住み慣れた地域で、その人らしく暮らせるように―。海外の精神医療事例を見て、日本でも同様の取り組みを実践する必要性を感じた青木勉氏は、2002年から精神科サービスをリフォームするための取り組みを多職種で開始。「旭モデル」と呼ばれる地域型精神医療モデルを構築します。徐々に地域移行した結果、精神病床を237床から40床にまで削減(2016年時点)、多くの長期入院患者が退院し、地域で暮らすことができるようになりました。10年以上かけて精神医療を病院から地域へとシフトさせていった舞台裏に迫ります。(取材日:2017年7月27日)
発展途上国の精神医療を見て気付いたこと
―「旭モデル」と呼ばれる地域型精神医療を始めようと思ったきっかけは何でしょうか。
カンボジア、カナダ、イタリアの精神医療体制を見学する機会があり、日本とは違う地域中心の体制に衝撃を受け、日本でも精神疾患を抱える患者さんを地域に帰していく必要があると考えたためです。
―見学当時、諸外国ではどのような精神医療体制を敷いていたのですか。
カンボジアでは、1970年代のポル・ポト政権下で医療制度が崩壊したまま、十分に再建されていませんでした。精神医療に関しては、人口1200万人に対して病床数が10数床。つまり人口約100万人に精神科病床1床という状況だったのです。厳しい状況ではありますが、訪問サービスや通所リハビリなど地域でのサービスの試みが、ボランティアベースで開始されていたのです。
精神医療の先進国と言われるカナダ、イタリアにも行きましたが、衝撃的だったのはカナダのバンクーバー。大規模精神科病院に最大5500床あったのを、約50年かけてダウンサイジングしていき、180床程度にまで減らしていたのです。入院施設も施設内のサービスも充実しているのですが、それでも患者さんを病院から地域にシフトさせていました。
翻って国内を考えてみると、精神科病床は桁違いに多い状況。当院も250床余りを有し、病院中心の精神医療をしていました。社会的状況の違いはありますが、海外の事例を目の当たりにして、地域でのサービスが重要なのではないかと思うようになったのです。
多職種チームとアウトリーチで、地域型精神医療を実現
―実際に病院型から地域型へシフトしていくにあたり、どのように仕組みを整えていきましたか。
まず2002年から、多職種による精神科サービスをリフォームするためのプロジェクトを始めていきました。その過程で、救急から治療、リハビリ、退院支援、地域生活支援までの一貫したサービス提供体制を確立し、多くの段階で精神科医、看護師、精神保健福祉士、臨床心理士、作業療法士、薬剤師といった多職種のチームを編成。2003年には長期在院調査を行い、1年以上の長期在院患者が入院患者233名中152名と全体の65.2%を占めていることが分かりました。スタッフとディスカッションを重ね、152名中76名は要入院継続として、翌年から残りの76名を退院させていくプログラムを始動。残念ながら長期入院患者さんの一部は、近隣の医療施設へ転院という結果になりましたが、患者数の減少に合わせて病床数をダウンサイジングしていき、2004年から13年かけて、237床から40床にまで削減しました。
―病床数を減少させる一方、地域での対応はどのように進めたのでしょうか。
2009年に精神科訪問看護ステーション「旭こころとくらしのケアセンター」を、2012年には訪問支援を充実させるために「コミュニティメンタルヘルスチーム(CMHT)」を発足させました。CMHTのチーム構成は、専従の看護師、精神保健福祉士、作業療法士の6名と、非専従の精神科医3名。患者さんの地域定着、入院・再入院防止のための生活支援をコーディネートするために、入院時から患者さんの退院支援に介入してもらっています。また、グループホームをはじめとするその他の社会資源との連携も担ってもらっています。
当院としては、2010年に移行型グループホーム「ぴあハウス」の開設や、その他のグループホームの開設を支援。さらに2014年からは2カ月に1回、保健所が中心となって、地域内の4精神科病院、1クリニックの精神保健福祉士が地域連携会議を開催しています。また、重症患者さんでも地域生活を継続できるよう、保健所と月に1回ミーティングを実施。保健所が入ってくれることで、緊急時に警察も動いてくれることが多く、地域連携が強化できるためです。
このような連携体制の構築、アウトリーチを実践できたことで、ダウンサイジングのほか、平均在院日数が50日を下回るようになりました。ピーク時には年間1,440件だった救急受診者数も2014年度には569件にまで減少。ただ、ここまで進めてこられたのは、千葉大学大学院精神医学教室のご支援、地域の精神保健医療機関、「ロザリオの聖母会」や「はんどいんはんど東総」といった地域の福祉団体やボランティア団代のご協力、そして「全ては患者さんのために」「精神科なくして総合病院と称されない」という当院の理念、その理念のもと長年貢献してくれている人材など、「地域型精神医療」を進めるための文化的素地が整っていたことが大きく影響していると思います。
地域型精神医療の最先端地域に
―15年余りで病床数を約6分の1に削減、救急受診者数が約5分の2に減少した成果を出されたのですね。何に一番苦労されましたか。
当初、それまでヒエラルキーの頂点にあった医師が、多職種チームでは他の職種と同等の位置となり、リーダーが定まらずうまく機能しにくい時がありました。当時、すでに患者さんを中心とした円環型の多職種チームの重要性が認識され始めてはいましたが、チームメンバーの方が、職種間の葛藤を抱えたり、チームとしての目標と自分がやっていきたいことが一致していないこともあったかと思います。わたしよりも、彼らの方が苦労しただろうと感じています。
最初は思うようにいかないことも多かったですが、患者さんを地域に帰していくことで、徐々にスタッフ自身の認識が変わっていきました。特に2012年から2015年にかけて、2003年の時点では要入院と判断した患者さんたちを退院させることができたことは、当院として地域型精神医療を進めていくうえで大きな出来事でしたし、スタッフの自信につながったと思います。
―今後の展望について教えてください。
今、ようやく医療連携や多職種チーム医療、保健や福祉との連携により、地域で包括的に精神医療を提供できるようになってきました。まずはこの地域型精神医療を維持・向上させて、当院のある東総地域で継続的に精神医療を提供していきたいですね。そうすることで、世界標準の「地域型精神医療」を拡げていけたらと思っています。
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