャリア事例
  2. 事例

この記事の関連記事

  • 事例

    「深刻な問題だ」救急科新設した30代医師の挑戦―柴崎俊一氏

    医学生時代から、いずれ茨城県内の医療過疎地に貢献したいと考えていた柴崎俊一先生。医師8年目で1人、ひたちなか総合病院に飛び込み、救急・総合内科を新設します。診療科を新設し、病院内外に根付かせるにはさまざまな苦労がありますが、どのように取り組まれたのでしょうか。

  • 事例

    LGBTQs当事者の医師がカミングアウトした理由―吉田絵理子氏

    川崎協同病院(神奈川県川崎市)総合診療科科長の吉田絵理子先生は、臨床医の傍ら、LGBTQs当事者として精力的に活動しています。不安を抱えながらもカミングアウトをし、LGBTQs当事者の活動を続ける背景には、ある強い想いがありました。

  • 事例

    院長のラブコール「帰ってこい」Uターン医師の新たな挑戦―光田栄子氏

    お看取りのあり方に課題を感じ、介護士から医師に転身した光田栄子先生。諏訪中央病院を経て、現在、岡山市内のベッドタウンにある有床診療所「かとう内科並木通り診療所」に勤めています。地元にUターンした光田先生がこれから取り組んでいきたいことについて、お話を伺いました。

  • 事例

    「診療科の隙間を埋める」院長の挑戦とは―中山明子氏

    大津ファミリークリニック(滋賀県大津市)院長の中山明子先生。外来、訪問診療をしながら、家庭医として、相談先を見つけにくい思春期の子どもや女性のケアに力を入れています。

  • 事例

    最期まで自分らしく生きる「緩和ケア」を文化に―田上恵太氏

    最期までその人らしく生きるためには、病気や人生の最終段階に生じるつらさを軽減する緩和ケアの普及が必要だと感じた田上恵太(たがみ・けいた)先生。現在は東北大学病院緩和医療科で「緩和ケアを文化に」することを目標に、臨床・研究・社会活動の3点を軸に取り組みを進めています。

  • 事例

    1年限定のつもりが…在宅診療所で院長を続ける理由―細田亮氏

    千葉県鎌ケ谷市にある「くぬぎ山ファミリークリニック」の院長・細田亮(ほそだ・とおる)先生は、2015年、1年間限定のつもりで同クリニックの院長を引き受けました。ところが、院長のまま6年目を迎え、現在はクリニックの新築移転も計画中です。今もなお院長を続ける理由とは――?

  • 事例

    医師の夢“ちょっと医学に詳しい近所のおばさん”―吉住直子氏

    医師としてフルタイムで働きつつ、地域での社会活動にも尽力している吉住氏。「幅広い世代が集まる場所」をつくろうと、奮闘しています。なぜ、忙しい時間を縫って社会活動をするのか。どのような医師を目指しているのかを伺いました。

  • 事例

    元ヘルパー医師が考える、引き算の医療―吉住直子氏

    臨床検査技師や介護ヘルパーを経て、呼吸器内科医となった吉住直子氏。研修先や診療科を選ぶ際は、常に「理想的な高齢者医療」を念頭においていました。実際に診療を始めると、前職の経験がプラスに作用することがあるとか。また、以前は見えなかった新しい課題も浮き彫りになってきたと語ります。

  • 事例

    2つの職を経た女医が、介護にこだわる理由―吉住直子氏

    「ちょっと医学に詳しい近所のおばさんを目指している」と朗らかに話すのは、医師の吉住直子氏です。医学部に入るまでは、臨床検査技師や介護ヘルパーの仕事をしていて、介護現場に立つうちに医師になろうと決意しました。どのような思いで、医師というキャリアを選んだのでしょうか。インタビューを3回に分けてお届けします。

  • 事例

    南海トラフ巨大地震に備えて、医師にできること ―森本真之助氏

    森本氏は専門医取得を目指すことに加え、「災害に強いまちづくり」の活動をさらに広げています。診療にとどまらず、地域の大きな課題に取り組む森本氏に、これまでのキャリアと活動を伺いました。

  • 人気記事ランキング