理想とする医師像に近づくため、子どもを連れて1年間、高知県宿毛市への単身赴任を決めた桐谷知美氏。その背景には、自身の苦い経験と周囲の後押しがありました。これまで東京都内の急性期病院に勤務してきた桐谷氏が、地域医療に飛び込むことを決意した経緯を取材しました。(取材日:2018年1月13日)
急性期病院から一転、高知県最西端の病院へ
―これまでの経歴を教えてください。
「何かあったら最初に相談されるような医師になりたい」と思い、千葉大学を卒業後、国立国際医療研究センターで初期研修を修了し、後期研修は東京医療センターで総合内科を専攻しました。途中、出産のため産前・産後休業、育児休業を取得したので10カ月のブランクがありましたが、2018年3月に後期研修を修了予定です。
これまで6年間は急性期病院での勤務でしたが、4月からは一転、1年間限定で高知県の最西端に位置する宿毛市の大井田病院で、内科医として勤務しながら、皮膚科や耳鼻咽頭科などマイナー科を診るスキルも積むことになっています。
―高知県での勤務を決意した理由とは。
やりたい医療のために、必要なスキルを集中して学べる環境だと感じたためです。
わたしは将来、夫の職場がある埼玉県で、在宅診療も含め、地域に根差した医療に携わっていきたいと考えています。自分の診療範囲が広ければ広いほど、患者さんのメリットにつながるので、内科だけではなく、他科の知識も身に付けたいと思ったのです。しかし、都市部では、マイナー科を学ぶために数カ月間だけ勤務するというのは難しいこと。なぜなら、それぞれの科を専門にしたい先生方が集まっているからです。一方、都市部から離れた地域では、内科医として戦力になりながらも、それ以外の診療科を診なければいけない環境があり、マイナー科の知識を身に付けていけるのではないかと考えていました。
そんな時に、医師募集のお知らせが来る総合診療科医が参加しているメーリングリストで、1年間限定で離島・へき地の病院に勤務し、へき地・離島で活躍できる医師を育成する研修プログラムの案内が流れてきたのです。一般的に、離島・へき地勤務を躊躇する理由として、「モチベーションを保てるか」、「フィードバックをもらいながら、自己流でないスキルアップが図れるか」などが挙げられるかと思います。しかし、その研修プログラムでは、勤務先の病院に指導してくださる医師がいるためフィードバックをもらうことができ、診療以外のことも相談できる環境があると記されていました。
決め手は夫の一言
―そのメーリングリストを見て、すぐに「行きたい!」と思ったのですか。
行けたらいいなという気持ちはありましたが、実際に自分が行って働けるとは思ってもいませんでした。家庭のことを考えると、夫は会社員で勤務地を変えることが難しく、1歳になる子どももいたからです。メールマガジンを見た時、夫には「遠い地域だけど、こんなプログラムがあるんだって。参加できたらいいけど、実際には厳しいよね」と、軽い口調で伝えた程度だったんです。
ところが、夫からは「自由が利く医師という職業に就いていて、受けたい研修を受けられるチャンスがあるなら、経験を積んでくればいいじゃないか。むしろなんで行かないの」という反応が返ってきたのです。実母にも意志を伝えると、宿毛市まで一緒に行って子どもの世話などをサポートしてくれると言ってくれて―。周囲の強い後押しのおかげで、子どもを連れて単身赴任する形で、研修プログラムを受けることを決意できました。
―周囲の後押しがあったとはいえ、大きな決断をされましたね。
そうですね。やりたい医療を実現するためでもありますが、過去に悔しい思いをした経験も気持ちを後押ししてくれたように思います。
後期研修の一環で、半年間、埼玉県にある病院で地域研修をしたことがありました。その期間中に、施設への定期診療や在宅診療を経験する機会があったのです。まだ医師年数は浅かったものの、急性期病院で内科医としての経験を積み、内科のメジャーな疾患はある程度診られる自信がついてきた頃でした。ところが、いざ在宅診療に行くと、全く通用しなかったのです。目の前の患者さんの状態は保存療法でいいのか、専門医に紹介した方がいいのか、専門医にはどのタイミングで紹介すべきなのか、自分だけで判断することが難しくて-。
“医療”という同じ枠組みですが、急性期と慢性期では全く違うこと、今まではとても守られた環境だったことを痛感しました。在宅医療はある意味、わたし一人の判断で決まっていくもの。その責任を負っていくほどの実力がないと思い知らされたのです。東埼玉病院で半年の研修を終え、うなだれながら東京医療センターに戻りました。
一方で、実力が不十分なわたしでも「先生に診てもらえてよかった」と言ってくださる患者さんもいました。そんな言葉をかけてくださる方がいると喜びもひとしおで、この経験から、内科をベースに他科にも診療範囲を広げたいと思うようになっていったのです。
1年くらい寄り道したっていい
―2018年4月に向けて、今の心境はどうですか。
このようなキャリアを歩んでいる先輩は周囲にいないので、この先のキャリアが見えず、不安も大きいです。それに、地域医療に飛び込む方は、勢いとパッションがある医師というイメージがあるので、わたしでも務まるのかという思いもあります。
今までは、「この専門領域に進みたいから2年間はこの病院に行って、その後は違う病院に何年勤めて、専門医を取ってこうしていきたい」と、いかに最短で目標達成するかを考えて行動していました。周囲の医師たちが専門領域を高めていこうとしている最中、わたしはあえてその路線から外れて、さまざまな診療科目の勉強をしようとしています。この選択が役に立ったと思えるのか、遠回りになったと思うのかは、遠い将来にならないとわからないことです。高知行きを決めたものの、本当にこの選択をしてよかったのかと思い悩むこともありました。
しかし最近は、「長い人生、その中の1年間でちょっと寄り道してみたり、専門医を取るのが遅れたりしてもいいのではないか」と思えるようになりましたね。不安な気持ちはありますが、少しワクワクする気持ちも出てきました。
―1年間高知で働いた後は、どのようなキャリアを歩みたいと思っていますか。
勤務先が決まっていないので、今後のキャリアは全く未定です。緩和ケアの勉強もしたいと思っているので、すぐに家庭医のような仕事をするかはわかりません。患者さんにより多くのメリットを提供できるようになることが目標なので、診療範囲を広げるためにできることをしていきながら、最終的には在宅医療に携わりたいと思っています。人生は長いですから、少しずつ着実に、理想の医師像に近づいていきたいですね。
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