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北海道岩見沢市・旭川市のまちづくりを「ささえる医療」―永森克志氏(医療法人社団ささえる医療研究所)

2018年2月7日

2007年に財政破綻し、市立病院が閉鎖した北海道夕張市で、医療を再建した立役者の一人である永森克志氏。地域医療に興味を持ったきっかけは「自然が美しい地域で医療をしたかったから」と話す永森氏は、現在、北海道岩見沢市でコミュニティドクターとして活躍されています。これまでのキャリアと想いを取材しました。(取材日:2017年12月23日)

専門性より、大自然の中で医療がしたい

―これまでどのようなキャリアを歩まれてきたのか教えてください。

長野県の佐久総合病院で3年間研修を受けた後、出身大学である東京慈恵会医科大学の皮膚科に入局しました。大学病院時代に村上智彦先生に出会い、今日に至ります。

佐久総合病院を研修先に決めた理由は、地域医療にかける思いがあったわけではなく個人的な願望から。大学時代に遊びに行った長野県八ヶ岳周辺の景観に心を奪われ、「こんなところで働けたら最高だな」と思ったんです。単純ではありますが、それが地方で働きたいと思った最初のきっかけですね。研修先を決めるにあたりいろいろ調べてみると、長野県に佐久総合病院があること、そこでは1年目から外来実習があり総合診療を学べることがわかりました。佐久総合病院の面接を受けた時点では、まだ若月俊一先生のことも知らず、面接官に怒られましたね。地域医療に対して、高い志を持っていたわけではなかったんです。ただ、過去に祖父が往診を受けており、漠然と往診に来る医師のようになりたいという思いがあったかもしれません。

地域医療の「ち」の字も知らなかったわたしですが、3年間の研修を通して、医療より先に人と人とのふれあいや自然があり、医師の役割は地域住民に上から指示することではなく、下から支えることだと学びました。一方で、研修を終えて特定の専門性を身につけていないことが自分自身でどうしても引っかかってしまって-。その不安を解消するためにも、東京慈恵会医科大学の皮膚科に入局する道を選んだのです。

―地域医療から一変、大学病院での専門医療へ進まれたのですね。

はい。大学病院での経験は現在も活かされていて、キャリア形成のうえでも、大きくプラスになっていると思っています。しかし当時は、地域でのキャリアに不安を覚えて大学病院勤務を選択したこと、自分がやりたかったことを一貫して続けなかったことに対する後悔や後ろめたさを常に感じていました。この時期は一番辛かったですね。

東京に帰ってきたことで、地方での診療こそが自分のやりたいことだと改めて認識するようになり、再び地域医療に従事すべく、さまざまな地域の診療所を見学していました。その中で、財政破綻した夕張市の医療再建に取り組もうとしていた村上智彦先生に出会い、意気投合。家族で夕張市に移住して、村上先生と一緒に働くことになりました。

―どのような点で、村上先生と意気投合されたのですか?

いわゆる「赤ひげ先生」だけの頑張りで地域の医療を守るのではなく、気軽に医師が来られる環境を築いていくことが必要という点です。例えば、地域医療に従事する医師が余暇も楽しみつつ数年間働き、さらなるキャリアアップのために別の地へ行き、また違う医師が来る―。そのような環境を築くことで、安定的に医師が来る地域をつくれるのではないかと話し、そのために自分も汗をかいて夕張市での医療に携わりたいと考えたのです。

1年で在宅診療患者0名から100名超へ

―夕張市での医療再建では、具体的にどのようなことをされたのですか。

夕張市は2007年に財政破綻し、市立総合病院が閉鎖しました。そこでわたしたちは、19床の診療所運営・介護老人保健施設(以下、老健)開設・訪問診療の3本軸で、地域包括ケアシステムの構築に乗り出したのです。わずか1年で地域包括ケアシステムを一気につくり上げたことが我々の成果であり、最も大変だったことでしたね。当時はまだ、地域包括ケアシステムの重要性が言われていなかった時代。そんな時代に、中間施設である老健でリハビリを受け、自宅に帰っていき、訪問診療を受ける退院患者さんを0名から100名以上に増やすことができました。

―最も苦労したのはどのようなことでしたか。

1年間で大きな変化を起こしたので、やはり内外に抵抗勢力があり、その方々に理解してもらうことに苦労しました。自治体としては救急医療に力を入れたかったり、病院経営に直接関わる方々は財政安定のために病床数を増やしたいと言っていたり―。しかし、わたしたちは、救急医療や病床数を充実させることが、地域高齢者の幸せな生活につながるとは考えていませんでした。医療再建の目的は、地域の高齢者がこの地域で幸せに暮らせること。そのために何をすべきかを理解してもらうことは大変でしたね。

―気軽に医師が来られる環境の実現については、いかがですか。

地域包括ケアシステム―いわゆるキュアよりケアに重点を置いて取り組んできた結果、住民の意識が変わって医師の負担が減る体制が徐々に出来上がり、それに興味を持ってくれた医師が全国から大勢訪れるようになりました。当時の夕張市の人口は1万人程でしたが、最も多い時で7名の医師が診療所に勤務していましたね。夕張市立診療所は、現在は別の医療法人が運営しており、安定的に医師がいる状態です。自分の生活を犠牲にしすぎることなく、医療提供できる環境が整っていれば、地域医療に興味を持って学びに来る医師はいることを確信しました。

まちづくりを「ささえる医療」

―北海道岩見沢市に、ささえるクリニック岩見沢を開設した経緯を教えてください。

夕張市にいた時、医師が安定的にきてくれるようになったおかげで、道内のべ30市町村の支援をすることができていました。その時に、夕張市のすぐ南である岩見沢エリアの栗山町や由仁町には訪問診療がないことを知ったのです。そのため、突然死か孤独死以外、在宅で最期を過ごすというケースがない。自分たちが活動している地域のすぐ近くに、自宅で最期を迎えることができない地域があることに衝撃を受け、岩見沢エリアに活動拠点を移し、岩見沢市、栗山町、由仁町、長沼町、旭川市を診療エリアにする、ささえるクリニック岩見沢を開設することを決意しました。

しかし、この地域では医療資源が少ないために、在宅診療所を立ち上げても重症患者さんを在宅では診られないという課題がありました。都市部と違い、訪問看護ステーションやケアマネージャーが少なく、重症患者さんを受け入れるだけのサービスが整っていなかったからです。そのため、わたしたちは訪問診療所と同時に、訪問看護ステーション、訪問介護事業所も開設。医療から介護まで全てワンパッケージで立ち上げました。そうすることで地域に新たな雇用が生まれ、結果的に納税者が増え、住民の高齢化や人口減少を防ぐことにもつながります。つまり、医療・介護をワンパッケージで提供していくことで、まちづくりも可能になるのです。実際に、デイサービス数カ所と訪問介護2カ所が新たに増えました。

―今後の展望はどのように描いていますか。

まちづくりを「ささえる医療」。これが、医療法人社団ささえる医療研究所ささえるクリニック岩見沢のミッションです。

新たな挑戦として、2018年1月に、シェアハウス・シェアオフィス・コミュニティスペースを兼ね備えたミックス住宅「ささえるさんの家」をオープンします。高齢患者さんが病院から住み慣れた地域に帰って来られるよう、施設型介護やホームホスピスなどさまざまな案を検討してきましたが、最終的に、高齢者も若者も誰でも住めるシェアハウスがあればいいのではないかという結論に至りました。わたしの役割は、医療介護に従事する地域住民の方々や地域患者さんを支えること。この役割をコミュニティドクターと呼んでいますが、医師として指導していくのではなく、あくまでも地域の人たちが動きやすいように寄り添い、陰で支えてあげることが使命だと考えています。引き続き、この地域住民を支えていく存在でありたいですね。

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